第10話 二人の関係 (3)

「〜〜〜〜〜〜♪、イエイッ!!」

「……」

「どしたん!?楽しくないの!?」

「うるさい。マイクで叫ぶな馬鹿」

「うっさいバーカ!!」

「……疲れた」

「次の曲、一緒に歌うよ!!」

「人の話を……」

「始まるよー!!」

「ああもう、くそっ……!!」


 奏は歌乃にマイクを押し付け、全力で息を吸った。


「♪〜〜〜〜」

「……ッ、♪……」

「下手くそぉーー!!」

「黙れぇ!!」


 一音目から盛大に音を外した歌乃へ、奏は即座に煽りを入れていく。容赦などしない、歌詞の合間合間に徹底的に煽り始めた。


「音痴!!リズムズレてる!!下手くそぉ!!」

「お前な…………!!」

「何!?」

「何で煽りながら歌えるんだよ!?」

「歌乃だって言い返しながら歌ってるよね!?」


 ワイワイと騒ぎながら歌い終わった二人は画面に目を向ける。表示画面に並ぶ二つの二桁の点数。二人の実力差を如実に示していた。


「あっはっは!!最低保証の点数だ!!」

「……くそ。高得点出しやがって」

「これがレベルの差だね!!残念でした!!」

「……次は俺が曲選ぶ」


 ムキになった歌乃が選曲用のタブレットへと手を伸ばす。だが奏がそれを阻害するように歌乃の前に立ち塞がった。


「だーめ。私が選びます」

「おい、邪魔すんな」

「だって歌乃の選ぶ曲、マイナーなのとかふざけた奴とか、歌えない癖に難しい曲ばっかでしょ!?やだよ、楽しく歌うの!!」

「いいから道開けろ。ほら、早く」

「だから、駄目だってーー!?」


 グラ、と。歌乃に立ち塞がるようにふざけていた奏がバランスを崩した。


「あっ……」

「ばっ……!!」


 奏の視界の光景が、歌乃、壁、天井と一瞬で変化する。後ろへと体が倒れ、しかしソファの上だしまあいいか、そう考えていた。

 そのままであれば、奏はソファの上に倒れ、笑い事で終わる。


 歌乃が奏に手を伸ばさなければ。


 支えるために差し出した歌乃の左手が奏の後頭部に添えられ、覆い被さるようにして歌乃は奏の上に倒れ込んだ。

 意図していない行動。ソファの上で二人が重なる。

 奏の視界を、歌乃の顔面が占拠していた。同じく、歌乃の視界を奏の顔面が占拠する。


「……」

「……」


 お互いの思考は完全に停止していた。幼馴染とはいえ、相手は異性。キスが出来そうなほどに、ここまでの至近距離で見ることなど、滅多に無かった。

 お互いの顔以外が目に入らない距離で見てしまった事で二人の意識は混乱してしまう。それでも、歌乃の方が先に動き出した。


「……わ、るい。トイレ、行ってくる」


 歌乃は奏の上から体をどかし、表情を見られないようにするためか、片手で顔を抑えて個室の外へと出て行った。

 対して奏は、完全に動きを止めてしまっていた。ソファに寝転がったまま、ボンヤリと天井を眺める。


「…………う、わあ、ぁ……」


 奏は顔に熱が集まるのを感じた。隠すように両手で顔を覆う。ちょっとふざけてしまっただけだった。転んでもいいか、そう思っていたのに転ぶだけではすまなかった。

 数年ぶりに至近距離で見た幼馴染の顔は、それはもう情緒を一撃で粉砕されるような威力だった。思い込みもあった。まだ見た目も中身も子供同然だった中学生の時の記憶が、高校生になっていきなり上書きされたのだ。

 至近距離での驚いた表情。後頭部に添えられた手の安心感。記憶よりも背が高く、覆い被さるほどに大きくなった体。

 心臓が爆発しそうなほどに跳ねている。

 火がついたのでは、と思えるほど顔が真っ赤になっている。

 余裕そうな表情は消え、困惑と動揺で何の感情かも分からないほど心が揺れている。

 襲われるかもしれない。ほんの一瞬、そう思ってしまった。興奮なのか、恐怖なのかすら分からない。

 爆ぜそうなほどに暴れる心臓が、落ち着く事を許さない。自覚しろ、理解しろ、そう言われているような気がしてしまう。

 歌乃にその気が無かった事は分かっている。今のは完全な事故。ちょっとしたおふざけ。

 だからこそ、余計に心が掻き乱される。


「ふぅ…………ふぅ…………落ち着けるわけ、ないじゃん!!!!」


 一人、個室の中で大声で叫ぶ。熱を体から追い出し、暴れる心臓を落ち着けるために。少しずつ、体から熱が引いていく。それなのに、顔から熱が失われる事はない。

 歌乃の顔が記憶から消えない。必死に他の事を考えようとしてもずっと頭の中で歌乃を思い浮かべてしまう。

 今まで異性として認識した事のない幼馴染は、それでもしっかりと異性だったのだと。


「やばいやばいやばい…………!!!!ど……どうしよう……!?」


 一度認識したら、覆ることはない。それこそ、記憶を失えばようやく、だろう。


「はあっ……はぁっ……は、ぁっ……」


 今まで意識した事のない、歌乃と出会ってから今に至るまでの行動と言動の数々。既に記憶からは消えていたはずの全ての行動が脳裏に浮かび、一度落ち着いたはずの心臓が再び暴走を始める。微かに赤く色づいた頬が、再び真っ赤に染まり出す。必死の吐息に、少しずつ色が混ざる。激しく胸元が上下する。悶えても消えない混ざり合った感情が、意識してしまった、という意識自体が更に動揺に拍車をかけていた。


「ふーっ…………ふーっ…………」


 息を整えて一度座り直す。それでも未だに鼓動は早く、顔も熱い。

 必死に平静を取り戻そうとする事しばらくして。感覚が狂っていた事で何分経ったか分からなくなってきた、その時。個室の扉が開いて歌乃が戻ってきた。

 自然に、とはいかず少し離れた位置に歌乃は座った。


「…………奏」

「なぁっ、な、に!?」

「……とりあえず、落ち着け」

「う、ぅん!!」


 裏返った声。奏は歌乃の顔を見ることができなかった。当然、歌乃もずっと顔を伏せていて奏の顔を見ることが出来ていない。

 その状態で、歌乃は深呼吸をして言葉を発した。


「……まずは、だ。さっきの事」

「……」

「事故だ。……悪かった。押し倒すような形になって」

「……うん」

「それを踏まえて。忘れよう、とは言わない。明日から出来るだけ、いつも通りにしよう」

「……分かった」

「…………そろそろ、時間だな」


 そう言って立ち上がる歌乃を、奏は呼び止めた。


「あの、さ」

「どうした」

「……別に、嫌いになってないから」

「……そう、か」


 言い訳のような奏の言葉に、歌乃も心を落ち着けて言葉を返す。少しだけギスギスした会話。

 それでも、少しだけはいつも通りだった。

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