第5話 洗脳
「人間が人間を思いのままに操る」
という恐ろしい考えがある。
人を操って、自分の思い通りにする。
あるいは、
「思い通りの社会をつくる」
というのは、人間の中には、少なからず、そのような感情が眠っているのかも知れない。
毎日のように、誰かに何かを言われ、その都度、プレッシャーをかけられて、どんどん精神を病んでくる。
それが、今の社会というもので、
「人からプレッシャーをかけられない社会はないものか?」
と絶えず思っている人もいるだろう。
会社や学校などでもそうである。
「別に変なプレッシャーなどを掛ける必要もないのに、掛ける本人はそうは思っていなくても、掛けられた方は、強迫観念だ」
としか感じていない。
プレッシャーというものが、どういうものなのかというと、他人事だとして聞いていると、
「どうして、そんな強迫観念に囚われる必要があるんだ?」
と思えることも多いかも知れない。
「そんなものは、右から左に聞き流せば、それだけのことではないか?」
と思えるのだ。
昔であれば、
「その意見の方が当たり前」
と言われていたが、今であれば、
「セクハラ」
「パワハラ」
などと言われ、
「攻撃する方が悪いに決まっている」
という風潮になってきているのだ。
それは、
「それだけ、今まで一方的な攻撃に、言われた方が絶えてきた」
ということなのか、それとも、
「被害者の方が社会的立場が強くなる」
という、
「社会風潮のようなものが生まれてきた」
ということなのだろうか。
それを考えると、
「そのどちらも言える」
ということではないかということでもあった。
「確かに、今までは、やられる方は、逆らえない」
という感覚であった。
それだけ、
「弱者というのは、自分から強くならなければいけない」
という考えだったのか、それとも。
「強者をどうにかするのが難しいので、弱者が強くなるしかない」
ということだったのか?
ということであるが、そもそも、弱者が強くなれるのであれば、とっくになっているといってもいいだろう。
自分ひとりでは、どうしようもないから、弱者なのである。
強者と言ってお、相手は団体だったり、複数だったり、あるいは、立場上上の人だったりすることで、弱者にとっては、
「力関係上、どうすることもできない立場だ」
ということになるのである。
それを思うと、
「強者というものは、実質上の強さを持っているのではなく、数の力だったり、権力による、それこそ、パワハラであったりということで、立場上、どうすることもできない状態にいるということが、そもそも、社会の罪悪だ」
と言ってもいいだろう。
そういう意味で、
「コンプライアンス」
ということを、やっと言われるようになったということになるのであろう。
それまでは、弱者を、
「かわいそうだ」
と思いながらも、心のどこかで、
「弱者は、しょせん弱者だ」
と思っているのか、それとも、
「社会体制が、完全に、弱肉強食である」
ということであれば、
「逆らうことはできない」
ということになるのであろう。
そんな時代において、新興宗教が出てくるというのも、無理もないことだ。
そもそも、昔からある宗教というものは、
「死後に極楽に行けるようになるために、この世でいい行いをしていこう」
という考えが多い。
「今、自分たちは苦しんでいるのに、昔からの宗教は、苦しい今を救ってはくれないのか?」
ということを考えると、
「これほど理不尽で、詐欺のようなものはない」
と思わずにはいられない。
「今すぐにでも死んでしまいたい」
と思っているのに、宗教によっては、
「自殺も許さない」
というところもある。
「今を救ってくれず、死後の世界で救われるというのであれば、今すぐに死んでしまいたい」
と思うのに、
「それを許さないとはどういうことなんだ?」
ということである。
だから、昔からの宗教を信じてきた人たちの気持ちが、今の人には分からないだろう。
考えてみれば、宗教がらみの一揆など、ほとんどみんな、皆殺しにされているといってもいいだろう。
特に、
「島原の乱」
などそうではないか。
皆殺しにされてしまって、誰が救われたというのか?
