⑧ 共交層領域とナコハ
カラカラカラ。
「あ・・・そうか、また来ちゃったんだ・・・ってあれ? 他のみんなは?」
具合の悪い風車のようにカラカラ鳴る音が響く金色の世界でキぺは辺りを見回す。
「認識が導く世界、とかそんな感じだったよね、ええっと、・・・あれ、どうすればいいんだっけ?」
雑念が錯綜するのではなく、それらも一つの情報として整頓された感覚、というのが仮構帯だ。
「うーん。前はみんな勝手に出てきたのになぁ。」
カラカラカラ。
「うーん。あれ? そういえば僕ご飯はいつ食べたんだっけ。」
カラカラカラ。
「うーん。あっ! 像をもらってからお菓子をもらえば潰れなかったんだ!」
「オイ。」
「うーん。よわったなぁ。あれ? そういえばなんで僕は仮構帯にいるんだろう。」
「オイ。」
「仮構帯って第八人種とかの菌界が引き込む世界でしょ?・・・疑似仮構帯? 赤目さんがやったような? うーん、よくわかんないなぁ。」
「オイっ!」
あん?と突然怒鳴られることに慣れきってしまっていたキぺは声の元を辿り見下ろす。
そこにはユラユラと揺れる「影」が先ほどから耳にまつわりついていた音を鳴らしているだけだった。
「・・・あぁ。・・ああっ!
ああ。影だとばかり思ってた。ごめんなさい。・・・そうだよね、ここには影がないんだもんね。」
わずかな陰影があるので立体としての認知に支障はない。
とはいえ上も下も右も左も前も後ろも無辺際の金色の世界というのは通常の感覚であれば気を失ってしまうほど恐怖を覚えさせる。
「・・・キペ=ローシェダナ?」
そこでユラユラ揺れる「影」が尋ねてくる。
確か前回も同じような・・・となり、はたと気づく。
「あ、はい。あ、でもちょっと待ってて。
・・・妖精さーんっ! 木の妖精さーんっ!」
どうやって呼び出したかは忘れていたものの、呼べば応える頼みの綱・〈木〉の第八人種の仮象体を呼んでみる。
もう一体の〈時〉の第八人種は「合わないな」と思ったのでこちらにしたらしい。
「無駄ダ。コノ領域ハ我ガ支配下ニアル。」
どうやら嘘ではないようだ。
空しく消えるキぺの声の跡に何かが生まれる気配はない。
「これも〈契約〉? きみは、誰なの?」
整ってゆく頭に慣れてきたキペは、現状確認と事態の方向性を模索する。
「ココハ意志。オマエノ意志ダ。〈契約〉デハナイ。ソシテ我ニ名ハナイ。」
ぐるるる、と「影」は笑ったように「喉」を震わせる。
それは揺らめく炎を黒で塗り潰した平面的な形なのに、なにかそこに動物のような姿が見て取れた。
「僕の、意志?・・・あのきみ、えっと、じゃあ「クロ」でいいかな。
ねぇクロ、ここは父さんの遺志ではないの?・・・いや、そもそも仮構帯への導入ってできるものなの?」
話せる相手がいるという安心感からか、ようやくここへきた道程に至る。
ジラウの遺した何か、おそらくはユニローグに関する情報を得るために訪れたのだ。
しかし仮構帯に招かれるとは思ってなかったからたちまち疑問の嵐に呑まれてしまう。
「仮構帯ヘノ招待ハ誰ニデモ可能ダ。我々被造子ガ手ニシタ最後ノ砦デアル共交層領域・仮構帯ハ造主タチトテ立チ入レヌ神域。棄テタノハ被造子ノ連ナル意志ダ。
思イ出セバイイ。
造主ヨリノ解放ヲ為スタメニ築カレタ共交層領域トハ、蓄積サレル無辺ノ本。
書キ込ムコトモ読ミ取ルコトモ描キ出スコトモ被造子ノ意デ叶ウ世界。」
普段であればおまんじゅう命題に首を突っ込むところだがこの場所、この時間の中では理解できた。
新たな単語でさえも「思イ出セバイイ」だけなので戸惑うことはない。
「クロ。えっと、たぶん「わかる」ことと「できる」ことの違いだと思うんだけど、僕には、今の僕には、かな、思いどおりに操ることはできないみたい。
でもね、だからきみがいるんでしょ、クロ? きみがいないと僕は何もできないから。ふふ、違う?
