「全部」


「はい、全部」



今宜しくお願いされた全部って何。怖。


どう考えても、見ても、あたしの方が全てにおいて初心者なんだが?



「凄…」


わなわなと顔を赤らめて震えてないで姉を助けてほしい。弟よ。

その視線を送ったはずだが、ハルは「じゃ、じゃあ俺、下でTV大音量にして観てるから」と謎の大音量アピールをして、そそくさと階段を降りて行ってしまった。







それから暫く他愛ない話をしていたら、あっという間に目の前の窓の外が暗くなっていた事に気が付いた。


もう雨も降っていないようだ。



「雨、止んだね」


ぽつりと窓の外を瞳に映したまま呟くと、すぐ傍から「はい」と柔らかい返事が聞こえてきて振り返る。


松方は、もうとっくに外が暗くなっていることも、雨が止んでいることも知っていたみたいに私を見つめ返している。


「スラックスと靴、乾いたかな」


まだ、気恥ずかしい。


「そういえば、上着は濡れなかったの。会った時には着てなかったよね?」


立ち上がってコップを拾うと、代わりに持ってくれた松方が「大学に忘れました」とさらりと言った。


二人で下に降りて、確かに二階にも聞こえるくらいの大音量だったTVを前にソファで寝落ちしているハルを横目にコップを片して、大音量も下げた後で風呂場を覗くとスラックスは乾いていた。靴はまだ若干濡れていたけど、松方が良いと言った。


「スラックス、何か袋に入れるか」


「大丈夫です。リュックまだ空きあるから」


「そう? Yシャツと靴下は洗ってお——」



ちゅ、


と。差し出したスラックスを受け取った松方が、見上げたあたしにキスをした。



「ありがとうございます」



アリガトウゴザイマス?


一瞬、何に対してお礼を言われたのかわからず混乱したが途中まで言いかけた『Yシャツと靴下は洗っておくから』に対してだと察した。


「まだ最後まで言ってなかったけど」


じと、と見上げ続けるも、「最後まで待てませんでした」などといけしゃあしゃあとしているからそれ以上何も言えなくなってしまって、松方を通り過ぎ玄関へ向かう。



「いや、待って。松方、やっぱりその服着替え直した方がいいかもしれない」



玄関にて靴を履きリュックを拾う松方を見ていたら、我が家ではこの程度のスウェットでちょっとそこのコンビニまで、所謂ワンマイルコーデ?は何の抵抗もないが、何か松方は違う気がした。


「松方って、そういう格好でコンビニとか行く? っあ そもそも、帰りってバスか!?」


格好良いけど…帰りバスならダメだ、着替え直さないと。


「って待って…。よく見たらスウェットに革靴じゃん!? そんな組み合わせある!?」


一人、引いたり、心配になったり、驚いたりとわたわたするあたしを前に松方は向かい合う。

松方の背後、玄関の上部分の窓からは小さな月が覗いている。


「コンビニに行く事自体あまりなくて」


えっ。


松方、コンビニ行く事ないの!?


夏、夜、急にアイス食べたくなったらどうするの!?

冬の肉まんは!?

コンビニのおでんは!?


「でも、この格好大丈夫ですよ。暗いし。竹永さんとお揃い? 嬉しいし。

帰りは歩いて帰ります」


聞きたいこと沢山のあたしに対ししっかり『この格好で大丈夫』『帰りもバスじゃないし』の間に何やら可愛い言い分を挟む松方。


「ってまさか、その格好で帰る為にバスに乗らない、なんてことは流石にないよね」


「はい。余韻に浸ろうと思って」


「よいん…? 何の」


「今日の」


「……」



「竹永さん。今日はありがとうございました。会えて嬉しかったです」


「…あたしも行く」


「え」


「外。コンビニ行くついで」


やっぱりどう見てもちぐはぐな松方のスウェットパンツに革靴の隣で、スニーカーを履いた。


「いこ」


玄関ドアを押しながら振り返ったら、


松方は嬉しそうに、無邪気な顔で笑った。




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