⓶ ぬくもりとやすらぎ
「もう・・・もういいよ。」
跪いた青年がぼそりとこぼす。
「チペあんたっ! なにネゴト言ってんだいっ!」
「そーだちぺっ! オカシラをおこらせるなっ!」
スナロア一行と別れたそこには、キぺ・ニポ・パシェ・ダジュボイとベゼルを支えるテンプがいる。
そんな泣き出しそうな雲行きの中、そうでなくとも急ぐ旅に不可欠な男が完全に音を上げていた。
「もう、・・・僕はもう、いいよ。・・・・・・もう、いいよ。」
フラウォルトのコロナィから脱出した後キペの義父・ジラウの遺した手掛かりを掴むため、そして不安定化する『ファウナ』立て直しのため二手に分かれたのだが。
「・・・限界だな。これ以上はオレたちも待てん。
シぺ、悪いがオマエには力ずくでも従ってもらうぞ。・・・テンプ、カクシ号でシペを捕獲しろ。」
コロナィでの騒ぎは確実に波紋を広げる「事件」だった。
〔らせるべあむ〕や〔ろぼ〕による破壊行動はもとより、死んでいたはずのスナロアの帰還、そして教皇ロウツの「暗殺」が同時に発生したのだ。
統府や兵団はもちろん、この機を逃すまいと長のいない『フロラ』や『ファウナ』が活発化するのは目に見えている。
コロナィへ行くまでも急かされたレースだったがここへきて急加速したようなものだ。
のんびり心のケアに時間を割く余裕などありはしない。
「そんなっ、ちょっと待ってあげてくださいダジュボイ様。
・・・あの、シペくん? あの――――」
「もう・・・ほっといてください。」
つらい目に遭ってきたテンプだから、家族のようなタチバミを失ったテンプたちだから、キぺを家畜や道具のように扱いたくはなかった。心でついてきてほしかった。
「ひつふぉうひたふぁ。」
痛む舌を震わせてまで言いたかったのは、決して「失望」などという言葉ではない。
「テンプっ! コイツはまだワカっちゃいねーんだっ! オレたちのやろうとしてる事がこういう悲劇を避けるための唯一の方策だってことがなっ!
・・・テンプ。シペを、捕獲しろ。」
ダイハンエイをコマ号やヤシャ号に分解すれば「掴む」手が使えることはダジュボイも知っている。
ただ、それをニポにやらせることは気にくわなかった。
「・・・なぁ、ダジュボイのじーさん、テンプたちとパシェを連れて先に行っててくんないかい。」
声の調子から何か案がある、というわけでもない。
それでも、今キぺに何かを訴えられるのはニポしかいなかった。
「・・・オカシラぁ、アタイはなれるのヤダよぉー。」
キぺを取られるのが、ではなくこの悲しく沈んだ場面にニポを置いていくのが嫌なのだ。
「パシェちゃん、大丈夫。ニポちゃんだから、大丈夫。ね?」
この時ばかりはダジュボイもベゼルも役立たずだ。
テンプの声はとても澄み渡り、それがそれだけで、やさしく呼びかけられるだけで、不安の少しを掠め取ってくれるものだから。
「・・・わかった。
ニポ、オレたちが為そうとしていることはモジャの・・・
いや。頼む。」
今のニポにとってもモクの話は触れてほしくなかった。
「むふふぉふぁん・・・ふぇんふ。」
うん、と言ってテンプが聞き取り、そして伝える。
「息子さん、ちと言い過ぎたよ。
先生の息子だから、先生の息子さんなんだから、って、勝手に思っちまってな。
アンタは先生の代理じゃねーもんな。
俺、先生が大好きだったからさ。先生の息子になれたら、なんて思ったこともあったしさ。
皮肉じゃないんだけどな、なんか、嫉妬しちまって。だからせめて俺の知ってることが役に立てば、ってよ。
