ものがたり 6

山井 

第六章 ほどかれゆくもの  ① 新しい息吹と大きな風





 こんこん、ぎぃぃ。


「失礼いたしますぞ。」


 数十名の賛同者を連れた老齢のユクジモ人が一人、それらを待たせ静かな教会の戸を開ける。


「・・・そろそろだとは思っておりましたが。

 ふふふ、お待ちしておりましたよ。カセイン元・枢老院長さん。」


 それを迎えたのは穏やかに笑みを湛えるリマキカ族の老翁。


 ユクジモ人穏健派の保守層から信を得ているカセインと、スナロア・モク無き今「三神徒」として最後の権威を保つシクボの二人はここで、初めて出会うことになる。


「あの情報師――ウセミンという輩はしかし、どうしてこうも大事な秘密をこんな機にワタシに伝えてきたものか。・・・それとも、これも・・・ふぅ。


 神徒シクボ、アナタはもうご存じですな、スナロアの存命は。

 そしてこれらの糸を引き始めたのもあの者であると。」


 権威と権威。

 各々の立場により折り合わぬ節こそあれ、つまらぬ謀り合いなどあるはずもない。


「ええ。そしてそれはこの切迫する現状の深刻さを如実に表しているものと言えましょう。」


 そこは、とても静かだった。


 少し前まで『ファウナ革命戦線』と呼ばれる組織が陣を構え、檄を飛ばす姿も見られた場所だったから。


「こうなることをさえあの男は見越していたというわけか。ハハハ、皮肉なことだ。

 とはいえこの皮肉がワタシに最後の役目を与えてくれたものと思っております。


 残された「三神徒」がシム人となることすらスナロアの先見に導かれた未来であるなら、もはや笑うより仕方ない。

 笑って、そして従うしか。


 神徒シクボ。ワタシがここを、この「隠れ家」を訪ねた理由は承知のことでありましょう。フフフ、敢えて答えを尋ねる必要もないかとは思うのですが、その声で応えていただきたい。」


 確かにあの時、シクロロンが「対話で『フロラ木の契約団』と交渉する」と宣言し説き伏せた時、『ファウナ革命戦線』はシクボの率いるイモーハ教会と共に一つとなってコントロールできる組織になっていた。


 しかし浮島シオンでの和平交渉の決裂、ならびに総長の喪失で統御は破綻してしまったようだ。もはやシクロロンというタガの外れた組織を引き締めるにはメトマも行動に出るしかなかったのだろう。


 今この教会に残っているのはシクロロンを指導者と心に決めた者たちだけであり、大半はシクボたちイモーハ教とも再び手を切った『新生・ファウナ革命戦線』に身を委ねたということになる。


 カセインの言う「皮肉」とは、この大編成のおかげで『ファウナ』残党が「ユクジモ人を疎むメトマたちと袂を分かった」、ということだ。


 また『ファウナ』残党と手を結ぶイモーハ教の指導者がユクジモ人ではなく、といってファウナ系からも距離を置くシム人・シクボだったのは奇跡としか言いようがない。


 どの人種からも離れたシクボであれば信者をはじめ、『ファウナ』残党、そしてカセインたちユクジモ人を等間隔で結ぶことが期待できるのだから。


 そこには幾つもの偶然があった。しかしそれらを最も効果的に、正しい順序と機敏な手際で繋いでゆかねばこの権威二人の顔合わせも叶わなかったはずだ。


 カセインの言うとおり、こうまで巧く物事を結びつけられると笑えてくるものなのかもしれない。


「神徒などと尊ばれたところでヒトの器量の差は歴然ですね。ふふ。改めてスナロアには畏怖を覚えますよ。


 カセイン元・・・いえ、カセインさん。手を取り合いましょう。


 私たちに兵はありません。ですからメトマ氏の率いる『新生ファウナ』にも、おそらくはキビジという者が指揮している『フロラ木の契約団』にも太刀打ちはできません。


 しかし勝てぬからといって敗北するとも限りません。いうまでもなく、私たちは民を味方につければよいのです。


 まずは集めましょう、同調者を。

 ふふ、その後はもうお分かりですね。あの者がなんとかしてくれるでしょう。ふふふふ。」


 兵と武器を交えれば勝利などない「集まり」でも、兵を下支えする者たちを取り込んでしまえば思うより短期間でそれは決着する。兵糧や医薬品、武器などの物資を断てばワケのない話なのだから。


