第16話 肩

 まだ朝日が出ておらず薄暗い高校までの道。

 歩く二人のうち、一方はしっかりとした足取りで、もう一人は既に限界を迎えたような足取りで道を進んでいた。


「ね゛む゛た゛い゛い゛ぃ゛……」

「何で早めに寝ないんだよお前は……」


 奏はグラグラと頭を揺らして歩いていた。

 その隣にいる歌乃は奏が道路側へと飛び出さないよう、自分が道路側になるように位置を変えてから道を進んでいた。


「た゛っ゛て゛え゛ぇ゛……」

「……バスに乗ったらしばらくは寝れる。頼むからそれまでは頑張って歩いてくれ。いや、歩け」

「う゛ん……頑張る……」

「でかい方の鞄寄越せ。運んでやる」

「お゛ねかい……」


 足を止めて肩掛けカバンを左肩に掛け直し、旅行用カバンも左手へと持ち替えた歌乃は奏へと右手を差し出す。それを見た奏はぼんやりとした思考のまま、差し出された歌乃の右手に旅行用鞄を渡した。

 歌乃はその重さに微かに顔を顰めたが、溜め息一つ吐いただけですぐに歩き出した。


「ありがとう……」

「貸し一つな」

「菓子……?お菓子なんて無いよ……?」

「……もういい」


 幼馴染の思考がフワフワのぐだぐだである事を察し、再び出かけた溜め息を抑えて歌乃はひたすら歩き続けた。

 奏へと目を向ければ、瞼は半開き、フラフラと左右に揺れる体幹、不安定な足取り。

 いっそ怒鳴れば、いや、頭を一発叩こうか。

 歌乃の方も、朝から疲れを感じた事でくだらない二択に思考が連れ去られかけていた。

 しかし無事に高校に辿り着いた事でその二択は選ぶ前に破棄されることとなった。

 入学式の時、集まっていた辺りに何台かのバスが止まっていた。そこに二人が歩いていくと、聞き覚えのあるのんびりとした声が歌乃の耳に届いた。


「や〜、黒瀬君、天崎さん。時間結構迫ってる……いや、まだ全然セーフかな〜」

「すみません。おはようございます、陽宮先生」

「おはよーございます……陽宮先生……」

「まあまあ、謝らなくてもいいよ黒瀬君。じゃあ、事前に伝えた通り、大きい方のバッグだけ受け取るね。肩掛け鞄の方は持ち歩くように……あれ、天崎さんのは?黒瀬君二つも持ってくの?」

「……こっちが奏のバッグです」

「運んであげるなんて、紳士さんだね〜。はい、じゃあ受け取ったからバスに乗ってね〜」


 のんびりとした喋り方とは正反対に、陽宮はバッグをさっさと運んでいく。開かれたバスの下部に二人のバッグをまるで重さを感じていないように放り込んだ。


「よろしくお願いします」

「よろしく……お願いします……」

「はい、よろしくね」


 運転手へと挨拶をし、二人はバスに乗り込む。半分から三分の二程度埋まった座席。

 左奥、後ろから二番目の二つの席。

 そこが、奏の選んだ席だった。


「先に座るね……」

「……分かった」


 本来は窓側に歌乃が、通路側に奏が座る予定だった。

 この点に関しては、ある程度入れ替わっても問題はないと事前に言われていた。とはいえどちらかといえば乗り物で酔いやすい歌乃が窓側にしてくれ、と奏に言ったのだ。

 不満を感じてしまうのも仕方のない話だった。

 窓側に座った奏の隣に、歌乃がゆっくりと腰を下ろすと、通路を跨いだ反対側から声をかけられた。


「よっ、歌乃。おはよ。結構遅かったな」

「おはよう。まあ、諸事情あってな」


 声をかけたのは和人。その向こう側から、弥生も顔を見せていた。


「もしかして、奏ちゃん寝坊した?」

「……バスの時間的には寝坊じゃあないが、寝坊だな」

「あ、ふーん……」


 歌乃がベルトを閉めてしっかりと座った、その時だった。

 右肩に何かがのしかかる感覚。原因は一つしか考えられなかった。


「あのなぁ……」

「……すぅ……すぅ……」


 歌乃の右肩に頭を乗せて寝息を立てる奏。

 歌乃が軽くゆするが起きる気配は微塵もない。起きろ、と小声で言っても寝息が返ってくるだけ。

 通路の反対側から二人のやりとりを見ていた和人と弥生は、それぞれ呆れたような表情と、面白そうな表情と各々の感情をその顔に浮かべていた。


「……朝っぱらから何してんだよお前らは」

「奏に言え。俺は知らん」

「奏ちゃん大胆。黒瀬君、満更でも無いんじゃ無いの〜?」

「限度がある。……流石にこれは困る」


 歌乃の中で二つの感情がせめぎ合う。

 安堵と不満。

 こんな行為が出来るくらいには信用されていることに対する安堵。

 朝から気を遣ってばかりだ、という不満。

 ただそれでも歌乃は奏の眠りを妨げないようにじっとしていた。


「まあ、そろそろ出発だし。俺らも大人しくするか」

「そうだね。黒瀬君、奏ちゃんが起きるまで優しく、ね?」

「はいはい」


 和人と弥生も前を向いて座る。その時、最後の二人組がバスに乗り込んできた。

 その生徒を見て、思わず歌乃は体をこわばらせた。


「んぅ……」

「……」


 抗議するように呻く奏。

 二人組の女子生徒のうち、一人は金橋瑠奈だった。

 視線を落とした歌乃を見た瑠奈は変わらず敵意の込められた視線を向ける。しかし、歌乃の肩に奏が寄りかかっているのを見た途端、その視線は塵を見るような目に変わった。


「……」


 もう一人の女子生徒が宥めるように声をかけ、二人は前の方の席に座る。

 歌乃のスマホが振動し、和人からのLINEが画面に表示された。


『何であんなに嫌われてるんだよ。何か理由あんの?』


 送り主、和人の方を向いて歌乃はジェスチャーで『さあ?』と答える。

 相変わらず意味の分からない敵意に歌乃は額を抑え、その原因である相手はと非難の視線を向けた。


「……すぅ……すぅ……」

「……お前のせいだからな」


 その張本人、奏は静かに寝息を吐きながらその整った顔立ちの寝顔を見せていた。

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