第7話ー2
「いただきます」
いつものように。祈りを捧げて食事を始める。視察隊のことがあってかリュカ様もリリアーヌ様も食事にはいらっしゃらなかった。味がいつものように美味しいのに酷く味気ない。ただお腹は空いているので口へ運ぶ。誰もいない、静かな食堂で一人。食器と皿が擦れる音だけが響いた。
こんなふうに、一人になるのは久しぶりに感じる。
部屋で一人になることはあっても、こんな気持ちにはならなかった。この食堂はいつも賑やかで、温かで、ギルベアト様がいるととてもうるさかった。リュカ様の注意が甘いのか、隣に座られることも何度もあったけれど、どの席にいても騒がしいのであまり変わりはなかった気もする。
私は薄情なのかもしれない。
美味しいご飯をいつもどおり食べて、この後はきっとふかふかの布団で眠ることができる。モノクル様もギルベアト様ももういないのに、いつもと何ら変わりのない生活を送ることができる。涙も出ない。現実感がない。
「おー、またいっぱい食ってんな。そんなことよりさぁ」
今でも。そんな声が聞こえて扉が開くんじゃないかと。無遠慮に隣に座って話しかけてくるんじゃないかと。医務室に行けばいつでもモノクル様に会えるんじゃないかと。いつものように少し拙い話し方で、私を心配してくれるんじゃないかと。そう思えてならなくて。
食事を終えて部屋へ帰る途中、物音に振り向いても誰もいない。不思議な孤独感と戸惑いの中で眠りについた。
ポプリの香りはとうの昔に消えていたけれど、やっぱり、いつものようによく眠れた。
* * *
視察団の詳しい話を聞くことができたのは、リリアーヌ様の手が空いた三日後のことだった。少しやつれていたが、そんな中でも私の心配をしてくれていた。もうすっかり通常営業に戻った私よりも、リリアーヌ様の方が余程心を痛めているだろうに。
「生き残りにね、勇者がいたの」
たまたま滅ぼした村で、たまたま生き残った少年が、たまたま十一歳の誕生日を迎えて、たまたま勇者のリティスを授かって、たまたまそこにギルベアト様達が到着されて。そんな偶然が重なって、その勇者に視察団は敗れたらしい。ギルベアト様が逃がした魔物、ただ一人の生き残りが伝えた大切な情報だ。
「ギルベアトは馬鹿だけど、弱くはなかったのよ」
旧魔王体制下に置いては四天王も務めていたほどだ。リュカ様には負け続けていたとしても、ぽっと出の少年に負けるはずはない。それが、勇者でもない限りは。
「また、リュカ様が改めて視察に行かれるから。詳細が分かったら伝えるわね」
そう言って、リリアーヌ様の話は終わった。それでもまだ、私は三食もおやつもよく食べ、クリス様やデイジー様にお礼を言い、特に泣くこともなくふかふかな布団で効果のないポプリを片手に眠ることができた。
私はきちんと認識していなかったのだ。
『なんかこの前滅ぼした村から魔力反応があったとかでさ』
滅ぼした村には、当たり前のように人が暮らしていて、ギルベアト様達はそんな人達を躊躇いもなく虐殺していたことを。
『適度に殺して、適度に畏怖を与えているんだよ』
私が微温湯の家族のような暮らしを送っているこの魔王城は、人間と戦争していることを。
人も魔物も、当たり前のように戦って死ぬことを、私は何も分かっていなかった。
* * *
一週間ほどして、毎夜聞こえていた音楽が流れなくなった。視察団の訃報を受けてから流れ続けていたその音量は、私ですら眠るときに気になる程度には大きかった。眠りはしたのだけれど。
「……鎮魂歌ってわけでもないが、そうじゃな。誰かが亡くなった際はいつも流れておる」
デイジー様によれば魔物の慣習というわけではなく、リュカ様がいつからか始められたものらしい。
「大きな音は、便利じゃからな」
その音に集中してみたり、その音の中に何かを隠してみたり。
リュカ様も、悲しんでいるのだろうか。
悲しんでいてほしい。なんて。
