第34話 もう一度あの洋館に

佐伯は夢の余韻が抜けないまま、しばらく考え込んでいた。夢の中で聞いた不協和音のピアノと、桜子との不思議な繋がり。ふと、彼は桜子にこのことをどう伝えるべきか悩んだ。


「こんな話、信じてもらえるのか…?」そう呟いて、自分でも何か現実感が薄れていくような感覚に戸惑った。


一方、同じ夜、桜子も彼女もまた夢の中で、リビングの中でバイオリンの音が響き、それに伴ってピアノの下手な演奏が聞こえてくる。桜子はその音に聞き覚えがあるように感じ、なぜか切なさが胸に込み上げてきた。


「この音…まるで、私がピアノを弾き始めた頃のようだわ…」夢の中で、桜子はそう思った。幼い頃、母親に教えられたピアノの記憶が蘇る。最初は鍵盤を間違えてばかりで、何度も母親に叱られながら練習した記憶が、心の奥底から引き出されてくる。


「これは…私の記憶かも?」桜子はそう感じた。ピアノの音、バイオリンの調べ、そして夢の中の洋館。それらが不思議な連続性を持って繋がっていることに気づき、彼女の胸にわだかまりが広がっていた。


「やっぱり…この夢には何か意味があるんだわ…」桜子は、胸の中でそう呟いた。そして、ふと、佐伯の顔が浮かんだ。


「佐伯くんも同じ夢を見ているんじゃないかしら…?」桜子は疑念を抱きながら、次に彼と話す時、この夢について相談しようと心に決めた。


数日後、昼休みに二人はカフェで待ち合わせて互いに最近の出来事を話すうちに、ついに夢の話をすることになった。


「実は…最近、夢でピアノの音が聞こえるんだ。でも、その音がすごく下手で、まるで子供が弾いているみたいなの」と、桜子が切り出すと、佐伯は驚きの表情を隠せなかった。


「峰木も…?実は、僕も同じ夢を見てるんだ。ピアノの音がひどくて、でも懐かしい感じがする。しかも、あの洋館も夢に出てくる…」


二人は顔を見合わせ、言葉にならない不思議な共感が心に広がった。夢の中の洋館、そしてピアノの演奏。そのすべてが二人の心を引き寄せている。


「これは偶然じゃない…」と、桜子は確信するように呟いた。佐伯も頷き、二人は再びあの洋館に訪れることを決意した。


「週末に、管理会社からカギを借りる約束はできている、もう一度あの洋館を訪れよう。そして、何がこの夢に関係しているのか、確かめよう」と二人とも同意した。


週末の昼間、佐伯は管理会社から洋館のカギを受け取り、桜子を迎えに行くため車を走らせていた。いつも通りの運転だったが、今日は何か特別なことが起こる予感がして、少しだけ胸が高鳴っていた。


桜子を迎えに来ると、彼女は静かな笑顔で車に乗り込んだ。「おはよう佐伯くん」と笑顔であいさつすると「おはよう峰木」と照れたようにあいさつを返した。ドアを閉める音が静かに響き、車内には穏やかな空気が流れ始めた。エンジンをかけ、佐伯は再び洋館へと向けて車を発進させた。


しばらくの間、二人は黙って外の風景を見ていたが、桜子がふと口を開いた。


「今日はついに中に入れるのね…なんだか、少し緊張するわ。」


佐伯は横目で桜子を見て、軽く笑みを浮かべた。「僕もだよ。あの場所に足を踏み入れるのが、どんな気持ちになるか、まだ想像できないけど…でも、きっと何かを見つけられる気がする。」


桜子は少し考え込むようにして、「夢で何度も見ていた洋館だから、実際に中に入ることで何かが解けるような気がするの。でも、ちょっと怖い部分もあって…何が待っているのか、全然予想できないのよ」と言った。


「わかるよ。僕も、ずっと夢の中であの洋館を見てきたし、今日やっとその場所をちゃんと確認できるんだと思うと、気持ちが落ち着かない。だけど、なんだか懐かしい気持ちも強いんだ」と佐伯は言いながら、少しハンドルを握る手に力を入れた。


「そうね…。あの夢の中で感じた懐かしさって、私たちにとって何か意味があるのかしら。現実でもこうして一緒にいることが不思議で仕方ないわ。」


桜子の言葉に、佐伯は少し間を置いてから答えた。「たぶん、意味はあるんだと思う。夢の中だけじゃなくて、現実でもこうして偶然が重なっているし、何か大きな力が僕たちを導いているような気がする。」


桜子は小さく頷き、「そうかもね。佐伯くんと一緒にここまで来たのも、運命なのかもしれないわ。これまで夢で見た断片が、今日少しずつ繋がっていく気がするの」と、遠くを見つめるように呟いた。


「峰木、もし何か見つかったら、ちゃんと一緒に向き合おう。それが何であっても、僕たち二人なら解ける気がするんだ」と、佐伯は少し緊張した表情で言った。


桜子はそんな佐伯の言葉に安堵し、少し笑顔を浮かべた。「ありがとう、そうね。二人ならきっと大丈夫ね。」


その後も二人は時折会話を交わしながら、洋館へと車を走らせた。道中、時折二人は思い出話やお互いの夢について話しながら、気持ちを落ち着かせようとしていた。やがて、あの洋館が見えてきたとき、二人は言葉少なにその光景を見つめた。