おおまかにだけど、ニポにさっき聞いたよ。
アンタはどっからどう見たって巻き添え食っただけなんだ。よくやってくれたと思うよ。
こうして出会えたのはアンタが来てくれなきゃ叶わなかったことだった。
先生の自慢の息子に会えて、よかったよ。」
そう言って喉を詰まらせたベゼルの眼帯は色を濃くして湿りだす。
ベゼルとてありったけの情報を整理してジラウの遺言の意味を探したはずだ。
もちろん、スナロアやダジュボイとも話していたのだからより広範に、そして精密に。
それでも解けなかったのだ。
キぺだけが、答えだったのだ。
「「ニポちゃん、あたしたちは南下してナナバっていう村に行ってるね。人里離れた村らしいからカクシで行ってもダイハンエイが来てもどこかに隠せるから。」」
正確にはやや南東だ。真南に下ったすぐにはセキソウの村があり、近くには要衝・カミンの町がある。
さすがにその近くでは人通りが激しく穏便に事を進めるには目立ちすぎた。
「「ちぺぇぇぇぇーっ! オカシラをなかせんなよぉぉぉぉーっ!」」
いちいちうるさいパシェの大轟音が余韻を残して去ってゆく。
そして、
静かになる。
「・・・。」
キぺは何も言わない。
「・・・。」
ニポも何も言わない。
跪くキぺの前で、ニポも座るだけ。
本当は一人で泣き喚きたいのに、
そこにヒトがいるだけで、カッコつけて、それもできない。
「・・・ニポ。」
明らかにやつれたキぺが声を絞る。
「なんだい。」
醜く膨れ上がっていた右半身の筋肉も、今はナリを潜めていた。
「あっち行って。・・・・・・ちょっと、泣きたい。」
本当は空腹で、喉も渇いているはずだ。
「イヤだね。」
でも口にしないのは、甘えたくないから。
「・・・。」
欲に手を伸ばして、アヒオやリドミコやタチバミの死を汚したくないから。
「・・・。」
しかし体は求めている。
「・・・ニポ。」
水分を、栄養を。
「なんだい。」
違う。
「・・・ニポ・・・・・ニポっ!」
求めているのは
「・・・いいよ。・・・おいで。」
ぬくもりだ。
「ニポぉっ!・・・っく! っくっっ! ニポぉっ!」
何もできなかった。
「いいよ。」
それどころか自分が招いてしまったのだ。
「ニポっ!・・・くっ、くそっ!・・・ニポおっ!」
殺してしまったのだ。
「泣きな。」
名も知らぬ囚人も、アヒオもリドミコもタチバミも。
「うぅぅぅっく、・・・うぁ、ああぁぁ、あああああっ!」
恐かった。
辛かった。
苦しかった。
悲しかった。
「いいんだよ。」
自分が変わっていくのも感じていた。
「うわああああっ、ああぁぁぁっ!」
自分が自分でなくなることも、恐かった。
「いいんだよ、チペ。」
みんなの力には勿論なりたかった。
「うあああぁ・・・・・
ごめんなさいっ、ニポぉ、ごめんなさぁぁいっ!」
なれるかどうかの不安が恐くて、何もできないのに変わっていく自分が恐くて、
「かまやしないよ。」
情けない自分を立て直せなくて、苦しくて、悔しくて、
「ごめんなさああいっ、みんな、アヒオさんっ・・・リドミコぉ・・タチバミさぁぁんっ!」
とても、
とても、悲しくて、苦しくて、
「届いてるさ。」
どうしたらいいか分からなくて、うまく立ち上がれなくて、
「うああああああっ・・・・」
わからなくて、わからなくて。
「ごめんなさあああああああいっ!」
でも、
「なぁチペ。」
力任せに抱き寄せたニポの胸は
「・・・ひっく。・・・っく。」
泣き叫ぶキぺの顔をぐっと抱えてくれるその腕は
