「なんか…ごめんな? 最近あたし、松方を濡らしてばっかな気がするわ」
その後、“駆け落ち券”を除いて顔を洗った松方。もうこの間みたく風邪を引くこともないように、少し濡れてしまった髪も念入りに乾かしてから帰路についた。
久々に会った(垣間見た?)凛ちゃん先輩ともあんまり話せなかったし、梶もど突きたかったけどそれより何よりあの場に居続けることの方が居た堪れなくてさっさと出てきてしまった。
松方久しぶりだっただろうに、それも申し訳ない。
「それも竹永さんに非は一つもないんで…」
「いや完全にあたしだろ100%あたしだわ」
9割方上手くいってないあたしだが、最後の1割の云いたかったことが言えたため多少スッキリしている。
「で、さっきから松方は何を悄気てんの?」
元より(恐怖スイッチさえ入らなければ)口数が多いわけではない松方だが顔を洗ってもらいつつ会話したあたりから明らかに口数が少ない。というか
「だって」
珍しく見上げる高さにある頭を項垂れているが、水に濡れてただ乾かしただけでそんなサラッ艶になる松方の黒髪の方が気になるし羨ましい。
「あのケーキ、竹永さんが僕の大学入学を祝ったものだったなんて…聞いてない」
そりゃ言ってないもんな。
「確かに中央に“おめでとう”って書いてありましたけど。誰かの誕生日かと思うじゃないですか」
「え、松方あのへにょへにょ文字読めたの。凄」
「竹永さんの筆跡修得済みなので、どれだけ崩れようと見える限り読めると思います」
「ひっせき、しゅうとく……? いやー、とりあえず“おめでとう”優先して書いたら案の定“大学入学”入らなくなっちゃったんだよなー」
あはは、と乾いた笑いがもうすぐ五月の澄んだ夕方に消える。
「少なくとも竹永さんが生成に携わったと察した上で僕以外の誰かを祝うものなら…まぁ、食べられなくなってもいいかと。正直、寧ろ食べられなくなれと」
あの一瞬の間にそこまで考えるこの男が酷い超えてこわい。
「松方の顔面目掛けて投げ付けたのあたしだし。あんなんで良ければいつでも作るよ」
あたし的には寧ろもう少し上手くなってから食べてもらいたいからそれがいい。
「初めては一度しかないのに」
「…あたしの指に付いてたの食べたじゃん」
あまいあまい松方。何もかも足りてないあたしは、こいつのご機嫌の取り方なんてわからないけど。
「それに2度目も3度目もある方が初めてを食べるよりずっとずっと貴重だと思う。
次のお祝いの時、またそのお祝いの初めても作るからさ」
そんな可愛いことで悄気ないでほしい。
「あ、じゃああたしの初めては全部松方に——…あ、あは、アハハ」
言っている途中で今この台詞は絶対に間違っている事に気付くも。
松方が、それを聞き逃すわけもなく。
「竹永さんの初めては全部、僕に、何ですか?」
回り込まれて、逃げ道を塞がれてしまう。
「あは、あはは」
「竹永さん。何?」
…こいつ。
機嫌直ってるじゃん。
「…………あげるよ」
「え?」
「あげるっつったの!! 初めて!! 全部!!
これで満足かばかやろーー!!」
「はい、竹永さん。僕が全て、…何よりも。丁重に頂きます」
松方のその言い方は、爪の先から髪の毛一本残らず頂かれる気がしてならなかった。
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