第6話: 「手紙が運ぶ、言葉にできない想い」

 灼熱の太陽が照りつける8月上旬、桜花学園の寮は静寂に包まれていた。大半の生徒が帰省する中、千紗は夏期講習のため寮に残っていた。彼女は机に向かい、遥斗への手紙を書いていた。


 「鷹宮くんへ」と書いた後、千紗は一瞬ペンを止めた。心臓の鼓動が少し早くなる。どんな言葉を紡げばいいのだろう?  彼女は深呼吸をして、再びペンを走らせ始めた。


『お元気ですか? 私は夏期講習で忙しい毎日を送っています。でも、それ以上に文学コンテストの原稿に悩まされています……。鷹宮くんは数学オリンピックの勉強、順調ですか?』


 千紗は、遥斗の姿を思い浮かべながら言葉を綴っていく。彼の真剣な眼差し、時折見せる優しい笑顔。それらの記憶が、彼女の胸を温かくした。


『実は、この前図書館で見つけた堀辰雄の『風立ちぬ』を読み返しています。主人公の節子の心情が、今の私にとてもよく分かるんです。大切な人のことを想うって、こういう気持ちなのかもしれません……』


 そこまで書いて、千紗は顔を真っ赤にした。これは書きすぎだろうか?  でも、遥斗なら分かってくれるかもしれない。彼女は迷いながらも、その一文を消さずにいた。


 窓の外では、蝉の声が響いていた。その鳴き声が、千紗の胸の高鳴りと重なる。


『鷹宮くんと話せない日々は、正直寂しいです。でも、こうして手紙を書いていると、少し気持ちが落ち着きます。返事を楽しみに待っています』


 千紗は手紙を読み返し、頬を赤らめながらも満足げな表情を浮かべた。彼女は慎重に手紙を封筒に入れ、宛名を書いた。


 その日の午後、千紗は郵便局に向かった。手紙を投函する瞬間、彼女の心臓は大きく跳ねた。この手紙が、遥斗の元に届くまでの間、千紗の思いは空を舞う。


 数日後、千紗の元に一通の返事が届いた。差出人の名前を見た瞬間、彼女の顔がぱっと明るくなる。


 「鷹宮くんからだわ!」


 千紗は急いで封を開けた。遥斗特有の几帳面な文字が、彼女の目に飛び込んでくる。


『春原さんへ

 僕も元気です。数学オリンピックの勉強は順調です。でも、時々君との図書館での時間を思い出して、少し寂しくなります』


 その言葉に、千紗は思わず息を呑んだ。遥斗も、彼女のことを想っていてくれたのだ。


『「風立ちぬ」は僕も好きな作品です。人を想う気持ち、僕にもよく分かります。春原さんの詩にも、そんな繊細な感情が表れていると思います』


 千紗は顔を真っ赤にしながら、手紙を胸に抱きしめた。遥斗の言葉が、彼女の心に深く染み込んでいく。


『文学コンテストの原稿、頑張ってください。春原さんなら、きっと素晴らしい作品が書けると信じています。二学期に会えるのを楽しみにしています』


 手紙を読み終えた千紗は、窓辺に立って空を見上げた。遠く離れた場所で、遥斗も同じ空を見上げているかもしれない。その思いが、彼女の心を温かく包み込んだ。


 千紗は日記を取り出し、ペンを走らせた。


『今日、鷹宮くんからの返事が届いた。たった一通の手紙なのに、こんなにも心が躍るなんて……。私の中で、確かに何かが芽生えている。それが何なのか、まだ名前をつけられない。でも、きっと大切なものだと感じている。二学期が来るのが、今から待ち遠しい』


 窓の外では、夏の星座が静かに輝いていた。その光は、千紗と遥斗の心を優しくつないでいるかのようだった。

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