「こうやってさ、」
とぐろを巻く黒い獣の咆哮が響く中
「あたいはね、あんたに救われたんだよ。」
あたたかかった。
「・・・ひっく。・・・僕は、僕は、なんに、もして、ないよ。」
嗚咽のあとのしゃっくりが、
妙に恥ずかしい。
「いや。あんたなんだよ。暗闇からあたいを掬い上げてくれたのは。」
やわらかな胸と、ニポの匂い。
「・・・ひっく。・・・僕は・・・」
ニポの背にきつく回した手はやがて弛み、
「知ってるよ、チペ。・・・だから今度はあたいに救わせてくれないかい。」
でも、離したくなくて、そっと抱きしめてみる。
「じゃあ・・・・・・もう少しだけ、このままで、いさせて。」
ニポはそれを拒まなかった。
「ああ。」
そしてニポの匂いを胸いっぱいに吸い込む。
「・・・ねぇニポ。」
ニポの温度を、なんだかニコニコしてしまう甘い匂いを体いっぱいに感じ取る。
「なんだい。」
だから
「・・・アヒオさんは、誰も見放さなかったよね。」
しゃっくりは止まり、
「ああ。」
目の赤みさえ引く。
「リドミコは、いつも元気に笑ってたよね。」
鼻水も止まって、
「ああ。」
鼻声じゃなくなる。
「タチバミさんは、何も諦めなかったよね。」
嗄れた喉すら潤い出す。
「ああ。」
そしてゆっくりと、ゆっくりとニポの胸から顔を離し、その瞳を見つめる。
「ニポ。」
その瞳は潤んだままキぺの顔を美しく映す。
「なんだい。」
ニポからキぺの腕が
キぺからニポの腕が離れて
その手と手が求め合うように今度はやさしく繋がる。
「ありがとね。」
ふふ、と笑うキぺに、ふふ、とニポは返す。
「まったく。二人っきりで出てくる言葉がそれかい。けけ。」
照れるように笑う二人が目を落とせば
そこには二人のヒトを結ぶ手と手がある。
「ねぇニポ、その、・・・こんな時になんだけど・・・」
二人はどちらもそれを離そうとはしないまま、ゆっくりとまた顔を上げる。
「なんだい。」
そんな、唇も見えなくなるほど視界がすべて、すべて互いの顔で埋め尽くされる距離へと近づいてゆく。
だから。
「ぬおんどりゃあいやあああああああああっ!」
ごきん。
見えなかったのだ。
「うわきあいてにオカシラをえらぶとはなにごとだあああああああっ!」
向こうの方から心配で帰ってきちゃったパシェの飛び蹴りが。
「うおぉぉぅふ・・・」
声がした瞬間にニポを伏せさせたのは適切な判断だったものの、ニポをも厭わぬパシェのジャンプキックは無防備丸出しの顔面には堪えるものがあったようだ。
「あーぁ。パシェあんたねえ・・・あっはっはっは、ま、いっか。」
そうして「うわきもんをたおしたぞーっ!」と勝ち鬨を上げるパシェを尻目にニポは仰向けに倒れるキぺを引っ叩いて起こす。
「ふはぁっ!・・・あぁ、なんだ、夢か。・・・・うごっ、あ、ちが、夢じゃないのか。」
良くも悪くもいつものそれに戻ったキぺ。
戻したのがニポのぬくもりなのかパシェのキックなのかは判然としない。
「さ、いくよ『ヲメデ党』っ! 乗りなこんにゃろーっ!」
だから
「あいまーっ!」
となんとも雑な呼び掛けに党員・パシェと三下・キぺがオカシラ・ニポに従いダイハンエイに乗り込む。
キぺの異常な変形や人格の変容に一抹の不安はあれども、今は進むしかなかった。
ヒトを容易く壊してしまう苦しみや悲しみに追いつかれるより速く、今はただ、進むしかないのだ。
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