第4話 催眠術
記憶喪失が治って戻ってみると、そこには、自分の身代わりがいた・
この発想は、少し難しい思いがあるのだ。
自分と同じ人間がいるというわけではなく、その立場の人間がいるということなのだが、実際にその立場の人間との付き合いが、相手が自分の時とまったく変わらあい様子であることに、違和感を感じるのであった。
最初は、
「記憶喪失だからしょうがない」
と言われていたことで、実際に、記憶喪失ではなくなると、そこまで贔屓的な目で見ていたものが、なくなってしまい、
「記憶が担保になってしまう」
ということで、戻っても、本来であれば、
「もう間に合っている」
という状態ではあるが、簡単に切り捨てるわけにはいかないということで、
「記憶喪失になった人には戻るところがある」
ということだ。
だから、
「記憶喪失になった」
というのが、本人に関係なく、
「本人が戻ることができる場所ということで、本人の意思に関係なおところで、いかに、記憶喪失を利用するか?」
ということになると、
「元々、本来戻ることになっているはずの場所に、誰が代役としているのか?」
ということを考えると、
「悪の秘密結社」
であったり、自分以外の何かで、都合のいいものだけがかかわってくるということになると思うと、
「とにかく、人間として都合のいいことではない」
と言えるのではないか?
と考えるのだ。
それはあくまでも、精神疾患における、
「疑心暗鬼」
であったり、
「猜疑心」
というものが、人間社会に埋もれていることで、
「悪の秘密結社」
というものが、その力を発揮しやすい存在になっているのではないか?
ということであった。
記憶喪失というのは、利用するのは、実に都合のいいものである。
というのは、
「記憶というものがなければ、人間は思考能力にも至ることができない」
ということである。
地球上の生物で、記憶というものが存在しているのは、人間だけなのではないだろうか?
と考える。
意識というものは、他の動物にはないといってもいいだろう。意識というものが、他人とのコミュニケーションであったり、お互いの行動や考えをすり合わせるということで必要なものであるとするならば、それを、
「悪の秘密結社」
というものが、本当にあるのかどうか?
そんなことを考えていると、
「自分の正当性を訴える」
という意味で、
「悪の秘密結社」
という存在は、
「なくてはならないものだ」
と言えるのではないだろうか?
「悪」
という
「仮想敵億」
という存在は、正当性を深めるということで、
「絶対に必要なものだ」
ということになるであろう。
「カプグラ症候群」
というものがある。
これは、
「自分の近しい存在の人たち、家族であったり、親戚、恋人などが、見た目には分からないが、実は、悪の秘密結社によって、別の人間と入れ替わっているのではないか?」
という妄想、錯覚というものがある。
と言われている。
これは、錯覚、妄想ということで、
「精神疾患だ」
と言えるのではないだろうか?
そもそも、この発想は、
「精神疾患」
ということから言われ始めたもので、昔からあるものではなく、
「ここ半世紀ほど前から言われ始めたことだ」
ということで、一種の、
「都市伝説のようなものだ」
と言ってもいいかも知れない。
「都市伝説」
というものは、
「最近言われ始めたものであり、その根拠に曖昧さが強い」
ということになるのだと言われている。
確かに、
「悪の秘密結社」
などという存在は、明らかに、
「根拠があいまいだ」
と言ってもいいだろう。
しかも、カプグラ症候群というのは、まるで、
「SFや特撮の物語を考えるために、一つの根拠として考えられることではないだろうか?」
と言えるのではないだろうか?
記憶喪失というものを、都合よく考えると、これも、
「特撮や、SFの発想に繋がってくる」
と言ってもいいのかも知れない。
だから、
「カプグラ症候群」
というものは、結構たくさんの物語で使われているもので、それも、話の本筋ということにしてしまうと、その、
「都合よさ」
というものが、
「記憶喪失」
と結びつけることが、重要になるのではないだろうか?
「カプグラ症候群」
というものを考える時、
「記憶喪失」
というものを、表に出してしまうと、
「そう簡単に、カプグラ症候群を、その理由として、悪の秘密結社というものと結びつけることができるということになるのだろうか?」
と考えるのであった。
「記憶が戻った人はまだいいが、なかなか記憶が戻らない」
という人も結構いたりする。
「記憶喪失というものが、どこまで都合よく使われているか?」
と言える状況もあったりする。
中には、記憶喪失の時間、
「まわりから手を出せない」
ということで、それを理由に、政治的に利用しようとしているということもなるのかも知れない。
最近、催眠術師のような人がいて、その人が、急に有名になってきたのであった。
催眠術師というと、
「どこか、怪しい」
ということで、普通であれば、
「悪徳商法」
であったり、
「何かの宗教団体ではないか?」
ということで怪しまれるものであった。
世紀末にあった、
「ノストラダムスの大予言」
というものを信じた人たちが、当時いろいろできていた、
「にわか宗教団体」
に入信し、
「死んだあとに、極楽に行ける」
という宗教を、
「正しい考え方だ」
ということで、その根拠に、
「ノストラダムスの大予言」
と結びつけるとすると、その発想が、
「歴史が答えを出している」
ということになるのではないだろうか?
