第35話 洋館の想いで
和樹は洋館のリビングに立ち尽くし、昔の記憶が鮮明に蘇ってくるのを感じていた。この家に住んでいた頃、バイオリンの練習をしているとき、近所の子供たちがよく遊びに来ていた。和樹は、最初の出会いのことを特によく覚えていた。
「バイオリンを弾いている最中だったんだ」和樹は微笑みながら、昔のことを語り始めた。「その日は確か、いつも通り練習に集中していて、静かに弓を弾いていたんだ。そしたら突然、玄関の方からドタバタと走る音が聞こえてね。ドアがいきなり開いて、小さな子供が二人飛び込んできたんだよ。」
和樹はその瞬間を懐かしそうに思い出し、リビングの壁を見上げた。「その子たちはまだ小さくて、私がバイオリンを弾いているのを見て、ただ黙って立っていた。まるで音楽に引き寄せられたみたいにね。その時は少し驚いたけど、なぜかすぐに安心したんだ。」
和樹はさらに続けた。「その後、その子たちは時々この家に遊びに来るようになったんだ。バイオリンを弾いていると、ふらっと現れて、一緒に遊んだり、音楽を聴いていたりした。いつも好奇心旺盛で、私が弾くたびにじっと見つめていたんだよ。」
桜子と佐伯は、和樹の話を聞きながら、その子供がもしかしたら夢の中の子と同じなのかもしれないという思いが頭をよぎった。桜子が口を開いた。
「その子たち、どうして急に来るようになったんでしょうね?バイオリンに惹かれたのかな?」桜子の目には、不思議な興味が湧き始めていた。
和樹は少し考え込むように、窓の外に目を向けた。「もしかしたら、音楽がその子の心に響いたのかもしれないな。あの頃は、まだ自分もバイオリンの練習に必死で、ほかのことに気を取られることは少なかったんだけど、その二人だけは例外だった。いつも自由で、まるでこの家が彼にとっての遊び場みたいに、自然にここに馴染んでいたんだ。」
和樹は、さらに記憶を掘り起こすように、ゆっくりと語り始めた。「その子たち、名前はたしか、男の子が『たーくん』で、女の子は『さーちゃん』って呼んでいたんだよ。二人ともすごく仲が良くて、この家に遊びに来る前に、偶然どこかで知り合ったみたいだった。」
和樹は思い出しながら、懐かしそうに微笑んだ。「たーくんは活発で、いつもエネルギッシュだった。さーちゃんは、少しおとなしいけど、たーくんと一緒だととても楽しそうだったな。僕がバイオリンを弾いていると、二人で並んでじっと聴いていて、時々目を輝かせながら僕に質問してくることもあった。」
桜子と佐伯はその話に聞き入っていたが、桜子がふと疑問を口にした。「その子たち、どこの子だったんですか?近所の子ですか?」
和樹は首を少し傾けて考え込むようにした。「それがね、どこの子かは結局わからなかったんだ。いつも来るたびに、遊び疲れると『公園の上』とか『公園の下』って言ってたよ。近くにあった小さな公園のことを話しているんだろうけど、その頃は特に気にしてなかったんだ。」
「公園の上と公園の下…」佐伯がつぶやくように繰り返した。
和樹は頷きながら続けた。「この家のすぐそばに小さな公園があったんだ。今は区画整理でなくなってしまったけどね。二人はいつもその公園からこの家に来ていたみたいだったんだ。公園で遊んでいる最中に、ふらっとこの家に立ち寄る、そんな感じで。」
「今はもう、その公園もなくなっちゃったんですね。街並みもすっかり変わってしまって…」桜子が少し寂しそうに言った。
和樹は窓の外を見ながら、少し切なそうに頷いた。「そうなんだ。僕が住んでいた頃とは、まるで別の街みたいに変わってしまった。区画整理のせいか、家も公園も消えてしまって、昔の面影はほとんど残っていない。だから、こうして久しぶりにこの家に来ると、懐かしさと同時に、不思議な感覚に包まれるんだ。」
桜子と佐伯も、その変わってしまった街並みの話を聞きながら、今自分たちが立っている場所の意味を考え始めていた。夢の中の洋館と現実の洋館が、過去と現在をつなぐ鍵となっているような気がしてならなかった。
和樹はさらに思い出すように、少し考え込んだ。「たーくんとさーちゃん、彼らのことをもう少し覚えていればよかったんだけど…でも、二人ともこの家に馴染んでいて、まるで自分たちの家みたいに過ごしていたんだ。」
