高校生活を幼馴染と

黒奏白歌

第1話 朝(1)

 ーーピピピピッ、ピピピピッ。



「…………」


 とある一軒家の二階にある部屋。閉められたカーテンの隙間から朝日がベッドを照らしていた。

 その部屋の中に一人の男子がいる。

 男子の名前は黒瀬歌乃かの

 寝ぼけ眼のまま、彼は右手の人差し指でスマホの画面を叩いた。


「…………眠た」


 口ではそう言いながらも、体を起こしてベッドから立ち上がる。右手でスマホを掴み、扉を開けて部屋から出ていく。

 眠たい、眠たい、と何度も一人で繰り返しながら一階へと繋がる階段を降っていく。その足取りはむしろしっかりとしている。

 既に習慣化されている行動。


「おはよう、歌乃かの。相変わらず早起きね」


 リビングの前を通る伯人へ声をかける人物がいた。

 そこに居るのは歌乃の母、黒瀬歌奈かな。歌乃と同じ、黒い長髪を後頭部で纏めている。手にあるのは焼いたばかりのパン。それを片手に歌奈は席に座った。


「………あー、うん……おはよう……」

「顔洗ってきなさい。今日、入学式でしょう?その為に昨日明日は早く起きる、とか言ってたじゃない」

「…………あ」


 母親の言葉に面倒臭い、というような表情を歌乃は浮かべた。


「こら」

「……何も言ってないんだけど」

「『面倒臭い』って顔に書いてある」

「…………あっそう」


 さっさと洗面所に向かった伯人は寝ぼけ眼のまま水道の蛇口を捻って水を流す。そして左手で水を掬おうと手を伸ばすが、至極当然の事実に気づかなかった。

 入学の時期といえば4月。未だに朝は寒く震えるような気温。水温も同様。氷のように冷たい水が一気に手にかかった。


「冷たっ!?」


 半覚醒の意識が一瞬で覚醒する。


「うわ、目ぇ覚めた。マジで冷た…………」


 最初は躊躇したが、バシャバシャと何度も顔を洗っているうちにその冷たさにも慣れていく。


「……高校か」


 未だ実感のないまま呟く。

 小学校を卒業すれば、中学校。

 中学校を卒業すれば、高校。

 高校を卒業すれば、大学。

 人によってはどこかのタイミングで就職の選択肢を取るのだろう。歌乃は中学校までは公立の学校に。今年度からは私立の高校に通うことになっていた。

 あさひ高等学校。

 私立の、それも地元では有名な進学校。

 歌乃の入学が決まったのは必死に勉強したおかげ、と言いたいところではあるが。実際は歌乃が中学校からの推薦枠を貰えた事が理由だった。対人関係をあまり好まず、しかし成績だけはマシになるよう、ある意味では努力していたおかげでもある。

 そんな思いもあり、歌乃としては高校入学に対して楽しみよりも憂鬱さの方が上回っていた。


「まあ……中学校よりは楽か?いや、そうでもないよな……」


 ぶつぶつと独り言を呟きながら歌乃はリビングへと引き返して再び母と顔を合わせた。


「おはよう」

「二回目だけどね。おはよう」

「父さんは?」

「今起きたとこ。ほら、後ろ見てみなさい」

「ん?あ、おはよう」

「……おはよう……」


 歌乃が振り返ったそこには自身の父親、黒瀬れんが寝ぼけ眼で洗面台に向かっていた。

 覇気の無い返事と共に歩く父親。その様子を見送り、机の上に置いてあった市販の袋からパンを二枚抜き取って纏めて電子レンジに入れる。


(……全然腹減らねえな)


 サーモによって赤く光るレンジの中を、ぼんやりと歌乃は眺める。暇だ、という様子の歌乃へ歌奈が笑って話しかけた。


「そういえば、中々大声で叫んでたわね?『冷たっ!?』って」

「あれ、聞こえてた?」

「がっつり。リビングまで聞こえるって相当大きな声よ?」

「ふーん……」


 焼き上がった二枚のパンを手に取り、皿へと移した歌乃がパンを齧った、その瞬間だった。


『冷たっ!?』


 歌乃にとっては一度目、歌奈にとっては二度目となる言葉が家中に響いた。


「……」

「親子ねえ」

「……あんま頷きたくはないけど同意するかな」


 諦めたように、歌乃は呟く。

 歌乃の顔立ちは、父親似だ。目元や耳の形、そういった遺伝的な部分はほとんど父親から継いでいる。

 反面、性格は母親に似ている。正確さへの拘り、習慣的な行動。

 まさに半分ずつ、歌乃に遺伝していた。

 無論それは歌乃にも分かっている。周囲の人から顔は父親に似てるのに、性格は、というような話もよく聞く。

 ただし歌乃本人にあまり自覚は無い。それが彼にとっては当たり前であるから。

 それを理解した上で、しかしどうしても言いたいことが歌乃にはあった。


「わざわざ叫ばなくてもいいのに……」

「それ過去の自分に言ってみたら?」

「はいはいそうですね」


 グダグダと二人は会話しつつパンを食べていく。ちょうど一枚食べ終わる頃、蓮がリビングへと入ってきた。


「水、冷たかったねー。おはよ」

「「おはよう」」


 歌乃は横目で隣に座った自身の父親を見た。ボサボサの寝癖だらけの髪。顔を洗ったはずなのに未だにしょぼしょぼとしている眠たげな目。

 やっぱり母親似かな、と歌乃は呟いた。


「あはは、確かにそうかもね。歌乃は歌奈にそっくりだと僕は思うよ」

「いや、歌乃に似てるのは蓮でしょ」

「え?」

「へ?」

「よし、議論しようか」

「理系の私に文系の貴方が勝てるのかしら?」

「くっ……まさかこんな所で不利になるとは……!!」

「…………ごめん俺よく知らんけど理系の方が議論に強いの?」

「「さあ?」」

「マジで何なん?」


 二枚目のパンをガジガジと齧り。突然鳴ったスマホの画面を見た。

 『おはよう……』と書かれた寝ぼけた目のキャラスタンプ。送り主の名前を確認した歌乃は、溜め息を吐きかけた。


「……母さん」

「何?」

「女子って準備に時間かかるよな」

「何の、って質問はあえてやめておく。今日入学式よね。……身だしなみ整えるのには時間かかりそう」


 その言葉にまあそうだよな、と歌乃は呟いて一言だけスタンプの送り主に返事をした。

 了解、と。

 残りのパンを口に詰め込み、牛乳で流し込んだ歌乃は立ち上がった。


「早めに準備終わらせとく」

「はいはい。自分が遅れないようにね」

「うっさい」


 そう言い残して歌乃は二階に戻って行った。

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