宗教というものは、全世界にたくさんあるのだが、基本的には、いくつかに分かれるのではないだろうか。
ほとんどの宗教が枝葉であり、考え方によっては、
「キリスト教も、枝葉だ」
と言ってもいいだろう。
そんな中の一つに、仏教があるが、仏教思想というのは、日本の精神においては、かなりの影響があると言ってもいいだろう。
聖徳太子(厩戸王)の時代に、半島から伝わってから、それまで日本独自の国教との間に、わだかまりがありながら、さらなる宗派が増えてきて、
「日本だけでも、たくさんの宗派がある」
と言ってもいいだろう。
「そもそも、聖徳太子は、没卿を手厚く保護した」
と言ってもいい。
その聖徳太子を支えたのが、蘇我馬子であった。
当時蘇我氏は、仏教というものを弾圧し、国教を手厚く保護する物部氏との対立にて、
「物部氏を亡ぼした」
ということで、
「聖徳太子を補佐する」
ということを目的として、大和朝廷内での力を増大させていった。
そんな蘇我氏が、
「馬子、蝦夷、入鹿」
と、三代にわたって勢力を伸ばしてきたのだが、入鹿が、聖徳太子の子供である、
「山背皇子」
を亡ぼしたことで、入鹿は、朝廷内から反感を買った。
そのために、同じ皇太子として、
「明日は我が身」
という恐怖を感じた、
「中大兄皇子」
と、入鹿と、同じ格好で学びながら、その身分の違いとを痛感していた中臣鎌足とが手を結んで、
「蘇我氏滅亡」
というクーデターを計画した。
それが、
「乙巳の変」
という、いわゆる、
「大化の改新」
での、クーデターを引き起こしたということであろう。
これら一連の、皇太子暗殺であったり、蘇我氏へのクーデターであったり、すべてが、仏教が絡む問題だと言えるのではないだろうか?
そんな仏教の発想としては、
「この世で、いい行いをしておけば、あの世で極楽に行ける」
というのが、仏教の発想である。
これが本当に正しいのかどうか、疑問点が多いというものだ。
「あの世というものがどういうところなのか?」
ということは、あくまでも、妄想である、
「極楽浄土」
あるいは、
「地獄」
ということであり、基本的な発想として、
「輪廻転生」
という考え方から、
「人間は、基本的に生まれ変わる」
という考え方である。
生まれ変わることができない場合として、
「神の世界」
である、極楽浄土へ行けるという発想であり、それが、
「お釈迦様のいる世界」
ということで、その世界にいけば、人間界とは違う世界で、
「人間があこがれる世界」
と言える。
ただ、
「極楽浄土に行くには、そのために、長い間の修行によって、悟りを開いたごくわずかな人間がいける」
という発想であろう。
だから、ほとんどの人間は、
「輪廻転生」
によって、人間に生まれ変わるか?
あるいは、
「悪いことをこの世でしていたことで、エンマ大王のいる、地獄というところで、永遠の苦しみを味わう」
というものである。
考え方として、
「地獄で永遠の苦しみを味わう」
ということになるのか、それとも、
「畜生や虫などに、生まれ変わるか?」
ということになるかということである。
畜生であったり、虫に生まれ変わった場合は、人間の眼には、虫や畜生というものは、
「救われるべきもの」
ということではなく、
「殺されても仕方のないもの」
ということで、
「地獄の苦しみ」
よりもさらにきついのかも知れない。
だから、
「一度、畜生や虫となって生まれてくると、二度と人間に生まれ変わることはできない」
というのが、
「地獄の苦しみ」
に匹敵するものではないだろうか?
だから、
「死後の世界」
というものに、救いを求めるというのは、宗教の考え方としては、あり得ることではあるが、
「あくまでも、宗教の厳しい考え方というものを、この世の理屈に当てはめることで、都合よく解釈できる」
ということになるのではないだろうか?
