第17話 起きてます
心地よい微睡。
乗り物の揺れというのは不思議な事に眠気を非常に誘いやすい。加えて寝不足であるのであれば尚の事。
眠くなってしまうのは必然。
誰に言うでもなく、奏は心の中で言い訳をしていた。
「つーか歌乃も律儀だよな。可哀想だけど、起こしてやればいいのに」
「無理矢理起こすのは流石にな……」
「奏ちゃんもよく起きないよねえ。バスの中も外も騒がしくなってきてるのに」
その会話を聞きながら、奏は必死に考えていた。
意識がはっきりし始めた時、人肌の暖かさを感じ違和感を覚えた。
バスで寝たはずなのに。そう思って目を少し開いて確認すると隣にいた歌乃に寄りかかって眠っていることに気付いた。
その瞬間、奏は寝たふりを決行した。
流石に今起きるのは気恥ずかしい。かといってこのままでは困る。
少しずつ、顔が熱を帯び始める。今更ながらに奏は自分自身の状況を自覚し始めた。
幼馴染であると要素を除くと、女子である自分が隣の席の男子の肩に頭をのせて爆睡していたわけで。
相手が歌乃で良かった、という安心感。
相手が歌乃であるという、羞恥心に似た何かの感情。
しかし、再び相手が歌乃である、と意識した瞬間一周回って心が落ち着いた。
別にいいじゃん、歌乃なら。
はっきり言えば今の姿勢は非常に楽だ。歌乃は奏の為に少しだけ座る位置をずらしている。もう一度眠ろうと、奏は目を閉じた。
しかし一度覚醒した意識は簡単には眠りに落ちない。
三人の会話が奏の耳に聞こえていた。
「後で文句言うか」
「ていうか、案外奏ちゃん起きてたりしない?寝たふりしてたりして」
「……流石に無いだろ。もしそうならどんだけ神経図太いんだよ」
はあ、と歌乃の溜め息を聞きながら奏がようやく意識を手放そうとしたその時だった。
「……そういやさっきも聞いたけど。歌乃、お前金橋さんと本当に何も無いのか?」
和人が周りに聞こえないように小声で歌乃に聞いた。
その妙な質問に、奏は手放しかけていた意識を引き戻してこっそりと聞き耳を立てた。
「あれだけ敵意があるって相当だぞ。心当たりないのか?」
「……無い」
「お前嘘下手くそだな。言え」
「……いや、大丈夫だ」
「何が『大丈夫』だよ。いいから言え。言うまでは聞き続けるぞ」
和人の追求に観念した歌乃は、カラオケでの出来事を話し始めた。
「……ってな理由で愚痴吐いてるところに遭遇した」
「うわ……それはまたタイミングの悪い……」
歌乃は和人と弥生にカラオケでの出来事を話している間、当然奏が聞いていることには気付かなかった。
奏はあの日、歌乃が何かを抱え込んでいることには気付いていた。
それでも聞くことはしなかった。歌乃の性格からして聞けば更に悩む事が分かっていたから。
それをまさか、今日知る事になるとは奏も思っていなかった。
僅かばかりの後悔を胸に、奏は静かに話を聞き続けた。
「なかなか一方的な話だな……。今の話聞く感じ、お前と天崎さんの関係に不満があるってとこか?」
「だったら奏に言えって話だろ。何でわざわざ俺を睨むんだよ。そもそも、入学式の後、最初に見かけた時からあの目だった。俺には大元の理由なんか予想も出来ない」
「つーことは……入学式の前に会ったことがある、とかか?同じ中学校だったりするのか?」
「…………あの女子が同じ中学かどうか、俺には分からん」
「お前さあ……」
「黒瀬君さあ……」
和人と弥生が呆れて信じられないようなものを見る目をしていた。
(……さすがは歌乃だね)
金橋瑠奈。
奏は寝たふりをしたままその名前を思い出していた。
中学校の同級生。
奏自身交流があった覚えはない。運動会などの大きなイベントで顔を見た事はあるが、頻繁に顔を合わせていた相手では無い。
必死に記憶を掘り起こしてみても自分と歌乃、どちらも接点があった覚えはない。無論、歌乃が完全に忘れている可能性は否定出来ない。
だから、奏もそれほど気にしていなかった。
(……何で歌乃に?)
もし自分にその敵意の視線とやらが向けられているなら、理由は予想出来る。
中学校でも散々味わったから。
出る杭は打たれる、という言葉通り。
容姿で、成績で、人間関係で。
何処かで怒りを買ったのか、単なる嫉妬の場合もあった。
歌乃個人に敵意を向ける。
これは理解できる。なんせまだ二十歳にもなってない子供同士、何処かで不満を持ってもおかしくは無い。
歌乃と奏の関係に不満があって歌乃だけに敵意を向ける。こちらは理由が分からない。
そもそも、他人の関係に不満を言い、そのうちの一人に敵意を向ける。この時点で既に理解できない。
(……後でもう一回考えよう)
既に三人の会話は別の内容に変わっている。
その思考を最後に。
奏は再び微睡の中に意識を沈めていった。
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