第32話 夢の場所
演奏会が終わり、佐伯と桜子は仲間たちと一緒に食事に誘われたが、今日は疲れたからと帰ることを選んだ。佐伯は桜子を家まで送っていくために二人は静かな夜の街を歩きながらを選んだ。浜松の街はすでに夜の帳が下り、街灯の温かい光が二人の影を長く映し出していた。心地よい緊張感が解け、佐伯の車が置いてある駐車場まで遠回りをしながらゆっくりとしたペースで会話を交わしながら歩いていた。
「今日の演奏、すごく良かったよ。佐伯くん、久しぶりだなんて思えないくらい、すごく感動した。」桜子は佐伯の顔を見上げ、少し頬を赤らめながら素直に感想を伝えた。
「ありがとう…実はすごく緊張しててさ。久しぶりのステージだし、演奏中も手が震えてたんだ。でも、最後までやりきれてよかったよ。」佐伯は照れたように笑い、深呼吸をするように肩の力を抜いた。
歩いているうちに、二人の足が自然と向かっていた場所があった。静かな住宅街に差し掛かった時、ふと佐伯が目にしたのは、夢の中で何度も見たことのある洋館だった。止まっていた足が自然に動き、彼は洋館に目を向けて驚いた声を上げた。
「峰木、あれ…夢に出てきた洋館じゃないか?」佐伯が少し信じられないように言った。
桜子も驚いたように目を見開き、その建物を見つめた。「本当だ…。私もあの夢で何度も見てきた。あの独特の形の窓と…壁の装飾…間違いないわ。」
二人は立ち止まり、洋館をじっと見つめていた。周りは静まり返り、まるでその場所だけが時間から切り離されているかのような不思議な感覚が漂っていた。古い屋根やレンガ造りの壁、そして特徴的なステンドグラスの窓が、夢で見た光景そのままだった。
「どうしてだろう…まるでこの洋館が私たちを呼んでいるみたい。」桜子がつぶやいた。
「そうだな…まるで僕たちが来るのを待っていたみたいだ。」佐伯は頷きながら、懐かしさと不安が入り混じる不思議な感覚を抱いていた。
「でも、夢の中ではもっと中に入って、色々な部屋を見たわよね。リビングとか、古い時計がある廊下とか。」桜子がその記憶を思い返すように語る。
「そう、あの柱時計。夢の中では止まっていたけど、今もあの場所にあるんだろうか?」佐伯も同じように夢の中の光景を思い返していた。
二人の間に静かな沈黙が訪れたが、それは気まずさではなく、不思議な縁を感じている沈黙だった。まるで過去にここで一緒に何かを経験したかのような、懐かしさが心に広がっていた。
「でも、今は空き家みたいだね。」佐伯がそう言って、少し歩み寄って扉に目をやった。鍵がかかっているのが確認できた。
「そうみたい…でも、どうしてこんなに懐かしく感じるんだろう。夢で見たからってだけじゃないような気がする…」桜子は手を胸に当て、考え込むように言った。
「僕も同じだよ。ここに初めて来たはずなのに、ずっと知っていたみたいな感覚がある。」佐伯も夢と現実が交錯するような不思議な感覚に戸惑っていた。
夜も更け、二人はそのまま洋館を立ち去るのは惜しいように感じていたが、時間も遅くなっていた。
「今は中に入れないけど、管理会社に連絡すれば中を見せてもらえるかもしれない。」佐伯が提案した。
「そうね…どうしても中が気になるし、何か解き明かすべきことがあるような気がする。」桜子も同意した。
「じゃあ、僕が明日、管理会社に連絡してみるよ。次の休みに、またここに来ようか。」佐伯は桜子を安心させるように微笑みながら言った。
「うん、お願いね。」桜子も頷き、二人はもう一度洋館に目を向け、夜の静寂の中でその姿を心に刻み込むように見つめた。
こうして二人は、再び訪れる約束をし、その場を後にした。
佐伯と桜子が洋館を後にしてから、夜はさらに深まり、静けさが増していった。月明かりがぼんやりと洋館の古い壁を照らし、その影が不気味に揺れている。まるで洋館自体が長い時間の流れの中で何かを語ろうとしているかのように、静かな気配が漂っていた。
そんな中、しばらくしてもう一人の訪問者が現れた。小鳥遊和樹だった。彼はまるで導かれるように、洋館の前に足を止め、じっとその建物を見上げた。目の前に広がるこの光景が、彼に深い懐かしさをもたらしていた。
「ここか…久しぶりだな…」和樹は心の中でつぶやき、感慨深げに洋館を見つめた。