「死後の世界で、極楽に行って救われている」
と言われても、誰か見た人がいるというのか?
もっといえば、
「そもそも、救われるというのはどういうことなのか?」
ということである。
「救われる」
ということと、
「幸せになれる」
ということは一緒なのだろうか?
結局、輪廻転生によって、また生まれ変わるということだけで、それが、いかに、
「幸せだ」
というのか?
「人は生まれながらに平等である」
と言われているが、本当にそうなのだろうか?
金持ちの家庭に生まれてくる人もいれば、貧乏な家に生まれてくる人もいる。時代が違えば、戦国時代の、
「明日をも知れぬ命」
と言われる時代であったり、大東亜戦争のように、
「一億層玉砕」
とまで言われ、
「生き残ることが罪悪とまで言われるような時代」
というのもあったではないか。
もっとも、教育で、
「それを当たり前だ」
として育ち、
「死をも恐れない」
という人間ができあがっていれば、それも、
「一つの社会」
ということで、ほとんどの人は、違和感がないだろう。
しかし、全員に同じ考えを持たせるということは、土台無理なことで、それをしようとすれば無理がいくというもので、
「特高警察による拷問」
というものが蔓延り、それが、
「治安維持法」
という法律で守られる世界というのが、実際にあったのも事実である。
それが、
「大日本帝国」
というもので、
「すべてが悪い」
ということは言えないが、強引に政府が国民の心までコントロールするということが正しいのかどうか、判断は難しい。
「治安維持」
あるいは、
「国家の安全保障のため」
ということであり、世界的な情勢というものも頭に入れなければ、その評価や判定は、難しいと言えるだろう。
それが、国家というものであり、国家体制や外交は、亡国となるかどうかの瀬戸際だったといってもいいだろう。
だから、
「世の中から戦争はなくならない」
というものだ。
主義も違えば、宗教も違っている。つまりは、信じているものが違えば、そこで、戦争が起こるのも無理もないと言えるだろう。
「民主主義」
と、
「社会主義」
さらには、
「キリスト教」
と、
「イスラム教」
それぞれに、相容れない、
「交わることのない平行線」
というものを描いているということになるのだろう。
それが、世の中というもので、さらには、
「時代」
というものである。
そういう意味でも、
「人間は生まれながらに平等などというのは、まやかしだ」
と言ってもいいだろう。
そこには、必ず、
「洗脳」
というものが含まれる。
「政治体制」
あるいは、
「宗教」
とそれぞれに、言えることではないだろうか。
それが、今の時代では、
「カルト宗教」
あるいは、
「新興宗教」
ということで、大きな社会問題を起こす一つの原因となっていることも、否定できないであろう。
「宗教団体というのは、しょせん、テロ団体だ」
と言っている人も多い。
確かに、宗教団体というのは、テロ行為などの、
「過激なことを行っている団体」
というのが少なくない。
さらに、その
「資金源」
として、信者を食い物にするところもあったりする。
もちろん、一部の過激な団体だけのことであろうが、余計に目立つのである。
それこそ、昔でいう、
「国家反逆罪」
というものに近いもので、それこそ、
「治安維持法」
の精神に近いと言えるのではないだろうか?