 無論そこには情やしがらみが張り巡らされている。

 だがそれらを断ち切れる「理由」となるのがイモーハ教と、急進派/穏健派、保守層/革新層を問わずユクジモ人全体から絶大なる信を得ているスナロアなのだ。


 無責任とも取れるシクボの「スナロア任せ」は、身の丈をわきまえずに図る拙い作戦よりもずっと希望が持てる点で間違いではなかった。


 そして今は、神頼みのようなそれの他により良い一手を構想している猶予がないのだ。




 ぱからん、ぱからん。


「逃げないでくださいねぇールマ君。


 ・・・明日には着きますから。その時までには切り替えてください、シクロロンさん。」


 カニ・エビ・イカ・タコ馬にシクロロン+ハク、ボロウ+シーヤ、スナロア+ルマが乗り、『ファウナ』本部を目指していた。


「フンっ、逃げるものかっ! この俺を誰だと思っている根暗者っ! 俺には父上を連れて帰らねばならぬ使命があるのだからなっ!」


 浮島シオンにおけるハイミン奪還の失敗、そして得体の知れない集団に誘拐されてしまった失態。

 それだけでも赤っ恥ものだがこれに加えて「一人で遁走した」となれば指導者として迎え入れられるはずもない。せめて手土産にスナロアを連れてゆきたい状況も、アウェーに取り囲まれては不利だった。


「・・・うん。わかってる。・・・でも、でも・・・」


 心寄せていたアヒオと幼すぎるリドミコの死は、戦いに身を置いた者たちのそれとは比べ物にならないほど重く、強く少女の胸を突き刺していた。


 まだ二十円を数えていないシクロロンにはその傷が癒える日を思い描くことさえ困難だ。


「・・・ふぅ。

 くそムシマは―――アシナシは、最期に兵を片付けていきましたよ。全部見たわけじゃないのでメトマ執官史はどうか知りませんけどねぇ。


 ・・・あんまり言いたくなかったんですが、あの男でこの結果なら誰にも防ぎようがなかったことですよ。全面的な戦いになったとしてもねぇ。


 これは絶対言いたくなかったんですが、いわゆる「戦い」になったらボクでも勝てないんですよ、アシナシってのは。そりゃきちんと剣術で試合をすれば息を上げる間もなくボクの勝ちですよ、もちろん。


 ですが、昔の暗足部ってのは「守る」のが仕事でしたからねぇ。得た情報を守る、仲間を守る、自分を守る。


 そのためには何だって道具に防具にするんです。布でも砂でも闇でも音でも。


 わかります? そんな男が守るものを失ったら、守らなくていいとなったら、そのすべてが武器になるんですよ。すべてを武器にするんです。敵いっこないでしょう?


 でもですね、あのくそムシマが守りたかったのはなにも二重人格少女だけじゃなかったんです。

 見てたでしょう? あの牧歌帝王をはじめアナタや暴力娘たちまで守ろうとしていたんです。


 じゃなきゃ、逃げて「守って」いたはずですからねぇ。


 ・・・。

 アシナシを、「死んだ」で片付けないでくださいよ。


 アナタが、あの場にいた多くの命が―――タチバミ君には悪いが、助かったんです。助けられたんですよ。残されたんです。遺してもらえたんです。


 ・・・。


 憎たらしいことにボクが脱出するまで何もしなかったんですよ、あのくそムシマは。


 断じて言いたくなかったんですが、ボクらがあの男の遺志なんです。


 ・・・そこだけは、覚えておいてくださいねぇ。」


 あーもうホントに言いたくなかった、とグチるハクの背で、だから小刻みに震えていた体が静かになる。


「うん。・・・うん。わかった、ハク。」


 ふー、とやるハクの横を走らせていたボロウはべろべろだ。


「わかればケッコウ。」


 だからだろう。ねぇ、もっと聞かせておくれよ、みたいにボロウは横でせがんでいる。


「ところでよーナス? ナスマロ? ナス麿よー、これからどーすんだっつーの。」


 いい話をもっと、とねだるボロウの背からザ・無頼漢(女)のシーヤが声を張る。


「ふむ。先に飛ばした蟲でこちらの事情は簡潔にシクボへと伝えてある。帰宿である私が動いてしまったので知己の情報師からの連絡はもう望めぬが、シクロロンを失った『ファウナ』には当然動きが出るだろう。


