「かけおち」
あたしの目も大概丸く見開かれていたはずだが、口づけのあと、覗き込んできた松方の目は瞳孔が開いているように見え、何故か突然奴の背景に暗雲立ち込め綺麗な月も身を隠してしまった。
「本当はあの時、竹永さんを攫ってしまおうという考えが頭を過りました。貴女が泣き出しても、嫌がっても、無理矢理連れ去って誰にも邪魔されない場所に閉じ込めて、帰りたいと懇願されても僕だけがずっっと貴女を永遠に監」
「ちょ、怖い怖い怖い何」
「…まぁ、駆け落ちを考えたって話です」
「いや纏まらないからな!?」
やめろぉ。夜眠れなくなるだろ!?
本当は一発ぶん殴ってやりたいくらいの恐怖を植え付けられたわけだが、あたしの渾身のツッコミさえ大事に大事に心の宝箱に仕舞い込んでいる素振りの松方が「もし眠れなくなっても大丈夫です、僕が一生一緒に起きてます。側にいます。好きです」などと心情まで読み取って口にしているのを見たら、ここでぶん殴りでもしたらいよいよこちらの身に危険が及びそうで行動に移せなかった。
膝が震えた。
松方のこれがギャグであることを切に願う。頼むからギャグであってくれ。というかさっきまでの可愛い朗らか松方を返せよ松方アアア!
恐怖に鼻水を啜りながら松方を盗み見ればまだ何やらブツブツ呟いていて、怖すぎた。
これ…彼氏? 婚約者? なのかな…。本当に…?
「……。あのさ」
「はい竹永さん」
思うところあって小さく呟くと、ぐりん、とこっちに向き直られてやっぱり怖かった。
松方ってあたしの声聞き逃すとかないのかな。人間だもん、あるよね?
え、あるよね?
あれ!!
いったんおちつこう。
「駆け落ちとまでいかないけど、あたしもあの時思ったよ」
松方の顔が見れない。
怖いからじゃなくて、
「“どこか遠くに連れ去って” って」
——松方は、一見無表情で無口に見られがちかもしれないけど…あたしも、逢った頃はそう思った内の一人だったかもしれないけど、
よーく見たら、無表情に見えて何かを我慢していたり、意外と嬉しい時は感情を抑えることもなく笑ったり、またその笑顔が無邪気で可愛かったり。
仕事は雑に熟さないし、胆力があって頼りになって、だからか人望もある。
そういう、少し考えただけで好きなところがたくさんあった松方。
ずっと傍にいたかった。
「…あの時は、辛かったな」
ぽつりと零した言葉。
あの時たくさん泣いたからか、それとも、今が恐いくらい有難いことだと思っているからか、涙は零れない。
なのに松方は、頬を拭うように冷たい指先を添わせて、壊れモノでも扱うかのように抱き寄せた。
「たくさん辛い思いをさせてすみません」
ううん。
ちがう。
あたしが松方に辛い思いをさせた。
「あたしは勝手に辛がっただけ」
声に出したら、何だか今この瞬間も松方を見ていないともったいない気がしてきて、
少し距離を取って松方を見上げた。
「はは」
どうやらもうとっくに前を見据えている松方は、真っ直ぐな眸にあたしを映していた。
「ほんと、頼りになる」
ただの後輩だったくせに。
「…松方?
今何考えてんの」
何も返してこない、後輩から恋人に、恋人から婚約者へと成長した男に訊いてみた。
すると松方は、僅かな間で何かを考えた後答えた。
「? 帰したくないなー…って…」
「は?」
いや、帰るよ。
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