第33話 夢の続き

桜子は車を降り、夜の静寂の中で立ち止まった。家の前に立つと、しばらく車の中にいる佐伯に向けて手を振り、柔らかい笑顔を浮かべた。佐伯もそれに応えるように微笑んだ。


「また連絡するね」と、桜子は静かに言った。


「うん。休みの日、また一緒にあの洋館に行こう。何か進展がありそうな気がするからさ」と佐伯は答え、車の窓越しに桜子の姿を見送った。


桜子が家の中に入るのを確認し、佐伯はゆっくりと車を発進させた。桜子の言葉や表情が頭に残りながら、彼は自分の中で何かが大きく動き出しているのを感じていた。あの夢の中の洋館、シルエットの人物たち、そして桜子と共有している不思議な感覚…。全てが自分たちを何かに導いているように思えた。


車の中は、再び静寂が戻ってきた。佐伯は運転しながら、桜子との会話を思い返していた。夢の内容、洋館のこと、そして桜子との距離が少しずつ縮まっている感覚――それらが彼の心を揺さぶり続けていた。


「あの洋館には、何か重要な意味があるのかもしれない…」佐伯は小さく呟いた。どうして二人が同じ夢を見て、同じ洋館に引き寄せられたのか。その謎が解ける日が来るのだろうかという期待と不安が混じり合っていた。


家に帰ると、佐伯は静かな部屋の中で一息つきながら、何度も繰り返し頭に浮かんでくるあの洋館の光景を思い出していた。


その夜、佐伯は再び夢を見た。


夢の中で彼は、またあの洋館にいた。今度は、いつもよりもはっきりとした光景が広がっていた。玄関を抜けて広がる長い廊下、壁には古い絵画が掛けられ、窓から差し込む月明かりが床を照らしている。そして、廊下の先にはリビングのような広い部屋があり、そこに見知らぬ家具や飾りが置かれていた。


その部屋の奥に、大人の男性と女の子が立っていた。以前はぼんやりとしか見えなかったシルエットが、今でははっきりと姿を現している。大人の男性は、どこか落ち着いた雰囲気で、佐伯を見つめている。 女の子は無邪気に笑い、部屋を駆け回っている。


「君たちは誰なんだ…?」佐伯は夢の中で、無意識にその二人に問いかけた。


だが、二人は答えることなく、ただ静かに佐伯を見つめていた。やがて、部屋の中にバイオリンの音が響き始めた。それはどこか切なく、懐かしいメロディーだった。

しかし、今回はいつもとは違っていた。バイオリンの美しい音色の背景に、もう一つの音が混じっている。ピアノの音だった。


だが、そのピアノの音は耳に引っかかるものだった。リズムは不安定で、まるで鍵盤を間違えて弾いているかのように、音が外れる。それは明らかに初心者の演奏、

「なんだ、このピアノの音は…?」夢の中で、佐伯は混乱した。バイオリンのメロディに合わせてピアノが弾かれているが、その不協和音は不快感を覚えるほどだった。リビングの中に誰かがいる気配がして、彼はその方向を見つめたが、シルエットがぼんやりとしか見えない。


「誰がピアノを弾いているんだ?」佐伯は心の中で問いかけた。彼はリビングの中に歩み寄ろうとしたが、足が前に進まない。まるで見えない力に阻まれているかのように、体が動かなかった。


ピアノの演奏はますますひどくなり、つたない演奏が続いた。その音は不安定で、まるで子供が無理やり楽譜を読みながら弾いているようだった。


次に目を開けたとき、佐伯は夢の中で感じた不安がまだ胸に残っているのを感じた。彼は体を起こし、深く息をついた。「あのピアノの音…峰木も同じ夢を見ているのかもしれない」と、佐伯はぼんやりと天井を見上げながら呟いた。

「一体何を示しているんだ…?」佐伯は深く息を吐きながら、夢の中で聞こえたバイオリンとピアノの音を思い出していた。それが何を意味するのか、彼はまだわからなかったが、次に訪れる洋館でその答えが見つかるかもしれない、そんな気がしていた。


一方、佐伯と別れて桜子は家に帰ると、玄関で迎えてくれた母親に「ただいま」と声をかけた。母親は夕食の片付けを終えたばかりで、優しい笑みを浮かべて桜子に応えた。


「おかえりなさい。演奏会はどうだったの?」と、母親は興味津々で聞いた。


「すごく良かったよ。佐伯くんの演奏も見られたし、それに…びっくりすることがあったの。小鳥遊和樹さんっていう有名なバイオリニストがゲストで来てて、一緒に演奏してたんだよ。和樹さんの演奏、本当に素晴らしかった。」桜子は、まだ興奮が冷めやらぬ様子で話を続けた。


「まあ、それはすごいわね!有名なバイオリニストなんて、そんな人と同じステージに立てるなんて佐伯くんも大変だったでしょうね。」母親も驚いたように話を聞き、桜子の顔をじっと見つめた。


「うん、佐伯くんもすごく緊張してたみたいだけど、やっぱり演奏はかっこよかった。佐伯くん、昔から真面目だし、すごく努力してたんだろうなって思う。

最近、少しピアノを弾いてるけど、やっぱり昔みたいにはいかないね。でも、演奏会を見てたら、もっと頑張ってみようかなって思ったよ。」桜子は少し照れくさそうに言い、母親は嬉しそうに頷いた。


「またピアノを始めたんだなんて、なんだか懐かしい気持ちになるわ。弟も喜んでたものね、あなたがピアノを弾くのを聞くと。」母親の声には、懐かしさと共にどこか誇らしさも滲んでいた。


桜子は母親の言葉に微笑み、「ありがとう、これからも続けてみるね」と答えた。


その夜、桜子は自室に戻り、演奏会の余韻を感じながらベッドに横になった。ふと目を閉じると、心が静かに落ち着いていくのを感じた。そして、いつの間にか夢の中へと引き込まれていった。


夢の中で桜子は再びあの洋館にいた。今回はこれまでとは違う感覚があった。廊下を歩き、玄関からリビングへと進むと、今までよりも細部がはっきりと見える。リビングの家具や飾り、昔の家のような温かな雰囲気が漂っていた。


そして、耳に聞こえてきたのは「愛の挨拶」の曲だった。これまではぼんやりとしていたバイオリンのメロディが、今夜は驚くほどクリアに聞こえてくる。しかし、そのメロディの中に混じって、もう一つの音が聞こえてきた。ピアノの音だ。


だが、そのピアノはひどく不格好で、まるで習いたての子供が無理に鍵盤を叩いているかのようだった。曲が進むごとに音が外れ、リズムも不安定。バイオリンの美しい音色とは対照的に、どこか痛々しいほどの下手さがあった。


「このピアノは…誰が弾いているの?」夢の中で桜子は不安そうに声を出す。しかし、その答えは返ってこなかった。ピアノを弾いている人物がはっきりと見えないまま、ただその下手な演奏が続く。


夢の中で桜子は胸がざわざわするような感覚を覚え、目が覚めた。


彼女は布団の中で深呼吸をしながら、夢の内容を反芻していた。「愛の挨拶…ピアノの音が混じっていた。でも、あんなにひどい演奏だったなんて…」と、自分の中で不思議な気持ちがこみ上げてきた。夢の中の音楽が、現実の彼女に何かを示唆しているような感覚があり、桜子はその答えを見つけるために、再び洋館へ行く決意を新たにした。


翌日、佐伯は管理会社に連絡を入れ、あの洋館のことについて尋ねた。空き家であることは間違いないが、何か手がかりがあるかもしれないと考え、桜子との約束の日を待ち望んでいた。







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