第3話 朝(3)

 玄関で歌乃はトントンと音を立てて踵を靴の中に入れる。

 右肩にかけた鞄の中を軽く確認し、そのまま玄関のドアを開けた、その時。歌奈がリビングから顔を出した。


「ストップ、歌乃」

「髭は剃った」

「あ、そう?お茶は持った?」

「持った」

「……忘れ物は無い?」

「多分。んじゃ、行ってくる」

「行ってらっしゃい。後から行くから少し待っててね」


 玄関から外へと踏み出す。こういった感覚になるのは久しぶりだ、と歌乃は足をすぐに止めた。

 歌乃の住んでいる一軒家。

 その真隣の家の前で、足を止めた。


「……さて、と」


 玄関の前まで進み、右手人差し指でインターホンを押そうと。しかしその動きはすぐに止まった。



ーーやばいやばい!!水筒どこにやったっけ!?

ーーだから……もう。

ーーだって、休みで習慣抜けてて……!!

ーー別に何も言ってないけど。

ーーあ、あった!!



 ドタバタと家の中を走り回る音。

 歌乃はインターホンを押そうとした指を引っ込め、スマホを鞄から取り出して画面に手を触れた。

 画面に表示される『8:03』。

 学校までは徒歩で大体10分前後。出発するギリギリの時間は8時30分。

 その事を確認し、歌乃は呟いた。


「…………もう少しだけ、待つか」


 それからスマホを片手に歌乃が時間を潰し、左上に表示されている時間が8時10分に。

 走り回る音は消えて代わりに静かな足音が微かに聞こえていた。ガチャリ、とドアが開き一人の少女が姿を現した。


「お待たせ、歌乃。……待たせちゃった、かな?」


 耳元の髪を弄るような仕草。優しげに細められた瞼。微笑みの浮かべられた口の端。

 幼馴染である天崎奏。

 思わず見惚れてしまうようなその表情は。


「水筒は見つかったか?」

「え、何で知ってるの?」


 一瞬で崩れた。


「外まで聞こえてた。……準備してなかったのか?」

「準備はしてた。でも見つけられなかっただけです」

「ふーん」

「……ねえ、それより何か言う事ない?」


 歌乃の反応が無い様子を見てこれ見よがしに制服をアピールする奏。それを見た歌乃はああ、そういうことか、と察して答えた。


「似合ってる」

「つまんないの。童貞臭い反応したら揶揄うつもりだったのに」

「悪かったな」


 グダグダと言い合いながら、歌乃は改めて奏の制服姿を見た。

 所謂、女子高校生といった見た目。シャツ、スカート、ブレザー。そして胸元のリボン。

 なるほど、高校入学の際にどんな制服かが気になるという意見が出るのも頷ける。一年間も着るのだからそれは重要な選択要素になるだろう。

 そんな事を考えながら見ていると奏もまた歌乃の制服姿を眺めていた。


「……」

「……何だよ」

「あれだね。似合ってて苛つく」

「本当に何でだよ」


 歌乃の、というより男子の制服。

 シャツ、ズボン、ブレザー。そして丁寧に結ばれたネクタイ。歌乃自身が気怠げにしている部分は減点だが、しっかりと似合っている。

 中学校入学の時には自分の方が背が高かった。けれど卒業の時、いつの間にか逆転していた。見上げたその顔が何処か大人びていたのも記憶に新しい。

 その身長差に少しだけ嫉妬してしまう。


「ああもう。見上げると首が疲れる」

「身長縮めろ、ってか?無茶言うな」


 二人にとって久しぶりの会話。一見喧嘩しているようにも聞こえるやり取り。仲の良さを示すような言葉の掛け合いだった。

 二人の会話がひと段落した頃、玄関のドアが開き沙良と龍斗の二人が出てきた。


「お待たせ。……あら、久しぶりのはずなのに仲が良さそうじゃない」

「おはようございます。沙良さん。龍斗さんも」

「おはよう、歌乃君。また身長が伸びたかな?」


 二人に対して歌乃は丁寧な言葉遣いで返した。


「そんなに畏まらなくてもいいのに。真面目ね」

「一応、高校生になりましたので」

「うーん……あの子くらい、適当でもいいのよ?」


 そう言って沙良の視線が向く先には、いつの間にか玄関前まで来ていた歌乃の両親と楽しそうに話している奏の姿があった。


「歌奈さんおはようございます」

「おはよう、奏ちゃん」

「おはようございます。蓮さんは相変わらず朝苦手な感じですか?」

「あはは……まあ、ね」


 会話の弾む奏と歌乃の両親。自分とは真反対の奏の様子。

 苦笑いを浮かべて歌乃は言った。


「……あまり、俺は器用に切り替えられないので」

「全く、本当に真面目だな君は。……それでも気の抜き方は覚えておきなさい。辛いことは吐き出したほうが楽になる時もある」

「覚えておきます」


 ふっ、と龍斗は微笑を浮かべて見せた。いつも厳しい顔つきではあるが、優しさの見える微笑み。

 その様子を隣で見ていた沙良は、一度手を鳴らして奏達へと声をかけた。


「話も済んだようだし、そろそろ行きましょう。入学式から遅刻は嫌ですよね?」

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