 まずはそこで整理せねばならぬな。うまくゆけば今なお枢老院に影響力を持つカセインとも合流できる。


 希望的観測だけを言おうか。


 もし『ファウナ』がシクボの影響圏内であり、また『フロラ』が枢老院に耳を傾けてくれる状況であれば二大組織のいがみ合いを止めることができる。私という小道具を用いてな。」


 語り部となったからだろう、弟ダジュボイより若いその老神徒は手綱さばきもサマになっていた。


「ハっ、笑えぬな父上っ! 弱小『ファウナ』はどうあれ我が『フロラ木の契約団』は老体の集まりなどに指図は受けぬっ! だから我らと共に立ち上がってくれぬかっ!」


 もう無茶苦茶を言う。

 なぜならこのままだと『ファウナ』の本部に連れて行かれるからだ。


「あーもう勢いばっかの若造は支離滅裂だからヤなんですよ、ったく。

 いいですか、アナタは捕虜なんです。アナタはボクらの手の中にいるんですよ。自覚してもらわなきゃ斬りますよ? ったく。


 それからボロウ君、ボクに泣ける話をせがむのはやめてくれないか。あるわけないだろう、このボクに。ったく。」


 ちっ、とやるルマとボロウ。


「斬るのはダメですよハク。私は話し合いできちんと解決したいんですから。」


 おーやれやれー、もっとやれー、と思うのはルマとボロウ。


「ところでボロウさん、こちらに付いて来てよかったのですか? 

 私たちとしては味方になってくれるヒトでもあるし、その、忘れな村の出身ということで貴重な意見を頂けるからありがたいのですが。」


 忘れな村へは結局行ったことのないシクロロン。

 しかし出会った者たち、とりわけニポがその出身者だったことが話されれば心は動いた。


 統府や『フロラ』にばかり目を向けていた今までの三角図というものを、ボロウという証人をもって変革したいと思うようになっていたようだ。


「はは、うれしいこと言ってくれるね総長さん。でもお気になさらずに。おれはあくまでスナロア大師の護衛としてこっちの班に来てるからね。


 でももしおれたちの村の存在が意味ある価値を為すのならば協力は厭わないさ。ふふ、護衛長さんも幸せだね。こんな総長にならおれだってついていきたいよ。」


 それにククク、ウチの自慢の総長ですからねぇ、みたいに笑って返すハク。


「ハっ! くだらんな。仲良しこよしで悲痛な民の涙が拭えるものかっ!」


 かーっ、もうホントいつまで反抗期なんだこのヘソ曲がりはっ、と唾をぶーっと飛ばすハク。


「そう思うかルマ? 仲良しこよしこそが我らの大望。その変遷に戦やいがみ合いがあって成る夢とは私は思わぬな。


 さておきシクロロン、それは妙案だ。ボロウたち村の民と慣れ合い過ぎてしまったせいか完全に見落としていた点、まずは詫びて改めねばならぬな。

 そしてボロウよ、私からも協力を願いたい。


『ファウナ』と忘れな村の『今日会』との間にあるわだかまりを解くために同行してもらえぬか。

 私の警護などどうでもよい。その声を届ける役を担ってもらいたいのだ。」


 おそらくその高貴な威厳のようなものは意志のひとつでコントロールされているのだろう。


 然るべき時には有無を云わせぬ圧倒的な空間に相手を閉じ込める力強い声も、平時の場面では気さくなそれのようにするりと耳に滑り込ませるやわらかさがあった。


 ただただ厳格なだけではモクをはじめ忘れな村の民が慕うはずもない。

 一人のヒトとしてのたおやかさや大らかさが声の、言葉の片隅に見えていなければ機械仕掛けで代わりは果たせるのだから。


「はい、大師の意のままに。

 ふふ、妙なことを言うようですけど、今の大師にはうっすらとモクさんが重なるように見えます。「敬愛」といえばそれは正しいのですが、どちらかと言えば「大好き」なあの方の懐かしい森の匂いが感ぜられる気がします。」