きみが何なのか、なぜ現れてくれたのか、誰かや何かに遣わされて来ているのか僕にはやっぱりわからないよ。
でもさ、きみが今いることがひとつの答えではあるよね?
だから聞くよ、クロ。
ここにジラウ父さんの「遺志」はある? もしあるならそれは何?」
見立てた通り、クロは何かの案内者なのだろう。
ただその意図がクロにあるのかクロに託されているのかは判然としないながらも、この仮構帯にジラウは関係していない気がした。
赤目の不完全な疑似仮構帯であっても風の神殿の第八人種の仮構帯であっても、その領域を「管理する者」が必ず現れているから。
今いるのはキぺとクロだけであり、しかもクロは「コノ領域ハ我ガ支配下ニアル」とまで言っていた。
未だに展開を進めようとしない点が気になるもののクロが管理者であることは間違いない。
また、これがジラウの遺志によるものだとすれば何が言いたいのかさっぱりだし、ジラウの遣いとしての負託がクロにあるとしてもやはりキペ「だけ」を存在させる理由がわからない。
「我ニソノ任ハナイ。今ハ従イ示スダケダ。」
「任」という概念はあって「従イ示ス」のだから、誰かの意図が背景にあれどもそこにジラウはいない、と考える方が適切か。
となれば。
「ありがとうクロ。なんとなく分かってきたよ。
えと・・・じゃあ示して。それとも案内かな?」
わだかまっていた事柄を整理し、それを繋ぐ水先案内があれば不可思議も意味ある事象に昇華する。
「承知シタ。デハソノ扉ヲクグレ。」
すると足元からぼわりと離れたクロはそう告げ、キぺの視線をさっき見ていたはずの真ん前へ促す。
そこには悪びれた様子もなく、ただ当たり前に古びた木の扉があった。
「
複雑に絡み合っていたものが解けるように、正しい答えが見えてくる。
「ソレガ本来ノオマエナノダ。」
クロはそう言い、キぺの後をついてくる。
「だと思った。」
そしてぎぃ、と押し開けた先で
「うっ・・・」
目を眩ます光が爆ぜると
「遅かったじゃない。キぺ。」
にっこりと笑い迎える
「・・・か、・・・・母さん?」
ナコハがいた。
「母さんっ!・・・えぁ、あ、母、さんっ?・・・・母さんっ!」
抑えられないものは、抑えきれない。
「母さんっ! なん・・母さんっ!・・・あっと、えと、・・・・」
あまりに、それはあまりに唐突で、
衝撃で、
溺れたように、言葉が出ない。
「はは、落ち着きなよキぺ。あんたはどっしり構えてればイイ男なんだからさ。ははは。」
間違いなくそれは、まだ残る記憶と照らし合わせて間違いなくそれは、ナコハだった。
しかしそれは決して記憶の再現などではなかった。
「どっしり構えてれば」など、言われた試しがなかったのだから。
「あ、・・うん。」
理解が手をすり抜けるように離れるも、虚像であれなんであれそこはやはり母親の言葉。
頭にぽんと置かれた手のぬくもりと、諭すように諌めるように身を包むやわらかな言葉がキぺの混乱を即座に掻き消した。
そしてだから。
「ねぇクロ、教えて。」
仮構帯ゆえのありえない情景であっても、そこで呼吸するキぺには出来事を分類し、並べ替え、組み立てることができる。
失踪したと聞かされた母ナコハと、日常の続きのように当たり前に向き合う自分。
そして現実では存在しえないクロという案内者。
ミスマッチというよりデタラメなコラージュのような一場面に貫かれる「意志」をキペは探す。
ここが自分の意志だとクロに言われたことをちゃんと携えていたようだ。
「相手ヲ違エルナ、キペ=ローシェ。」
カラカラカラ、と揺れてクロはナコハを見遣る。そう、見える。
「おや、あんた「クロ」って名前もらったのかい。はは、いーね、そういうヒネリのないまっすぐな名前はあたしも嫌いじゃないよ、あっはっはっは。
・・・キぺ。あんたはもう気付き始めているね。
そりゃまだまだ見えていない部分もあるだろうけどさ。いずれ、いや、すぐにでも解るよ。あんた頭は良くなかったけどさ、はは。賢いから。」
ナコハにもやはりクロは見えていた。
そして、既に知っていた。
さらに言えばまるでここへキぺを連れてくることまで予見していたようだ。
「ありがと母さん。でも、僕はそんなじゃないよ。
・・・だってさ、本当はさ、今なにしてるの?って、どこにいるの?って聞きたいくらいだもの。
・・・でも、違うんでしょう?
