第37話 過去の記憶と今の感情が交差
週末の朝、佐伯は車で桜子の家に向かっていた。再びあの洋館を訪れる約束の日がやって来たのだ。空は雲一つない青空が広がっていたが、どこか胸の奥に不安と期待が入り混じる複雑な気持ちが二人を包んでいた。
桜子が車に乗り込むと、佐伯は軽く微笑んで「準備はいい?」と尋ねた。彼の声には緊張がほとんど感じられなかったが、桜子はその穏やかさに少し驚いた。
「うん…実は、この前の夢で、私が見ていたのはただの夢じゃなくて、忘れていた記憶だったんだって、ようやく思い出したの。」桜子は窓の外を見つめながら、少し控えめにそう打ち明けた。
佐伯は驚きもせず、ただ頷いた。「そうか。なんとなく、そうなんじゃないかって僕も感じてたよ。君の反応や話す内容が、ただの夢とは思えなかったからね。」
桜子は彼の返事に少し戸惑ったが、次第にその冷静さに安心感を覚えた。「小鳥遊さんにも、呼んでおいたんだ。彼もこの場所に何か感じているみたいだし、三人でちゃんと話をするのがいいんじゃないかと思ってさ。」佐伯が続けた。
桜子は一瞬考え込んだが、すぐに頷いた。「うん、それがいいかもね。何か大事なことが、三人で向き合うことで見つかる気がする。」
車は静かに進み、二人は特に言葉を交わさずに洋館へ向かった。到着すると、和樹はすでに玄関の前で待っていた。彼は少し落ち着かない様子で、遠くを見つめていたが、二人が車から降りてくるのを見て微笑んだ。
「おはよう、二人とも。今日もまた、この場所に導かれるように来たよ。」和樹は柔らかな声で挨拶しながら、玄関の扉を見つめていた。
「おはようございます。なんだか、ここに来るたびに、ますます何かが近づいている気がするんです。」桜子が答えた。
「不思議なことばかりだよな。」佐伯も和樹に向かって頷き、三人は玄関を開けて洋館の中へと足を踏み入れた。
今日も、懐かしさと静寂が混ざり合った空間が彼らを包み込んだ。廊下を歩きながら、桜子は改めて夢の内容と現実の重なりを感じていた。
「この家には、僕が住んでいた頃に、君たちがよく遊びに来ていたんだね。たーくんとさーちゃん…その名前がずっと頭の片隅に残っていてさ。」和樹は、まるで遠い過去に思いを馳せるように静かに語り始めた。
「そう…たーくんって佐伯くん、そしてさーちゃんって私なんだ。子供の頃の記憶だったのに、すっかり忘れていたのが不思議で仕方ない。でも、ここに来て、何かがまた思い出される気がしてならないんだ。」桜子は少し緊張した声で、佐伯と和樹を見つめた。
「私も同じだよ。二人と遊んでいたあの時間が、まるで昨日のことのように思い出される。でもどうして忘れていたのか、どうして今になって思い出したのか…。」佐伯もまた、心の中にある謎を探るような口調で話した。
「きっと、何か理由があるんだ。僕たち三人がここに再び集まったのは偶然じゃないはずだ。」和樹は深く頷き、古びたリビングの方へと視線を向けた。
リビングには、当時使われていた古い家具がいくつか残っていた。そこにはバイオリンを練習していた和樹の姿や、ピアノの前に座るさーちゃん=桜子の幼い頃の姿が重なり合うように感じられた。
「ここで、さーちゃんはよくピアノを弾いてくれたんだよ。お世辞にも上手とは言えなかったけど、でも楽しそうに弾いていた姿が今でも目に浮かぶよ。」和樹は懐かしそうに微笑んだ。
桜子はその言葉に少し照れながらも、「そうだったんだね…。全然覚えていなかったけど、でもピアノを弾く感覚はなんとなく残っていたのかも。」と静かに答えた。
三人はしばらくその空間で、昔の記憶や夢の内容について語り合った。洋館はただの場所ではなく、彼ら三人にとって特別な意味を持つ場所であることが、次第に明らかになっていく。
そして、それぞれが過去の自分たちを少しずつ取り戻しながら、この場所に導かれた理由を解き明かすために、さらなる時間が必要だと感じていた。
和樹はしばらく無言のまま、昔の記憶が蘇るようにリビングの一角をじっと見つめていた。そして、ふと深く息を吸い込んで、顔を上げ、佐伯と桜子に向き直った。
「本当に、ごめん…。昔、急に引っ越してしまって、君たちに何も伝えられなかったこと、ずっと気になってたんだ。あの頃、仕事に必死でね、チャンスを逃したくなかった、君たちが訪ねてきてくれていたことが嬉しかったのに、それを無視する形で去ってしまったのは、今でも後悔している。」
和樹の声には深い謝意が込められており、その表情は真剣そのものだった。桜子は少し驚きながらも、優しい表情で答えた。
「そんなふうに思ってくれてたんだ…。でも、あの頃のことを思い出した今、小鳥遊さんが謝る必要なんてないと思う。私たちもずっと忘れていたし、再びこうして会えました。」
佐伯も同意するように頷きながら、「そうです、僕もまったく気にしてなかった。それよりも、今こうしてみんなでこの場所に集まれたことの方が大事だと思う。」
和樹は二人の言葉に少しほっとした表情を浮かべ、静かに頷いた。「ありがとう…。本当に、君たちに会えてよかった。」
しばらくして、静かな空気がリビングを満たした。桜子は昔の記憶を辿りながらも、ふと佐伯の方を見た。佐伯は和樹に向けていた視線を桜子に移し、何かを決心したように少し口を開いた。
「峰木…、ちょっと、僕も君に言いたいことがあるんだ。」
その言葉に、桜子は少し驚いた表情を見せたが、すぐに穏やかな微笑みを返し、佐伯の言葉を待った。
「僕は、君とこうして過ごす時間がすごく大事なんだ。ずっと、昔からずっと、君のことを頼りにしてきたし、今でも変わらない。でも、最近、自分の気持ちが変わってきているのに気づいて…」
佐伯は少し言葉を選ぶように間を置いてから、続けた。「ただの同期とか、友達としてじゃなくて、もっと特別な存在として、君のことを見てるんだ。初詣のときからずっと、伝えたいと思っていたけど、どうしても言い出せなかった。でも、今ここで、ちゃんと伝えたい。付き合ってほしい!」
桜子は目を見開き、佐伯の言葉に一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐにその気持ちが心に響いてくるのを感じた。
「佐伯くん…嬉しいよ、言ってくれてありがとう。」
桜子は柔らかい笑みを浮かべながら、「私も同じように感じてたかもしれない。ずっと、自分の気持ちが何なのか分からなくて、でも君と過ごす時間がいつも特別で…。夢のこともあって、最近は色んなことが繋がってきてる気がする。だから…私も、もっとちゃんと向き合いたい。」
その瞬間、二人の間に言葉では表せない特別な空気が流れ、過去の記憶と今の感情が交差するように、互いに強い絆が生まれた。
和樹は静かにその場を見守りながら、二人の心の結びつきが固まる瞬間を感じていた。
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