新興宗教というと、どうしても、
「自分たちの世界」
というものを確立するところから始まっている。
入信させた相手を家族から隔離するように、
「洗礼」
という形で、一か月くらい、一人で瞑想するような環境を作り、それまでの感覚をまったく変えてしまう。
そもそも、宗教に来るくらいの人間なのだから、社会に大なり小なり不満を持っているだろう。
もっとも、
「社会に不満を持っていない」
などという人がいるわけはない。
持ってはいるが、それを口に出せない。
あるいは、
「口に出してしまうと、自分が孤立して、生きていけない」
という不安がどんどん募ってくるのだ。
だから、宗教では、まず、
「孤立することが悪いことでも、怖いことでもない」
ということを思わせる必要があるということである。
それが、
「洗礼」
であり、
「自分を一人孤立させても、大丈夫なんだ」
と思わせることが大切だということになるのだ。
それが、宗教団体の最初のやり口であり、それがうまくいくと、
「半分は、洗脳に成功した」
と言ってもいいだろう。
それが、新興宗教であり、自分が変わったと感じた信者は、完全に、自分が、
「宗教団体の家族の一員だ」
と思うようになるだろう。
宗教団体というものと、催眠術というものは、
「切っても切り離せないものだ」
と言ってもいいだろう、
「人を専横する」:
ということは、
「心をコントロールする」
ということになるので、薬を使ったとしても、そこには、限界がある。
組織によっては、
「麻薬」
というものを使っているところは多いが、それはあくまでも、
「コントロールする」
ということではなく、
「自分たちの資金源にする」
ということが目的だということで、あくまでも、
「金目当て」
と言ってもいい。
「イギリスと清国の間で起こった、日清戦争」
というのもそうではないか。
大航海時代に、アジア地域に進出してきた欧州の国々は、東南アジアなどに進出し、次々に植民地にしていき、清国に対しては、貿易を行っていたが、イギリスとすれば、
「清国との貿易には金がかかる」
ということであった。
そこで考えたのが、
「アヘンの密売」
であった。
アヘンは強力な麻薬であり、廃人になる人もたくさんいる。
そのアヘンを清国内で蔓延させて、そこで金儲けするという、恐ろしいやり方で、清国との貿易で、莫大な利益を得て、さらに清国との戦争を引き起こし、
「不平等条約」
を結ぶことで、清国を思いのままにするという方法を取った。
さすがに、植民地にするには国土が大きすぎるし、他の国との絡みを考えると、このような、
「租借地を得る」
というような形で、内部からの監視というのがいいのかも知れない。
要するに、清国は、
「欧米から食い物にされている」
と言ってもいいだろう。
もっとも、その、
「前例」
というものがあったおかげで、日本は、その清国を、
「反面教師」
ということで、
「明治維新というものを成し遂げた」
と言えるだろう。
最初は日本も、
「尊王攘夷」
ということで、
「外国を打ち払う」
という政策だったが、
「とてもかなわない」
ということになると、
「清国の次は日本だ」
ということで、考えたのが、
「幕府に変わって、天皇中心の中央集権国家をつくることと、さらには、諸外国に学ぶことで、それまで結ばされた不平等条約の改正に導きたい」
ということであった。
不平等条約を改正できれば、そこから日本も世界の列強に打って出て、そこで、対等な貿易をすることで、国を豊かにし、国防を強固にするという、
「殖産興業」
「富国強兵」
という政策が、おのずと生まれてくるのであった。
清国の致命的なものは、
「西太后の独裁」
というものがあった。
何といっても、信じられないのが、
「義和団事件」
の時に、義和団の反乱に便乗し、多国籍軍を組んで、
「居留民保護」
の観点から、北京に派兵してきた、
「多国籍軍」
に対して、なんと、宣戦布告をしたのであった。
それまで、イギリス、フランス、日本と、単独で戦争しても、ことごとく敗れ去り、ことごとく賠償や不平等な条約をおしつけられ手きたのに、一気に、九か国からなる国に対しての宣戦布告は、まさに、
「自殺行為だ」
と言ってもいいだろう。
何しろ、
「イギリス、フランス、ロシア、ドイツ、日本、アメリカなど」
という、世界の強国といわれる国に対して、一度に宣戦布告など、普通ならありえない。
勝てるとでも思ったのだろうか?
