第2話 朝(2)

 ーーピピピピッ、ピピピピッ。



「……うぅさぃ」


 真っ暗な部屋の中、その女子、天崎奏はスマホの画面を叩いた。眠りを邪魔するな、そう言わんばかりに乱暴に。

 ベシッと叩かれたスマホは沈黙する。


 実際には四回目の沈黙である。


 5分ごとにかけられたアラーム。既に三回のアラームが叩きつけられた手によって止められていた。

 時間は7時15分を指している。

 ちなみに入学式までの時間を考えると8時には家を出なければならない。

 この時間になってようやく、彼女は顔を上げた。スマホの画面に写された時間を確認し、


「……ん。ん?あ……」


 『7:16』とデカデカと表示されているスマホの画面を眺め、寝転がったまま幼馴染へとスタンプを送った。


「あーあ………起きよっと」


 布団から這い出した彼女は欠伸をしながら一階へと降りて行く。

 一階、リビングへと。


「おはよう、奏。……よく眠れたみたいね?」


 降りてすぐに、奏へと声をかけた人物。

 ストレートに伸ばされた黒髪、優しげな顔立ち、そして目元の泣きぼくろが特徴的な女性。

 笑顔を見せているのに、細められた目から威圧感を感じる。言い方も、皮肉のような言い回し。

 奏の母、天崎沙良さらが包丁を片手に台所に立っていた。


「おはよう、お母さん。ぐっすりと寝れた。気分最高」

「今、何時かしら?」

「あれ、そういえばお父さんは?先に起きてたと思ったんだけど」

「今、何時かしら?」

「……きょ、今日の朝ごはん、何かな?」

「今。何時。かしら」

「7時20分です!」

「……無駄口叩いてる暇があったら?」

「すぐに準備します!!」


 笑顔のまま、淡々と詰め寄るように言葉を繰り返す自身の母に恐怖しながら奏は洗面所へと向かった。

 蛇口を捻り、手を水につけたその瞬間。


「冷たっ!?」


 驚いて手を引っ込め、しかし覚悟を決めて冷水を顔にかけた。


「あー、冷たい!冷たい!!」


 バシャバシャと、何度も顔にかけているうちに目が覚めてくる。そうして顔を拭きながら、ふと自身の顔の映る鏡に奏の目が向いた。


「……遺伝ってすごいなぁ」


 母と同じ、左目の下の泣きぼくろ。

 位置も見た目もそっくりそのまま。目元だけを見せれば見分けるのは困難だろう、そう思えるほどに歌華と奏の特徴は似ていた。


「あ、やばっ。見てる場合じゃない」


 タオルで顔の水気を拭き取った奏は大慌てでリビングに向かった。まず目に入ったのは机の上の朝食。ご飯、味噌汁、だし巻き卵、焼いた鯖。ガッツリと量のある和食が並んでいる。その隣にサラダとカップに入ったヨーグルト。

 そして、座って待っている両親の姿があった。


「あ、お父さんおはよう」

「おはよう」


 奥側の席に母、沙良。沙良の対面には父、天崎龍斗りゅうとが座っていた。整えられた髪型と真面目さを表すような眼鏡。その奥から優しげな視線が奏を見ていた。

 奏は沙良の隣の椅子に座り、三人は手を合わせた。


「お待たせしました」

「それじゃあ」

「「「頂きます」」」


 各々、箸を持って朝食を食べる。

 濃いめの味付けの味噌汁。砂糖を入れて甘い味付けになっているだし巻き卵。塩を控えめにしてある焼き魚。自作のクルトンと粉チーズのかかっているサラダ。

 美味しく食べてもらえるようにと工夫の凝らされた朝食。

 静かな食卓。

 しかし、龍斗は奏の箸の動きが早いことに気づき静かに注意した。


「奏、もう少しゆっくり食べなさい」

「……お父さんも食べるペース早くない?」

「美味しいからな。だが行儀が悪いのは駄目だ。しっかりと噛んで食べなさい」

「はーい」


 黙々と、三人は食事を進める。

 朝食を作った沙良は嬉しそうに微笑んでいた。奏も龍斗も、自分の作った料理を美味しそうに食べてくれている。

 食事中は静かでも三人の仲が良い事は一目で分かるような、そんな光景がそこにはあった。

 その中、いち早く奏が朝食を食べ終わった。


「ご馳走様でした!!」

「片付けはしておいてあげるから。準備しなさい」

「ありがとう、お母さん。じゃあ、お先に!!」


 奏は上機嫌に階段を駆け上がっていく。朝こそグダグダといつまでも起きようとはしなかったが実際には高校に通う事を楽しみに思っていた。

 努力して受験し、合格した高校。それだけでもやる気は十分。

 何より、制服。

 最初に見た時、制服で高校を選ぶならここしかないと奏は確信した。

 たかが制服。されど制服。

 三年間着ることになる制服だ、好きなデザインの制服が良いに決まっている。嬉しそうに部屋へと戻ってきた奏は、一転して落ち着いた様子で呟いた。


「まさか歌乃もいるなんて思わなかったな」


 自身の幼馴染の黒瀬歌乃。

 中学生の時だろうか、異性の距離感として少し近すぎる気がしていて自然に話さなくなった相手。

 推薦で合格した、と聞いた時はあまり気に留めていなかったが同じ高校だと知ったのは旭高等学校に奏が合格してからだった。

 とはいえ、中学校卒業の時に久しぶりに話した歌乃は相変わらずだった。

 友達は数えるほどしかおらず、しかも中学生活でもほとんど一人で居たと言う。人見知りを拗らせた結果というか、一人でも平気な性格が原因というか。とにかく、記憶の中とあまり差異はなかった。強いて言うなら、身長が伸びていた。

 見上げた時、うわ男子だ、と思った。


「……でも歌乃も男子だよね」


 身支度を整えながら考える。

 幼馴染であるとはいえ、異性だ。制服姿を見せるのも今日が初めて。

 制服姿の自分を見たら一体どんな感想が出てくるのか。それとも黙ってしまうのか。


「言葉を失わせてやろうっと」


 もし黙ってしまうなら盛大に揶揄ってやろう、そうニヤニヤと笑いながら奏は準備をした。

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