第28話 二人の出会い

ある冬の土曜の午後、桜子は久しぶりに街へ出て、ふと立ち寄ったカフェで目にしたポスターが気になっていた。それは「小鳥遊和樹ソロコンサート」の告知だった。桜子は特にクラシック音楽に詳しいわけではなかったが、ピアノを再び弾き始めた影響で、音楽に触れる機会が増えたこともあり、そのポスターに何か引き寄せられるような感覚を覚えていた。


「行ってみようかな…」


気まぐれにも近い決断だったが、桜子はその夜のコンサートに足を運ぶことに決めた。会場は街の小さなホールで、落ち着いた雰囲気が漂い、客席には静かに期待感が満ちていた。


和樹のソロ演奏

桜子はホールの中に入り、席に着くと、静かな興奮を感じた。ホールの照明が少しずつ落とされ、舞台にライトが当たると、白いシャツと黒のパンツというシンプルな装いで和樹が登場した。


彼は堂々とした姿でステージ中央に立ち、まず軽くお辞儀をした。そして、彼の指揮する弦楽器の音色がホール全体に広がり、その瞬間、桜子は音楽に心を奪われた。彼の演奏は温かみがあり、優雅さと情熱が共存するもので、その音色が桜子の胸に深く響いた。彼の弾くバイオリンのメロディーには、どこか懐かしさを感じるような不思議な感覚があった。


「この音楽…どこかで感じたことがあるような気がする…」


桜子はその音色に包まれ、まるで夢の中にいるような感覚で聴き入った。和樹の演奏は、彼女にとって特別な何かを呼び覚ますような力があった。


演奏会終了後

演奏会が終わり、拍手がホール中に鳴り響いた。桜子は感動しながらも、なぜか心の中に残る懐かしさが離れなかった。会場を出ようとしたとき、ステージ脇で和樹が観客を見送っているのを見かけた。


桜子はそのまま足を進め、出口に向かおうとしたが、ふと和樹と目が合った瞬間、彼が少し驚いたような表情を浮かべ、こちらに歩み寄ってきた。


「こんばんは。今日は来てくださってありがとうございます。」和樹は穏やかな笑顔で桜子に声をかけた。


桜子は少し驚いたが、「素晴らしい演奏でした。音楽がとても心に響きました」と素直に感想を伝えた。


和樹は彼女をじっと見つめた後、どこか懐かしそうに微笑み、「そう言ってもらえて嬉しいです。実は…君をどこかで見たことがあるような気がするんです。どこかでお会いしたことは…?」と尋ねた。


桜子は驚き、少し戸惑いながらも、「そうですか?私はあまりクラシックのコンサートには来たことがなくて…でも、私もどこかであなたを知っているような、そんな気がします」と答えた。


和樹は少し考え込むように眉をひそめたが、すぐに穏やかに笑って「何かの縁かもしれませんね。今日は本当にありがとうございました」と感謝の言葉を重ねた。


桜子は再び軽く微笑みながら、「こちらこそ、素敵な音楽をありがとうございました」とお辞儀をし、会場を後にした。


和樹はその後も数人の観客に挨拶をしていたが、ふと桜子の姿が頭から離れなかった。彼女に対して抱いた親しみや懐かしさは、何か特別なものだと感じていた。


「どこかで、あの女性を知っているような…」


和樹はその考えが消えないまま、心の奥に湧き上がる不思議な感覚に囚われていた。


和樹はソロ演奏会が終わっても、桜子との出会いが心の中に深く残り続けていた。特に、彼女を見た瞬間に感じた親しみや懐かしさがどうしても消えない。彼女の言葉や仕草が、まるで過去の記憶に触れるような感覚をもたらしていた。


一方、桜子もその夜のコンサートから帰宅して、和樹と交わした会話を何度も思い返していた。演奏中、彼の音楽が自分の心に何かを呼び覚ましたような気がした。まるで幼い頃に聞いたことのあるメロディーのように、どこか懐かしい感覚を覚えたのだ。


翌日、桜子は母親と朝食を取りながら、コンサートでの出来事について話していた。


「昨日、素敵なコンサートに行ったんだ」と桜子が話し始めると、母親は興味深そうに「どんなコンサートだったの?」と尋ねた。


「小鳥遊和樹さんというバイオリニストのソロ演奏会だったんだけど、彼の音楽がとても心に響いたの。しかも、その後彼に声をかけられて、どこかで会ったことがあるかもしれないって言われて…」桜子は少し不思議そうに微笑んだ。


母親は桜子の話を聞いて少し驚いた表情を見せた。「小鳥遊…和樹さん?その名前、どこかで聞いたことがあるような気がするわね。あ、思い出した。この前一緒にオーケストラ演奏会聴きにいったじゃない、その時に地元のバイオリニストが出ていたでしょ、それが小鳥遊さんよ、昔は浜松だけで行動していたし、いろいろな場所にも出て行ったと話していたからピアノの発表会や演奏会をどこかで見ていたのかも」と興奮気味で母親が教えてくれた。


「なんだか私も彼に対して同じように懐かしい気がしたの。特に音楽を聴いているとき、何かが呼び覚まされるような感じで…不思議だよね」


桜子は夢の中で見ていた洋館や、そこで過ごしていた男性と子供のシルエットを思い出し、彼らと和樹がどうしても結びついてしまうような気がしていた。


その時、弟がリビングにやってきて、姉と母親の会話に加わった。「姉ちゃん、昨日のコンサートってどんな感じだった?最近ピアノを弾くようになったから、音楽にハマってるんでしょ?」


桜子は少し照れくさそうに笑い、「そうだね。ピアノを弾き始めたら、音楽の世界にまた興味が湧いてきたんだよ。あのバイオリンの音を聞いてたら、ピアノももっと練習したくなったよ」と答えた。


弟も微笑みながら、「それならまた僕の前でも演奏してよ。母さんも喜ぶだろうし」と軽く促す。


母親も嬉しそうに頷き、「そうね、桜子のピアノを聞けるなんて嬉しいわ。またみんなで演奏会みたいにして楽しみましょう」と笑顔を見せた。


桜子はその言葉に心が温かくなり、「うん、今度の休みにでもまたピアノを弾くよ」と約束した。


それから数日後、桜子は再び夢を見る。その夢の中では、以前は曖昧だった洋館の中の光景がはっきりと見えるようになっていた。今までは廊下や玄関など、建物の外観や通路しか現れなかったが、今はリビングのような広い部屋が見えた。部屋の中には、古びたソファや本棚、そして暖炉があった。暖炉の火が静かに燃えており、部屋全体が心地よい温かさに包まれていた。


そして、いつもシルエットでしか見えなかった大人の男性と子供の姿も、今では明確になっている。相変わらず顔ははっきりとしていないが男性は何となく優しい顔立ちをしているように見えており、どこか懐かしさを感じさせる笑顔で桜子を見つめていた。子供は無邪気にその男性の横で遊んでおり、彼もまた桜子に親しみを込めて微笑んでいた。


「あなたたちは誰なの…?」桜子は夢の中で問いかけたが、二人はただ微笑んでいるだけだった。


夢から目が覚めた後、桜子はその二人の姿が和樹と繋がっているように感じ、さらに心が混乱していった。


「なぜ和樹さんのことがこんなにも気になるんだろう…」


桜子の心の中で、夢と現実が交差し始め、彼女の感情はますます複雑なものになっていった。







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