「とうとう、ここまで来たね…」と佐伯が静かに呟いた。


桜子もまた、深く息を吸って「そうね…いよいよね」と、少し緊張した声で応じた。


車は静かに洋館の前に停まり、二人は深い呼吸をしてから降り立った。


佐伯と桜子は車を降りると、目の前に立つ洋館をじっと見つめた。夢で何度も見た場所が、こうして現実の前にあることに二人とも不思議な感覚を抱いていた。冬の澄んだ空気が周囲を包み込み、わずかに冷たい風が吹き抜ける。


「やっぱり夢で見た通りだね…細かいところまでそっくり。」桜子がそう呟きながら、洋館の窓や玄関のあたりを眺めた。


二人はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて佐伯が鍵を取り出し、扉の方に歩み寄った。カギを手に持ちながら、彼は少し躊躇するように立ち止まった。


「本当に中に入っていいのかな…。少し怖くなってきたよ」と佐伯がぽつりと呟いた。


桜子は彼の肩に軽く手を置き、優しく微笑んで答えた。「大丈夫よ、佐伯くん。私たち二人なら、きっと乗り越えられる。今まで一緒に夢を見てきたんだもの、きっと何か意味があるわ。」


その言葉に背中を押されるように、佐伯は小さく頷いてから鍵を差し込み、ゆっくりと扉を開けた。軋む音が静かな空気に響き、扉は重々しくもゆっくりと内側に開かれた。


二人はしばらくの間、玄関に立ったまま中を見渡した。木の廊下、古びた壁紙、そして窓から差し込む淡い光が夢で見た光景とまるで重なる。桜子は息を呑みながら、「やっぱりここ…夢と同じ場所だわ…」とつぶやいた。


佐伯も頷き、「本当に…。ここに来ることが運命だったのかもしれないな。」と感慨深く言った。


二人はゆっくりと洋館の中を歩き始めた。リビングと思われる広間に足を踏み入れると、そこには古い家具や雑然としたものがそのまま残されていた。何十年も前のものが、そのまま時が止まったかのように。


「こんな場所があったなんて…ここで何があったのか、気になるね」と佐伯が言った。


桜子は夢の中で何度も見たリビングを思い出しながら、「この場所…ここで子供たちが遊んでいたのかしら。でも、どうしてそんな夢を見続けているのか、まだ分からない…」と呟く。


「それに、夢の中で感じたあの懐かしさ…不思議だよな。初めて来た場所のはずなのに、ずっと前から知っていたような気がするんだ。」佐伯も同じように考え込んでいた。


洋館の静けさに包まれていた桜子と佐伯は、突然背後から玄関の軋む音を聞いて、二人とも一瞬息を呑んだ。お互いの目を見つめ、身構えるように体を固くした。


「誰か入ってきた…?」桜子は小さく囁いた。佐伯も無言で頷き、慎重に音の方を見やった。廊下に目をやると、玄関からのわずかな光が差し込み、その中に見慣れないシルエットが現れた。心拍が速くなるのを感じながら、二人はじっと様子を見守った。


「誰だ?」佐伯が声を出すと、入ってきた人物がゆっくりと顔をこちらに向けた。


「ごめん、驚かせたみたいだね」穏やかな声が響いた。


光の中から現れたのは、小鳥遊和樹だった。彼は少し微笑みながら手を上げ、「ここに車が止まっていたから、誰かいるんじゃないかと思って…」と説明した。


「小鳥遊さん…!」桜子が安堵の表情を浮かべながら彼の名前を呼ぶ。


「まさかここで会うとは思わなかったな」佐伯も驚いた表情を浮かべながら、緊張が解けた様子で笑った。


和樹は玄関に立ったまま、古びた洋館の内部を見渡していた。「久しぶりにこの場所に来たよ…懐かしいな。誰も住んでいないって聞いてたけど、こんな状態で残ってるとは思わなかった。」


彼はゆっくりと中に入りながら、壁に触れたり、周りを見回したりしている。「私は数十年前にここに住んでいたのだよ。」


桜子と佐伯は、その言葉に驚き、互いに顔を見合わせた。「ここで…住んでいただって?」桜子が聞き返すと、和樹は頷きながら答えた。


「そう。昔、この家に住んでいてね、2年ほど住んでいたが急に仕事で国外に引っ越してしまった。当時のことを思い出すと、ここにかなり御気に入りの家で特別な感覚があるんだよな。」和樹は言いながら、リビングの方へと進み、懐かしそうに部屋の中を見回した。


「特別な感覚…」桜子は呟くように言い、まるで和樹の言葉が自分の気持ちと重なるように感じた。彼女もこの洋館に入ってから、不思議と懐かしさを感じていたからだ。


「それにしても、二人ともどうしてここに?」和樹は振り返り、穏やかな表情で二人に尋ねた。


佐伯が一瞬言葉に詰まりながらも答えた。「実は、桜子と僕、ずっと同じ夢を見ていてね…その夢に、この洋館が出てくるんだ。」


和樹ははっとした顔をした後、興味深そうに眉を上げ「夢でこの場所を…?それは興味深いね。どういう夢なんだ?」と、さらに尋ねた。


桜子が口を開き、夢の内容を和樹に説明した。「最初はただの廊下や外観しか見えなかったんだけど、最近はリビングや家具が出てくるようになって…。そして、シルエットだった大人の男性と子供の姿が、少しずつはっきり見えるようになってきたんです。」


和樹はその話を聞いて、深く頷きながら、「まるでこの家が二人に何かを伝えようとしているみたいだな」と言った。彼の目には、過去の思い出が蘇っているような懐かしさが感じられた。


「私も最近、この家のことが頭から離れなかったんだよ…それで、ちょっと寄ってみたんだが、まさか二人に会うとは思わなかったな。」













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