あっという間に義和団の乱は多国籍軍に鎮圧され、びっくりした清国は、すぐに、和平を結ぶという掌返しの外交を行ったのだ。
せっかく、
「扶清滅洋」
ということで、清国を助けると言っていた、義和団を、自分たちの保身のために、簡単に見捨てたのである。
これこそ、
「血も涙もない」
と言ってもいいだろう。
確かに、
「アヘン戦争」
などでは、気の毒なところもあった清国であるが、義和団事件の暴挙を考えると、
「ああ、たった一人の独裁者のために、大清国は、滅亡してしまったんだ」
ということになるのであった。
そういう意味で、彼女のことを、
「世界三大悪女」
というものの中に入れる人もいるが、
「清国は、滅ぶべくして滅んだ」
と考えれば、
「彼女の存在があってもなくても関係ない」
という人もいないわけではない。
どこまでを、彼女のせいだと考えるのか、それは難しいところであった。
ただ、イギリスが清国に対して引き起こした、
「アヘン戦争」
というものが、許されるものなのかどうかは難しいところである。
戦争というのは、
「いい悪い」
ということを言いだすと、本末転倒な気がする。
そもそも、
「戦争というのは、起こした時点で、それだけで罪なのだ」
と言ってもいいのかも知れない。
戦争を始めた責任者と、戦争で直接的な被害を受ける人間は、まったく違うのだ。戦争が終わって、敗戦となれば、その責任を、戦争を始めた人が問われるというのは当たり前のことであり、それも、
「勝てば官軍」
勝者が正義だということにされてしまう。
「果たして、それで正しいのだろうか?」
戦争というものが、いかならものなのかということを、国民は知らない。そして、知らないままに、犠牲者として死んでいくことになる。
「気づいたら、死んでいた」
ということであろうか。
麻薬と催眠術というものは、繋がるものではないだろうが、
「人を洗脳するということでどこか共通したものがあるような気がする」
ということである。
つまりは、
「この二つを組み合わせることにより、より大きな効力を発揮する」
ということが考えられるのではないか?
ということであった。
つまり、
「催眠術で賄えない部分を、薬が効力を倍増する」
ということにすればいいだろう。
しかも、
「薬を手に入れるための洗脳に、催眠術を使い、そこから薬を併合することで、麻薬密輸に使う国の元首をこちらの味方に引き入れることで、一石二鳥だ」
ということである。
そういう考え方として、
「まさかと思っている身近な人間が、悪の秘密結社によって、身代わりを立てられている」
という、いわゆる、
「カプグラ症候群」
という都市伝説が、今の世の中において、生まれてきたというのも、
「普通にあることなのかも知れない」
と言われるのではないだろうか?
ただ、この場合の、
「身代わり」
というものが、
「洗脳されている人間だ」
ということであっても、いいのではないかと思える。
「洗脳されているといっても、意識は普段の自分なので、悪いことをするという時だけ、その洗脳されている頭が働くということで、それこそ、催眠術のようなものではないだろうか?」
ということなのである。
だから、
「カプグラ症候群」
というものが、本当に、
「身代わり」
という形で、
「本人と入れ替わっている」
という考え方になるのか、それとも、
「同じ人間なのだが、洗脳されることで、相手に操られている」
ということになるのであれば、その効力は、
「麻薬にはない」
と言えるだろう。
あくまでも、
「人間の意志によるもので、相手が寝ていたり、意識がない状態で操るということによって、思いのままに操る」
ということにするのであれば、その効果を倍増させるという意味での、麻薬の効果がなければ、却って、洗脳するということは、難しいということになるのであろう。
そんな中で、
「最近行方不明者が増えている」
ということで、警察内部でも、それを、
「大きな社会問題」
ということで受け取る人もいるようだった。
しかも、今回は、政治家の中にも、気にする人がいて、
「これまでとは違う」
という感覚から、事件について、考えている人もいる。
それが、警察幹部であったり、政治家の中でも、異端児のような人であったりするのだが、今回は、警察の立場と政府の立場という垣根を越えて、考えるようになったことで、この問題が、水面下でありながら、いつの間にか結びついてきたということが言えるのではないだろうか。
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