第4話

「僕が彼に出会ったのは丁度一年前だ」


「僕と出会ったときの彼は既にピアニストとしての才能を開花させていた。

だが彼を取り巻く環境はとても良いものとは言えなかった、彼の父親は外で愛人を作りそのまま蒸発、母親は精神的に強い女性だったらしく、夫が去った後でも暫くは彼がピアニストとして生きていくための最低限の支援はしていたらしいが、人には誰しも限界というものがある、母親は働きすぎで体を壊し当然それ以上働きになど行けず収入はゼロ、いずれ日々の食事さえままならない程になったそうだ、強靭だった母親のメンタルも崩壊、日々の小銭を稼ぐために彼はピアノやチェンバロを売り払い、働きに出た。

その時彼はいくつだったと思う?」

フランクが僕に問い掛ける。

僕は無言で首を横に振った。

「11歳だよ」

「11歳?」

思わず自分の耳を疑った。

フランクの話を聞く限り彼はそのとき既に人並み外れた才能を発揮していたことが分かる。

そしてフランクが彼に出会ったのは1年前_彼が18歳のときだ。

つまりその空白の7年間彼は、誰にも自分の才能を見つけてもらえず、母親と自身が生きていくために音楽に触れる事すら許されなかったというのか。

僕は人の才能にも自分の才能にも異常なほど固執している自覚がある。

もし彼が11歳のとき、才能を開花させたタイミングで世に出ることが出来ていたら_。

僕は静かに目を閉じた。

自然に顔が強ばっていくのを感じる。

「…君にとっては我慢ならない話だろうね」

しかしね、とフランクが続けた。

「それでも彼は音楽を諦めなかった。

彼は家庭教師としてピアノを置いている家に出入りし、子供の気分転換を謳ってピアノを引き続けた、まぁ家庭教師になるぐらいだから元々学はあったんだろうね。

僕の生徒が彼に勉強を教わっていたんだ。その子は生まれつき体が弱く、僕もその子の家に通ってピアノを教えていた」

そこまで言って既に冷めきってしまっているであろう珈琲を口に運びながら言った。

「ここまで話せば僕と彼の出会いはなんとなく想像がつくだろう」

無論なんとなく想像は出来ていた。

「彼が子供の気分転換を装ってピアノを弾いていたところに、ピアノ講師として生徒の家を訪ねた君が丁度出くわした、ということか?それともその逆かな」

「いや、それで合っているよ、その通りだ。まったく驚いたさ、その生徒は決して下手ではなかったが、そこまで上手ともいえないような腕前だったからね」

「つまり君は彼のピアノに心奪われたと?」

そういう事になるかもしれないな、とフランクが答える。

「だがそれだけじゃない、確かに彼のピアノは素晴らしかった、あれは天性のものだ。

しかし、これは彼の周囲の環境も影響しているのかもしれないが、彼の奏でる音は全体的に繊細さに欠けていた、一言で言ってしまえばとてつもなく荒いんだ。

だから僕は彼に声を掛けた、自分の才能を伸ばしてみる気はないか、とね。

意外にも直ぐに首を縦に振ってくれたよ、僕としては嬉しかったんだが」

ここで言葉を切り、真っ直ぐに僕と視線を合わせた。

「僕は彼に少しの基本的なテクニックを教え込んだ、本当に初歩的なテクニックだ。

だか驚くことにね、彼は僕が教えたテクニックを瞬時に自分の音楽に取り入れ、それを元にオリジナルのコードを作り出し、元来の荒らさをカバーした、君と同じように本物の天才なんだろうな」

フランクは僕から視線を反らし、目を伏せる。

「そして彼の才能が完全に花を咲かしたタイミングで、丁度僕が天才ピアニストを探し始めた、ということか?」

「そうだな、僕から話せることはこれだけだ、後は本人に聞けばいいさ」


そう言ってフランクが話し終えたタイミングで、玄関に続く階段を上がってくる音が聞こえた。

「さぁ、天才ピアニストさんの登場だぞ」

そう言って彼はドアを開けようと、玄関に向かって歩いていった。

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