 ふざけるなハルトっ、あのような背信神徒と我が父上を一緒にするなっ!と怒鳴るルマに、そろそろ本気で頭にきたシーヤがボロウの背から柔らかくない何かを投げつける。

 並走するハクはノリノリだ。


「ふくく。貴公のような〝色見〟の力がないのが残念だ。

 とはいえ信じて受け取らせてもらおうボロウ。


 ・・・ふくく。森の匂いか。モクは確かに、そんな匂いがしたな。」


 若草のような新鮮な風を思わせながらも枯れ朽ちた老樹の切ない湿度を孕み、凛とした一輪咲きの花ように気高くありながらも宵の蔦這う木立の連綿に神秘を見るかのような、そんな、不思議な匂い。


 恐怖さえ覚える迷いの森はしかし、全ての音をそっと隠して己の中へといざなってゆく。

 辿り着くのはだから、どこか憶えのある懐かしい世界。


 まだ実感の湧かない親友の死は、梢の一切れ、葉の一枚も傷つけずに吹き抜けてしまった風のよう。


 森から出てしまった風の前に広がるのは

 無辺際に広がる空。


 それは希望だったが

 畏れでもある。


「あの、スナロアさま。その、地下牢では申し訳ありませんでした。不躾なことを言ってしまって。

 あ、でも、その、スナロアさまは本当にモクさんを慕ってらしたのですね。」


 木漏れ日しか知らなかった森の風が空いちめんの日差しに出会えば、立ち止まりたくもなる。


「貴公は私に正しい言葉をくれたのだ。ふくく、罪も過ちもありはしない。」


 不安になる。

 空がそんなにも大きく、区切ることのできないものだと知らなかったから。


「あー、事のついでに言っておきますけどねぇ、神徒モクを看取ったのがウチの総長なんですよ。」


 区切られていればどこを抜けようかと選ぶことができた。


「いえ、看取ったなんて。あ、でもそこにはハクもいました。キぺさんやお兄・・・ア、ヒオさんや、ダジュボイさんも。


 ダジュボイさんはおっしゃっていました。モクさんの遺志を繋ぐのだと。


 繋いだ遺志はスナロアさま、あなたの元へ続いていましたよ。」


 広すぎる空は、残酷なほどに不安を募らせる。


「そうか。・・・・・・そうか。」


 一陣の、ひとつまみの、森から抜け出ただけのそよ風だったから。


「よーあんさんらー、あんまし老人イジメんじゃねーっつの。トシ食うと大概のことにゃキリっとしてられっけんどもなー、昔のことだの旧友だの家族だのってのにゃーめっぽう弱くなっちまんだかんなー。


 な、そうだっぺ? ナス麿。」


 しかし、だから今は違う。


「あのー、シーヤさん? 大師をよく知らないのだろうけど・・・その・・・ルマくんっ! ここは怒っていいぞっ!」


 不安が生まれないのだ。


「クク、言われるまでもないっ! おいそこのチビスケっ! 貴様いったい誰にモノを言っていると思っているのだっ! ここにあるのはかつて三神徒に――――――――――」


 ひとつ風ではないから。


「おい待て癇癪持ちっ! いくらなんでも長すぎだっ! そんなに朗々とスナロア老の説明してたらその女は寝るぞっ? なんかそんな類の連中といたからボクにはよく分かるんだっ!」


 あちこちから漂い彷徨う風たちと出会って、手を取り合った今は


「あ、ちょっとハクちゃんと前向いてっ! ルマさんは語る時に空を仰がないでっ! シーヤさんはふざけてボロウさんに肩車しないでっ! ボロウさんはそれを我慢しないでっ! そしてスナロアさまは思いに耽って手綱を離さないでっ! 


 お願いっ! みんなちゃんと馬に乗ってくださぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!」


 今は。

 空の限りを覆う雲さえ吹き飛ばしてしまう

 大風となったのだから。



 そして一行は山を抜け『ファウナ』アジトの教会へ駆けてゆく。


 温度も速度も湿度も異なる「風」がやがて、ひとつの大風となり吹き抜けてゆくかのように。

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