彼は数十年前この洋館に住んでいた記憶がかすかに残っている。ここでの時間は、どこか曖昧で夢のような感覚に包まれていたが、その思い出は決して消えることはなかった。洋館の廊下、部屋に置かれていた家具のひとつひとつ、過ごした日々。すべてが今、目の前にあるこの古びた建物に詰まっているように感じられた。
和樹は、ゆっくりと歩み寄り、扉の前に立った。扉の取っ手に手をかけるが、もちろん鍵がかかっていて開けることはできない。それでも、彼はその冷たい取っ手に触れることで、かつての時間とつながる感覚を抱いていた。
「昔と変わらないな…中はどうなっているんだろう…」和樹は小さく呟き、かつてこの場所で過ごした自分と向き合っているようだった。
彼の記憶の中では、この洋館は不思議な場所だった。以前過ごしたその時間が今も心の中で強く残っている。そして、その思い出が今の自分に何かを語りかけようとしているような気がしてならなかった。
「気に入っていた場所ではあったが、ここで何があったんだっけ…?大拙なことを忘れているような...」和樹は記憶の中にあるぼんやりとした断片を掴もうとしたが、はっきりとした答えは見つからなかった。
それでも、この場所が彼にとって特別な意味を持っていることは確かだった。洋館の前で過去の自分を思い出し、彼はもう一度、その意味を探ろうとしていた。
夜風が静かに彼の頬を撫で、和樹は洋館にもう一度目を向けた。「また、来よう…。きっと、何か見つけられるはずだ。」
そう呟いた和樹は、扉を見つめ続け、しばらくの間その場を離れようとしなかった。
佐伯は桜子を車で家に送る途中、車内には落ち着いた静寂が広がっていた。窓の外に見える街の光は、ゆっくりと流れ、桜子の家に向かう道を淡々と照らしている。夜も深まり、どこか安らぎを感じさせるような時間だった。
「さっきの洋館…本当に夢の中で見ていた場所だよね。」桜子がぽつりと話し始める。
佐伯はハンドルを握りながら、頷いた。「ああ、僕もそう思う。夢の中で何度も見た場所が、現実に存在するなんて不思議だよな…。本当にあの場所が、夢に出てくるなんて。」
桜子は窓の外を眺めながら、小さく息を吐いた。「あの洋館の廊下や部屋の感じ、今でもはっきり覚えてるの。最初はただ夢だと思ってたけど、最近はすごくリアルで…それに、シルエットだった大人の男性と男の子が、少しずつはっきり見えてきているんだ。」
「僕も同じような夢を見てるよ。」佐伯が視線を前方に向けたまま、静かに言葉を続けた。「最初はただのぼんやりとした廊下とか、洋館の外見しか見えなかった。でも、最近は中の細かいものまで見えてきてるんだ。リビングのような部屋とか、置いてある家具とかも…。何かを思い出させようとしてるような気がするんだよ。」
桜子は驚いたように佐伯を見つめ、「佐伯くんも同じなの…?」と聞いた。
「そうだ。僕も何度も同じ夢を見てる。それに、夢の中の光景も少しずつ変わってきてるんだ。シルエットだった人たちも、僕の中でははっきりと見えてきてる。」
桜子は少し沈黙してから、「私たち…どうして同じ夢を見てるんだろうね。何か意味があるのかな。」と、不安そうな表情を浮かべた。
佐伯は考え込むように一瞬黙り込んだが、やがて口を開いた。「もしかしたら、この夢が何かを示しているのかもしれないな…。ただ、まだその答えは見つかってないけど、二人ともあの場所に引き寄せられていることは確かだよ。」
桜子は静かに頷いた。「私も、あの洋館のことをもっと知りたいって思う。でも…ちょっと怖い気持ちもある。」
「それは俺も同じだよ。」佐伯は柔らかく笑いながら、「だから、一緒に調べてみよう。きっと何か解決策が見つかるはずだし、俺が側にいるから大丈夫だよ。」と、桜子を安心させるように言った。
桜子は佐伯の言葉に少し心が軽くなり、彼の横顔を見ながら「ありがとう、佐伯くん。」と、静かに微笑んだ。
車は徐々に桜子の家の近くに差し掛かり、二人の会話も自然と落ち着いていった。夜の静寂とともに、洋館の謎がさらに二人の間に深まっていくように感じられた。
車は桜子の家の前に静かに止まり、佐伯がエンジンを切ると、車内はさらに静けさに包まれた。桜子はドアに手をかけ、ふと振り返って、「またあの洋館に行ったら、もっと何かがわかる気がするね」とつぶやいた。
佐伯は頷きながら、「きっとそうだと思う。だから、次は一緒にその答えを見つけよう」と言い、桜子を見送った。
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