和樹は少し笑いながら話を続けた。「そういえば、この家にはピアノもあってね。さーちゃんは『自分は弾けるから』って、誇らしげにピアノの前に座って、自分の知ってる曲を披露してくれたんだよ。確か、簡単な曲だったと思うけど…。お世辞にも上手とは言えなくて、むしろぎこちなくてね。」
和樹のその言葉に、桜子と佐伯も思わず微笑んだ。
「でも、その一生懸命な姿がなんだか可愛らしくて、僕も『うん、いい感じだね』なんて言いながら聞いていたんだ。今思えば、あの時の彼女の真剣な顔が今でも頭に残ってる。」
桜子は和樹の話を聞いて、自分の夢に出てきた下手くそなピアノの音を思い出し、不思議な気持ちが胸に広がった。「もしかして…私が夢で聞いているピアノの音って、その時のさーちゃんの演奏だったのかもしれない…。」
「実は、あの子たちにはちゃんと話をしないまま、急に引っ越してしまったんだ。仕事の都合で急に決まってね。いつも遊びに来てくれたたーくんとさーちゃんには、ちゃんとお別れを言えなかったんだよ…。それが今でも心残りで、後悔してる。」
桜子はその言葉に少し驚きながらも、和樹の表情から深い後悔の念を感じ取った。佐伯も黙って彼の言葉を聞いていた。
「たーくんもさーちゃんも、本当に純粋で、毎回楽しそうに家に来てくれてたんだ。それなのに、僕は何も言わずに去ってしまった。きっと、あの子たちはどうして突然会えなくなったのか、戸惑っていたと思うんだ。」
和樹は続けて、「いつか、どこかで再会できたら…謝りたかったんだ。突然姿を消したことを、ちゃんと説明して、『ありがとう』って伝えたかったんだよ。でも、それができずに今まで来てしまったんだ。」と、少し寂しそうに笑った。
桜子は和樹のその姿に、心が締めつけられるような感覚を覚えた。「もしかしたら、その子供たちは今でも小鳥遊さんを覚えているかもしれませんね。」
しばらくの間静かに考え込んでいてから、ふと顔を上げて穏やかな微笑みを浮かべながら言った。
「そうだな…。もしかしたら、また何かが始まるのかもしれない。たーくんとさーちゃんに対して、僕が果たせなかったことが、今こうして別の形で繋がっている気がするよ。」
三人は洋館の中をもう一度見回し、静かに玄関へ向かった。和樹が一歩先にドアを開け、冷たい外の空気が入り込んできた。冬の夕暮れは早く、外はもう薄暗くなっていた。洋館の外に出ると、三人はしばらくの間、振り返ってその古い建物を見上げた。
和樹は小さく微笑んだ。「この場所には、確かに特別な何かがあるのかもしれないな。今日こうして再びここに来て、昔のことを思い出すことができたのは、何か意味があるのかも。」
三人はそれぞれの思いを胸に、車へと向かう。和樹は自分の車に乗り込み、佐伯と桜子に軽く手を振りながら去っていった。
「じゃあ、峰木、送っていくよ」と、佐伯は車のドアを開けて彼女を乗せた。
車が静かに走り出すと、二人の間にしばらく沈黙が続いた。桜子は車の窓越しに、流れていく街の風景を見つめながら小さく頷いた。「夢で見たことが、現実に繋がっているなんて…。小鳥遊さんが言ってた子供たちも、私たちと何か関係があるのかな。」
「そうかもしれない。たーくんとさーちゃん、どこか懐かしい響きだよな。もしかしたら、俺たちもその二人と繋がっているのかもしれない。」佐伯は慎重に言葉を選びながら、桜子に視線を向けた。
「本当に不思議なことが続いているよね…。でも、今は佐伯くんが一緒にいてくれるから、少し安心してる。」桜子は、静かな声で言った。
佐伯はその言葉に心の中で少し温かさを感じ、桜子に優しく微笑みかけた。「僕もだよ。こうやって一緒に話せるのが嬉しい。」
会話をしながら車は進み、桜子の家に近づいてきた。静かな住宅街に入ると、佐伯はスピードを落として、慎重に運転を続けた。
「今日はありがとう、佐伯くん。また明日…」桜子は、車から降りる前に微笑んでお礼を言った。
「うん、また明日。」佐伯も笑顔で答え、桜子が家に入るのを見届けた後、車を発進させた。
自分の家へと帰る途中、佐伯は洋館での出来事や和樹との会話を思い返しながら、「不思議な縁がまだ続いているのかもしれないな…」と心の中で呟いた。
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