僕が尋ねなくちゃいけないのは・・・心の底から、本当は、心の底から聞きたいのにっ!
だって、だってさ、なんなんだよっ!
なんなんだよっ! いいじゃないかっ!
くそっ、やっと、やっと会えたのにっ!
どうしてこんなオトナぶらなくちゃいけないんだよっ!
なんだよっ!・・・・なんだよっ!
なんでだよ。
・・・怒りさえ、乾いていってしまうのか。ここは。
泣いてもきっと、乾いてしまうんだね。
ねぇ、母さん。
・・・クロはなに?
そして、僕はなに?
・・・ずっと、ずっとこうやって母さんとおしゃべりすることは、できないんだよね。」
真っ赤に染め抜く激情が頭の中を真っ白に吹き飛ばしても、切ないほどにそれは乾いてしまう。
「はい、おしまい」とでもいうように、無情に、無機質に。
ここはとても現実とは呼べない。
でも、
現実じゃないとも言えない。言いたくない。
望む心と拒む心を行きつ戻りつ辿り着くのが
ひとつの路線。
たぶん、
それが「キぺの意志」。
「はっはっはっは、あんたは賢いよキぺ。ちゃんとわかってる。
ちゃあんとわかる子なんだよ、あんたは。
クロが何かはもうわかってるのにわからないフリをしているだけさ。だから言わない。
でもね、あんたのことは、言ってあげなくちゃわかりっこない。
・・・キぺ。
キぺ、あんたは、あたしの宝物だから。あたしの誇りだから。
キぺ。あんたは、あたしのすべてだから。
お願い。それは、それだけは忘れないで。」
ぐるるる、と傍でクロが唸る。
これから襲ってくる大きな波を警戒するように。
警戒するキぺを代弁するように。
「キぺ・・・あんた父親が誰だか知ってるかい?」
どきん、とする。
ジラウでないのは知っている。
でもなぜか、どきんとする。
知らないからじゃない。
知っているからだ。
今、気付いてしまったからだ。
「・・・そんな・・・そん、母さん。・・・どうして・・・」
ずきん、と鳴る胸。
そこから放たれ流される血が、汚れて見える。
「あたしの母ちゃんはね、早くに死んでしまってさ・・・・・・・・はは、「理由」なんてあたしもよくわかりゃしないさ。
でもね、無理矢理ってんじゃなかったんだよ。
あたしもそれをどこか望んでしまってたんだ。
・・・狂ってるって、そう思うかい?
狂ってるよね、そりゃ。
でもさ、でもね、あんたが五体満足で生まれてきたからなんだっていいや、ってそう思っちまったのさ。
あたしは罪人だよ。もちろん、父ちゃんもね。
でもさ、あんたがおんぎゃーって生まれてきたらさ、うれしくってうれしくって。
誰にも相談できなかったから。誰にも頼れなかったから。
すべてが恨めしく思えてさ、後悔だってしたさ。
でもさ。
いいや、って。
あんたがさ、元気いっぱいのあんたが生まれてきたらさ、うしれしくてうれしくて。
あんたの存在があたしに巣くうすべての罪を消してくれたんだよ。
救ってくれたんだよ。
キぺ。
それだけはわかって。あたしはあんたを愛してんだからさ。」
苦しそうに苦しそうに、ナコハはほほ笑む。
笑顔で返したいキぺも、下がる口を必死に押し上げた。
うれしいのだから。
こんなにあたたかい気持ちをこんなにもたくさん手渡されて、幸せなのだから。
幸せなのだけど、
うまく笑えなくて。
「だから・・・なんだね? 母さん。・・・僕が特別なのは。」
感動も切なさも乾く。
カラカラに。
すぐに、カラカラに。
「ああ、そうだね。・・・五体満足で周りの子と比べてもとりわけオツムが弱いってんでもなかったから、安心してたんだよ。
・・・でもあの時、目にしてしまったんだ。
あたしも〈音の契約〉はしてたからさ、すぐにわかったよ。
ケタ外れだった。
そもそもあんたは〈音の契約〉さえ交わしていなかったから戸惑ったよ。
それからの話は・・・知ってるようだね。
あたしが、そんな体にさせちまったんだ。
・・・キぺ、
キぺっ!
