第3話

「それにしても、君は何故そこまで天才ピアニストに拘る?」

フランクが淹れてくれた珈琲を飲みながらこれか名を馳せるであろう音楽家について語り合っていた時だ。

不意に会話が途切れたとき、フランクが口を開いた。

「前にも話しただろう?僕じゃピアノで完璧な音は出せない」

未だ口を付けていない珈琲の香りを楽しむ振りをしながら答える。

「そうだったね。だが全く皮肉なものだな、そんな君のピアノを聞いてピアノ講師になった男が此処にいる」

フランクは既に空になりかけているカップを持ちながら苦笑を浮かべた。

そういえばそんな事を言っていた様な聞がする。

あの頃は彼がヴァイオリニストという世界から退出しようとするのを止めるのに必死で理由などまともに聞いていなかった。

「そう言ってくれるのは君だけだよ、」

「人には人それぞれ感性というものがある。僕の感性に刺さるのは全て、君の音楽だ」

今度は私が苦笑を浮かべる番だった。

尤も彼が浮かべた苦笑とはまた意味合いが全く異なるのだが。

ありがたい事に彼は僕の音楽を好いていてくれている。

いくら才能のある音楽家であれど、その音楽に耳を傾けてくれる人がいなければ宝の持ち腐れだ。

「それはそうと、そろそろ時間だ。彼は律儀な男だから時間ぴったりに来ると思うよ」

そう言いなから空になった自分のカップを片付け、ピアノの準備を始めた。

僕もそろそろ準備をした方が良さそうだ。

色が落ちてしまい、もはや何色だったか分からなくなってしまった鞄の中から数枚の楽譜を取り出し、軽く目を通す。

楽譜には一週間ほど前から楽譜に落とし始めたメロディーが綴ってある。

ピアノとヴァイオリンの二重奏の楽譜なのだが、未だにピアノの楽譜には何の符号も書かれていない。

無論僕がピアノを弾くことはできないからだ。

そう、僕はこの楽譜に綴るに値するメロディーを演奏できるピアニストを探しているのだ。

この二重奏は僕が作ってきた音楽の中でも数少ない、ハッキリとしたビジョンを考えて作った曲である。

僕の作曲スタイルは腐っている。

常に頭の中で鬱陶しく鳴り響いている音を美しく見せるために楽譜に落とし、音楽として消化する。

ただ、一生それをしているだけでは僕は音楽家として腐っていく。

だから1週間に一度はちゃんとしたビジョンを考え、頭の中で作り上がったものを楽譜に落とし、簡単には消化されない音楽を作る。

今までは自らピアノを弾かずとも楽譜を書くことができたのだが今回ばかりは何日経ってもピアノのメロディーが出来上がらなかった。

『音楽は一度書き始めたら必ず完結させる』

これは僕が作曲を始めたときから必ず守るようにしているたった1つの戒律だ。

これを破ってしまったとき、僕は音楽家としての死を迎える。

「アミューズ、彼が来る前に少し彼について話しておこうか」

フランクの穏やかな声が聞こえ、顔を上げる。

「どんな人間かを知っておいた方が、君も色々と都合が良いだろう?」

言われてみればその通りだ。

僕とてあまり第一印象に引っ張られたくはない。

「そうだな、聞いておこうか」フランクと向かい合うようにして座る。

「それならまず、過去の事について話す必要があるな。時間の許す限り話そう」

いつ淹れていたのだろうか、湯気のたつカップに少し口を付けてからフランクが口を開いた。


「僕が彼に出会ったのはちょうど一年前だ」



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