それが、
「宗教の世界」
だと考えると。
「宗教というのも、都合のいいものでしかない」
ということになるだろう。
記憶喪失になった人の記憶を呼び戻そうと、催眠術師に頼むということをする人もいた。特に、
「記憶喪失の原因が、犯罪がらみである」
という可能性が強い時、警察がその旨を話して、記憶喪失になった原因を突き止めようと、催眠術師にお願いすることを話す場合がある。
家族の人たちは、賛否両論かも知れない。
「原因が分からないと、記憶も戻らない」
と考える人は、催眠術に頼るということもあるだろうし、逆に、
「犯罪がらみならなおさら、記憶が戻ることで、危険な目に遭う可能性があるのであれば、記憶なんか戻らない方がいい」
ということになる。
また、もう一つの考え方をする人がいた。
例えば、
「記憶が失われる前は、反抗期で、家族に暴力をふるったりして手が付けられなかったのに、記憶を失くしたおかげで、息子は大人しくなって、今は平和な家族になったんだから、放っておいてほしい」
という人がいたり、
また、
「せっかく一度は失った記憶だけど、記憶が戻ると、失ってからの記憶はどうなってしまうんですか?」
と訊ねると、
「なんとも言えないですね。記憶は消えることはないと思いますが、過去の記憶の方が印象に深かったり、記憶を失った時のショックが大きいと、過去の自分と今の自分を別のものという考えをしてしまったりすれば、記憶を失っていた時の自分を否定してしまったりする場合もあるでしょうね」
と医者は言っていた。
だから、記憶喪失というものを、
「なるべくしてなったものだ」
という、
「運命的なものだ」
と考えるのであれば、
「無理に思い出すことはない」
とも思える。
さらに、
「記憶を失った人が記憶を取り戻させようと、まわりが、いろいろ言うと、プレッシャーのようになり、激しい頭痛に襲われるということだってあるではないか」
という話になると、何も言えなくなってしまう。
確かに、記憶を取り戻してほしいという気持ちはあるが、それが、本人にとってどういうことなのかということを考えると、強制もできないし、苦しめることになると分かっているのに、それを無理強いすることもできない。
それを考えると、いくら催眠術とはいえ、
「もし、記憶が戻ってからどうなるかということは、記憶が戻ってからの本人にしか分からない」
ということである。
「せっかく、記憶を失ってからの方が、新鮮な意識で、まるで、
「人生をやり直している」
ということなのに、それを壊すことはできないというものだ。
しかし、これも別の考えがある。
「本人が前にいた世界では、待っている家族がいる」
ということも考えなければいけない。
今も、必死に探していることだろう。
捜索願も出しているだろうし、ただ、
「警察は動いてくれない」
ということを分かっているのかどうかは分からない。
人によっては、私立探偵を雇って、探している人もいるだろう。
これも探偵に頼む時、
「一応、警察に捜索願を出しておいた方がいいですよ」
とは言われるので、家族は、警察にも出しているはずだ。
本当に、何かの事件に巻き込まれているということだってある可能性があるからだ。
それを考えると、
「探偵としても、捜索をする時、警察に届けが出ている方が、やりやすい」
ということだってあるだろう。
家族は必死になって本人を探している。もし、何かの事件に巻き込まれた可能性があると言う時は、
「どこかで倒れているところを発見される」
ということが多いだろう。
「交通事故に遭った」
あるいは、
「海辺を歩いていて、海に落ちて、流れ着いたところを発見される」
などという場合である。
第一発見者がびっくりして警察と救急車を呼んで、病院に運ばれ、刑事が事情を聴こうとすると、医者から、
「患者さんは、記憶を失っている」
と言われ、そこであらためて、
「事件に巻き込まれた可能性が高い」
ということになり、警察とすれば、
「何としても、記憶を取り戻してもらわないと困る」
ということになるのだ。
記憶を失った人が、
「被害者なのか?」
あるいは、
「加害者なのか?」
ひょっとして、
「何かの目撃者なのかも知れない」
ともいえるだろう。
事件性がある以上、警察も動かないわけにはいかない。それを思うと、
「警察というものは、動いてほしい時には、まったく動こうとはしないくせに、動かなくてもいい時に、余計なことをする」
と思えるので、
「どれだけ警察というのが、税金泥棒なんだ」
と思っている人も多いことだろう。
もっとも、税金泥棒は、警察に限ったことではない。政治家のほとんどがそうではないか。
「警察や、政治家なんて、ろくなもんじゃねえ」
と思っている人も少なくはないだろう。
しかし、記憶喪失になった家族を、
「催眠術を使ってでも、記憶を取り戻させよう」
という家族がいるのも事実だろう。
何といっても、記憶を失う前は、
「家族の一員」
として、当たり前のように、毎日のように、笑顔の絶えない生活をしていたのだ。
そんな家族が、まるで、腑抜けになってしまったかのように、まったく今までのような反応をしてくれない。親などは、
「まったくすべてを忘れてしまったかのような息子を見るに忍びない」
ということで、
「一緒にいるだけで辛い」
ということになり、
「まるで、息子じゃないようだ」
と思えてくる。
子供が小さい時に離婚して、父親に親権を取られた母親でも、子供が大きくなってから出会ったとしても、
「母親なら、長年会っていなかったとしても、自分の子供なら絶対に分かるはずだ」
などというのを、ドラマなどでよく聞くセリフであるが、本当であろうか?
確かに、
「他人には分からない何かの力が働いている」
ということなのだろうが、それくらいのことは、当たり前として言われている。
しかし、
「いくら親だからと言って、分からなければいけない」
というのは、それこど、いわゆる、
「パワハラに近いものではないだろうか?」
何かの理由で、離婚しなければいけなくなり、親権を取られてしまったのだとすれば、母親には、
「幸せになる権利はない」
ということなのか?
と思えるのだ。
何かの事情があるということは、一方からだけの眼で見ると、片方は、どうしても悪者にされてしまう。本当にそれでいいのだろうか?
「記憶喪失を、催眠術で治す」
これは、倫理的に正しいことなのかを考えると、賛否両論というのも分かるということである。
やはり、人間の気持ちであったり、本心や本能のようなものを、他人が、何かの術のようなものを使って左右するというのは、倫理的には、まずいことになるだろう。
そのいい例が、
「洗脳」
ということになるに違いない。
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