第三十話 - 下心と破壊力
最近、あたしの周りでだけ風邪でも流行っているのか。
今引いているのはあたしではない。
何ならあれだけ咳き込む松方の傍に張り付いていたというのに風邪の気など1ミリも感じず今日を迎えている。それはきっとあたしの免疫力が機能しただけでなくて、キスを申し出るまで徹底してマスクを外さなかった松方の判断と考慮のお陰か、その最後の口へのキスが未遂に終わったからか、それともしんでも
今引いているのは——。
駅の改札を出た所の適当な柱の前で、手にしていたスマホ画面に視線を落とす。
朝、家を出る前には区切りがついていたはずの会話が、続いた。
『 せめて買った下着の写真送ってええ
見せてええ
じゃないと成仏できないよ〜〜 』
——岬だ。
どう見ても熱に頭をやられたことを察する奇妙な文面の最後は、土下座の絵文字で締め括られている。親友は、どういうつもりなのだろう。どういうつもりで土下座しているのだろう。
早く寝てくれ。
駆け落ちと題したおでかけ約束の日の、一週間前の休日。それよりもっと前に岬に会った時にこのおでかけの話をしたら、何やかんやあって——主に定番の、岬発狂の件だが——下着を買いに行く事になった。
それは……その。もしかしたら。
もしかしたらその……松方と、も、何やかんや…あるかもしれないということで。日帰りだけど。
いや、あたしも先日のバイト先の立ち聞き一件が無く発熱松方の『竹永さんの許しが貰えるなら』発言止まりだったら“松方、熱出てたし”と笑って流しただろうし、その場でもまだ『そんな気合い入れるような事必要か?』とかろうじて照れくささに流した。
だが、家に帰ってやはり気になり、下着が入った引き出しを開けた所で数分立ち尽くす結果となる。
目の前に堂々鎮座する少数精鋭の下着。「何ですか? いつもの私たちですよ?」とでも言いたげにこちらを見上げている。手前から、ベージュ、うんうん、透けない最強の貴方。ピンクベージュ、あーこれね。確かベージュが品切れで妥協して…、次がグレージュ。ちょっともう理由とかいいや。ベージュしつこいね、あと、黒。
うん。
ところで、最後に買ったのはいつだ?
数秒考えたが思い出せなかった。脳が思い出すことを拒否したのかもしれない。
松方とどうこう…前に、もしご飯を食べる流れになってその最中突如浴衣がはだけるハプニングが起こったり、初めてのお酒なんか飲んだらとんでもなく弱くて酔っ払って松方の前で脱ぎ出したり、着替える時松方に見られるハプニングがやっぱり起こったりしたら?
若干毛羽立つ、君たちがお披露目か?
「君たちは…優秀な下着だ。機能面では最高だ。でも…ああ、どうすれば」
くまっちゃんがいつかのバイト休憩中に言っていた台詞が、耳元で囁かれる。
『女の下着の新調理由ランキングには、絶対“恋”が上位に食い込んでくると思うんだよね。
どう思う? 瑞樹。
恋をすると女は下着を新調する傾向にあるっつってんの』
「いく?」
「…!!」
帰ってくるなり開け放していた自室のドアから、「え、何。どうした? すげぇ顔だな」と半笑いで続けるハルの顔が覗く。
びっくりした。くまっちゃんが現実に、それをあたしに云いに来たのかと…
「千影のこと?」
「いや、下着のこと…」
「下着」
不思議そうに、部屋に入って来たハルはあたしの視線の先を追った。
「よく分かんねーけど、とりあえず岬ちゃんに電話しな?」
「はい」
それがあっての今日下着を買いに行く日だったわけだが、律儀にも昨日の昼過ぎには岬からどうも熱っぽいとの自己申告があった。そして早朝、夜には確定した熱が下がらなかったと悔しさの滲み出た連絡をもらった。
何で岬が悔しがるのか。申し出た見舞いも戦利品が一番の見舞い品だという理由で断られ、早々に寝てもらうために連絡を打ち切りあたしは今ここにいる。
『 わかったから成仏しないで寝て 』
返信を投げ、よし、と気合いを入れて駅直結のファッションビルへと足を踏み入れた。
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