数十分後、全身に多量の脂汗をかいた私、竹永が神妙な面持ちで下着屋さんから出て来る。
つまり真顔なわけだが、この手には何もぶら下げてはいない。
どっ…と体力を消耗した。そりゃそうだ、だって箪笥の引き出しにはベージュとベージュの親族と黒しかいないんだもの。こんな…こんな可愛い、キラキラした下着、果たして中身おっさん人間が身に付けていいものなのか? 逮捕じゃないか?
店内に立ち入り殊更泳がせた視界にも、いくつかときめく下着はあった。あったがそれを取る手が震えて、店員さんに試着やサイズ計測もできますよーと声を掛けられキョドったあたしはこの様。一度退散という行動を取った。外見は女で良かった。
緊張で喉が渇いた。いつまでも店の外から店内を睨むわけにもいかないから、下の階へ降りて一服しよう。脂汗は携えた真顔のままエスカレーターで下り、カフェのある階で降りる。
休日だし混んでるなー席空いてるかなー…とカフェ店内をざっと見渡す、と。
見慣れた姿が目に入った。
「凛ちゃん先輩?」
窓側の席に着くその姿を、窓の反射の中確かめるように自分にしか聞こえない声量で呟く。
当然気付かれることはない。ノートパソコンに向かう凛ちゃん先輩の名は体を表す凛とした横顔、耳にはイヤホン。思ってはいたが寒がりなのか、今暑いあたしが気付くくらいには暑くないのかと思うネイビーのトレーナー、首元と袖口には白いロンTが覗いているがちゃんとその周囲を見れば浮いていない格好だった。
浮ついているのはあたしだ。この戦地で見知った顔に出会えた喜び。浮ついた足取りを隠して隠して、凛ちゃん先輩の元へと向かった。
「寒くねーの」
席まで行ったはいいがどう見ても作業中だ、話し掛けるのやめようか…と悩んだ隙につい、と顔を上げ、もじもじした後輩に一瞬だけ驚き、認識。ああ申し訳ないがイヤホンを外してくれながらの凛様の第一声がそれだった。
「寒くないです」
上着を脱ぎ、なるつもりはなかった半袖姿のあたしが答える。
「あそ」
座れば? とかは何もないが、何だろうこの安心感。途轍もない。あたしはそんなにも切羽詰まっていたのか。
凛様はイヤホンを外したものの、そのまま少しキーボードを叩いた。
このまま彼の前に立ちっぱなしも逆ナンと思われかねない。向かいの席をそうっと引いて、ゆっくりゆっくり、浅ーくお尻を乗っける。
「何?」
視線はこちらに向かないものの、問われて、ショルダーバッグを漁る。目当ての財布を取り出し、中から五千円札を抜き出してあの、と顔を上げたらこっちを怪訝な表情で見ていた凛様と目が合った。
「これでお付き合い願いたく」
「……ハァ?」
差し出した新札の五千円札。目の前の端正な顔が不信感に歪む。
「
「竹永テメェ…俺を犯罪者に仕立て上げに来たのか!?」
一応小声だ。
不信感から怒りへと表情を変えた端正な顔が僅かに近付いてきた。その手には今の今まで真っ新なピン札だったはずの偉人が。顔面をぐしゃぐしゃに握り潰されている。こうしてたまに見る不憫なお札は作られていくのか。
「滅相もない。ただちょっと、相談に乗ってもらいたく」
どうどう、と片掌を向けると凛様は一度小さく舌打ちし「似てきやがった」などと誰に? とは訊きたくない呟きをお吐きになった後で「何だよ」と聞いてくれた。
「下着を見てください」
「アァ!?!?」
いや、違うか。下着について相談に乗ってください? と言い直そうとしたが、それより先に今度は顔を羞恥にか憤怒にか真っ赤にし、今にもこめかみから血潮が噴き出しそうな凛様を中心に周囲がざわついた。
「てっめぇぇ…!」
凛様はまだかろうじて小声だ。流石大人。見る見る内に顔面が凛様の手の内にめり込んで行く偉人。
「表出ろ」
光の速さで身支度を整えた凛様は席を立ち、既に先の発言よりも彼の容姿に目を惹かれているのを背中に感じながらただ入って出てしまったカフェを後にした。
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