めんぼくないよっ! 母さん、もうめんぼくないよっ! キぺ・・・
キぺ・・・赦してなんて、言わないから。
そんなこと言わないからさ、どうか、どうか、あんたを愛させて。
それだけは、それだけは赦しとくれ。キぺっ。」
取り交わしてもいない〈音の契約〉の能力が生まれついた時から備わっていたわけ。
それも、まるで二乗したかのような段違いの効果を手にしてしまったわけ。
ナコハと、その父タウロとの間に生まれた者であれば仕方がないことなのかもしれない。
「いいよ、いいんだよ母さん。
ふふ、僕、全然恨んでないし、その、それが理由で母さんが苦しむのはイヤだけど、でもね。
でもね、こんな僕だからかな、出会えたヒトたちがいっぱいいるんだ!
ニガテなヒトもいるけど、し、死んでしまったヒトたちもいるけどね、でも、僕、よかったって思うよ。本当だよ。きっとこうじゃなかったら出会えなかったもの。
やさしいヒトたちばっかりでさ、おもしろいヒトばっかりでさ、カッコいいヒトとか、素晴らしいヒトとか、すごくたくさん出会ったんだ。
ねぇ母さん、僕、幸せ者なんだよ。
本当に、すっごく幸せ者なんだよ。会わせてあげたいもの。
だってさ、おもしろいんだ、ニポっていううるさい子がいてさ、・・・。
・・・でもこれで、お別れなんだね。母さん。」
うれしそうに、誇らしげに笑うナコハは顔をしわくちゃにして、そしてほほ笑む。
泣いたらダメだ、って、そんな声が聞こえてくるほど必死に、懸命にほほ笑む。
「はは、はっはっは。う、っく。なに気取ってんだい青二才が、ったく。はっはっはっは。
ははは、キぺ。・・・キぺ、よかったよ。
あたしは本当に幸せもんだよ。あんたなんか足元にも及ばないくらいねぇっ!
たっはっはっは。
ありがとうキぺ。あたしなんかの所に生まれてきてくれてさ・・・っく。
ありがとうね、キぺ。
あたしの光。
あたしのすべて。
はは、でもよかったよ。あんたを支えてくれるヒトがいてさ。ふふ、あんた引っ込み思案だから友達なかなかできなくって心配したんだよ?
・・・。
・・・じゃ、いいね。
あたしが心配するほどあたしの光は弱虫じゃなかった。・・・そうだね、キぺ。」
くしゃくしゃになるナコハと、くしゃくしゃになるキぺ。
永遠に続くこの世界を、しかし閉ざさなければ未来などない。
ここは仮構帯。
未来のない世界。
「うん。・・・うんっ! 僕、やらなくちゃならないことがあるんだ。
ふふ、よくわかんないんだけどね。へへ。。
でもさ、僕を求めてくれるヒトたちがいるんだ。この体のせいもあるけど、きっとそういうんじゃなくって、僕をちゃんと見てくれるヒトたちなんだよ。
僕はさ、僕はこんなふうに生まれついたから、その役目を果たさなくちゃって思うんだ。
それにハユも待ってるもの。はやく終わらせてハユを迎えに行かなくちゃ。
ふふ、どこにいるんだかわかんないんだけどね。
ねぇ母さん。
・・・いや、なんでもない。
いってきます。
・・・いってきます、母さん。」
悲しみもまた乾いてゆく世界で、キぺは背筋をぴんと伸ばす。
「取リ戻シタカ? キペ=ローシェ。」
踵を返すキぺは振り向くことなく閉じた覚えのない扉をもう一度開く。
「全部じゃないよ。・・・でも、今はこれで充分なんだ。」
ぎぃ、っとそれは鳴り、再び視覚を奪う強い光に包まれる。
「きっとさ、目覚めたら、やっぱり母さんのことでいっぱいになっちゃうもの。」
ぐるるる、とクロは淋しそうに啼き、ちら、と振り返ってみる。そう、見える。
そこには一人、振り返らない息子に手を振り続ける母親がいた。
「・・・ぐるる。」
クロが敷居を越えたことを見止めて
「・・・そんなこと言わないでよ、クロ。」
扉が閉まる。
がたん、と。
そして扉が、
消える。
「たっはっはっは。ったくテキトーなんだから。・・・誰に似たんだかねぇ。
ふふ、あたしであってほしいな、キぺ。
・・・いってらっしゃい。あたしの希望。あたしの愛。あたしのすべて。」
眠りに落ちるように、そして景色は金色の世界に閉ざされる。
目を伏せ消えゆくナコハには悪いが、テキトーな性格はタウロ譲りだった。
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