第5話
ある日の放課後、将棋部の部長である高橋が真田に声をかけた。「今度、将棋会館に行かないか?みんなで対局しに行くんだ。」彼は目を輝かせている。その誘いに真田は少し戸惑ったが、部のメンバーと共に過ごす時間は楽しみだった。
「行くよ!楽しそうだね。」そう答えながらも、心の奥では迷いが生じていた。彼はAIを利用したソフト指しを続けていたが、リアルな対局の場ではどう振る舞うべきか、自分のスタイルをどう見せるか考え込んでいた。
数日後、将棋会館に到着した。広々とした会場には、対局を楽しむ人々が溢れていた。真田はその光景に胸が高鳴るのを感じた。仲間たちと共に対局することで、将棋の楽しさを改めて感じられる気がしたのだ。
彼は一緒に来た部員たちと挨拶を交わしながら、自分の心の中に浮かんでいたアイデアを決意に変えた。「今日はAIの力を借りて、イヤホンから最善手を聞くスタイルで挑んでみよう。」これは彼にとって新しい試みだったが、心の中ではワクワクする気持ちが勝っていた。
対局が始まると、真田は落ち着いて席に座り、イヤホンを装着した。AIのソフトをスマートフォンで起動し、周囲の喧騒から切り離される感覚を楽しんだ。耳元に流れる声が、局面に応じた最善手を的確に指示してくれる。彼はまるで自分が特別な将棋師になったかのような感覚を味わった。
最初の対局相手は同じ部の後輩で、普段の練習で何度も戦った相手だ。しかし、真田は全く気を抜かなかった。AIが示す手を素直に受け入れ、迷わずに指を動かす。局面が進むにつれ、真田は自信を持ち始めた。
「これが俺の将棋だ。」AIの指示に従うことで、彼は自分のスタイルをより深く理解できる気がしていた。直感ではなく、論理的な裏付けがある手を指すことで、勝利への道が明確に見えてくる。
対局が進むにつれ、後輩は焦り始めた。真田はAIから得た手を選びながら、時折相手の表情を観察する。自分が強くなっていく実感が、彼の心を満たしていった。
「このまま行けば勝てる!」真田はそう確信し、気合を入れ直した。数手後、局面は決定的な形に進展し、真田は勝利を手にすることができた。耳元から聞こえるAIの声に感謝しながら、彼は思わず笑顔を浮かべた。
「やった、勝ったぞ!」彼は嬉しさを隠せず、仲間たちのところに駆け寄った。部員たちは彼を祝福し、笑顔で声をかけてくれる。彼はその瞬間、AIとの共演が自分に新しい将棋の楽しみを与えてくれたことを実感した。
その後も真田は、何度も対局を重ねていった。耳元のAIの声が彼の指し手を導くたびに、勝利の快感が心に広がっていく。周囲のメンバーたちもその様子を見守り、驚きの表情を浮かべていた。
「真田、すごいな!なんでそんなに強くなったんだ?」後輩の一人が素直に羨ましがる。
「いや、これはAIのおかげだよ。」真田は笑いながら答えた。自分の力ではなく、AIの力を借りることで得た結果だということを隠す気はなかった。むしろ、そのスタイルを楽しんでいることを周りに伝えたかった。周りのみんなはAIによる研究のことを指しているのだろうと思っているようだった。
将棋会館での時間は、彼にとって特別な思い出となった。仲間たちと共に過ごしたその日々は、将棋を楽しむ心を再確認させてくれた。また、AIとの新しいスタイルも受け入れられつつあることを実感した。
最後の対局が終わり、真田は仲間たちと一緒にカフェで打ち上げをすることにした。皆が楽しそうに話す中、真田は心の中で自分の選択を振り返った。将棋は勝つことだけではなく、仲間と共に楽しむものだということを改めて感じていた。
「これからも、AIと共に新しい将棋を楽しんでいこう。」真田は強く決意した。新たなスタイルで得た勝利や仲間との絆が、彼の将棋の世界を豊かにしていると確信していた。将棋会館での経験は、彼にとって新しい冒険の始まりだった真田圭一は、将棋会館での楽しさを振り返りながら、部の後輩たちに自分のスタイルを伝えることにした。「やっぱり、AIを使ったソフト指しは面白いよ。勝つための新しい方法だと思うんだ。」彼は熱心に語りかけた。
しかし、彼の言葉は想像以上の反発を招くことになった。後輩の一人、山田が不快そうに顔をしかめ、「そんなことしていたのか!それはズルだろ!」と声を荒げた。もう一人の佐藤も同調し、「真田先輩、がっかりです。将棋をそんな風に楽しむなんて……」と言い放った。
彼らの言葉は真田の心に深く突き刺さった。「ズルだ」と言われた瞬間、彼は自分が目指していたものが否定される感覚を抱いた。これまでの楽しみや勝利の喜びが、一瞬で崩れ去るような衝撃を受けた。
「でも、これは俺のやり方なんだ!」必死に反論しようとしたが、後輩たちの表情は冷たかった。彼らは彼を軽蔑し、見放すような目で見つめていた。その瞬間、真田は孤独感に苛まれ、心の中に暗い影が広がっていくのを感じた。
それから数日間、真田は学校に行くことができなかった。部の仲間たちとの関係が壊れ、自分の将棋への情熱も冷めてしまった。彼は一人で部屋に閉じこもり、何もする気が起きなかった。
彼の心には、後輩たちの言葉が繰り返し響いていた。「ズルだ」「がっかりだ」。その声は彼をさらに深い闇に引きずり込み、将棋を楽しむことすら恐ろしいものに感じさせた。
日々が過ぎ、彼はますます不登校になっていった。将棋のことを考えると、心が締め付けられるようだった。友達との交流や、楽しいはずの将棋の時間が、今では恐怖の象徴になってしまったのだ。
ある晩、真田はふと自分のスマートフォンを手に取った。過去に将棋を通じて得た喜びや仲間との思い出が、彼の心の中で渦巻いていた。しかし、画面を見つめることで思い出されるのは、後輩たちの冷たい言葉だった。彼はため息をつき、スマートフォンを床に投げ捨てた。
「どうしてこんなことに……」彼は自分の選択を悔い、涙がこぼれた。周囲からの軽蔑と自分の信じるスタイルとの間で揺れ動く心が、彼を深い孤独に導いていた。
数週間が経過したころ、彼は少しずつ心の整理を始めた。孤独の中で自分の選択を再考し、「ソフト指しはズルではない、自分のスタイルだ」と自分に言い聞かせることで、自分を取り戻そうとした。しかし、その言葉がどれほど彼を支えられるか、まだ分からなかった。
真田はふと、将棋を指したいという気持ちが湧き上がるのを感じた。しかし、同時に彼はその気持ちを押し殺し、再び暗闇に戻ってしまうのだった。自分の信じる道を貫くことの重みと、それによって失ったものの大きさに苦しむ日々が続いた。
彼の心には、将棋の楽しさと仲間たちとの絆が交錯していた。果たして、どちらを選ぶべきなのか。自分のスタイルを守るために孤独を選ぶべきか、仲間との関係を守るために自分を隠すべきか。真田はその答えを見つけられずにいた。
そんなある日、彼は窓の外を見つめながら、ふと思った。「このままではいけない。自分を見失ってはいけない。」彼は心に小さな決意を抱くことにした。再び将棋の世界に戻り、自分を取り戻すための一歩を踏み出す必要がある。
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