自分は泣くこともしないのに、無責任にそんなことを思った。
* * *
リュカ様が私の部屋を訪れたのは、ひと月ほど経った日の夜だった。視察から帰られたのだろう。ドアを開けると、珍しくマントも汚れたまま、疲れた顔を隠すこともしていないリュカ様の姿がそこにあった。
「お帰りなさい、リュカ様」
「ただいま。話したいことと、渡したいものがあったから」
彼の地に赴いて、回想魔法で詳細な状況が分かったらしい。着いてしばらくは予定通りにモノクル様達はその後の村の状況確認と魔力反応の調査を行い、ギルベアト様はあちこち潜ったり、物をどけたり、飛んで上から見たりしながらなくしたマントを探していた。
程なく調査を終えて、マントも無事に見つかったところで、それは現れた。
一人生き残って近くの街の住民に保護され、感傷に浸るためかたまたま戻ったその先で、村を滅ぼした魔物達が闊歩していることに気付いた。通常、勇者といえど実戦経験もない人間が魔物に太刀打ちできるはずはない。ギルベアト様もいるなら尚更だ。ただ。
「多分、命を削って魔力へ変えたんだろうね」
人間が魔力を高めるためには、成長が不可欠だ。私が生かされている理由もそこに起因する。ただし、例外もある。
成長して得られるはずの魔力の先取り。
命を削って今の力に変えるそれは、通常成長を待つよりも多くの力を得る。怒りのままに解き放たれたその力は、重力魔法のように辺り一帯を押し潰した。モノクル様達も、例外ではなく。
「念のためモノクル達が防御魔法も張っていたのにね。八割がそれでやられていたよ」
それでも八割で済んだのは、ギルベアト様が瞬間的に展開した魔法のお蔭だったらしい。そのうちの一人を逃がし、迎え撃って、敗れた。
「ただ、勇者の力は大分削いでくれたみたいだ。この先十年は心配のないくらいに」
ただ敗れたわけではない。限界まで力を使わせて、先取りの魔力もある程度枯渇させて、敗れた。ギルベアト様の死は決して無駄ではなかったということなのだろう。けれど。
意味があったからと言って、死んでほしくはなかった。
「魔物は人間と違って死ぬと霧散するからね。これくらいしか残らなかったけれど」
リュカ様から渡されたものは、ひしゃげたモノクルと土で汚れたマント。
「モノクルも君には懐いていたし、ギルベアトのそれは、君が受け取るべきだと思ったから」
マントは、何かを包んでいて。少しずつ開いていくと、現れたのは。
『夜には戻るから、俺にも一個食わせろよ』
傷一つついていないクッキー缶だった。
「ギルベアト様は……馬鹿なんですよ」
「知ってる」
『このマントもリュカから貰ったんだが、古代の強力な防御魔法がかけられてるとかで貴重な物みたいなんだわ』
「普通に着てれば、勝てたんじゃないですか」
「そうかもしれないね」
『クッキーは割れやすいそうですから、気をつけて行ってらしてくださいね』
『気をつけろって意味が違うじゃねぇかよ……ああもう』
「ギルベアト様が割って帰ることくらい私が分からないわけないじゃないですか」
「基本的に気が回らないからね」
『俺のお蔭ってわけか。悪くはねぇな』
「いつも怒らせたり、呆れさせたりするばっかりで」
「自分の好きに生きているだけだから」
『おう、ちび助』
「なんでっ……なんでこんな時だけっ。もう、もうお礼も言えないのに……会えないのに、こんなことするんですかっ!」
今まで悲しかったはずなのに、一向に出てくることのなかった涙が、堰を切ったように溢れ出す。だけど。
「なんで……なんで帰ってこないの? なんで、なんでぇ……っ」
認めたくなかった。何事もなかったかのように帰ってきて欲しかった。割れたクッキーに怒る私を無神経に逆撫でして、またお祈りの中に加えられないことに拗ねて欲しかった。
「……そうだね」
私がわあわあと泣き喚く横で、
「馬鹿が……っ」
悔しそうに、絞り出すようなリュカ様の声が聞こえた気がした。
馬鹿で何も考えてなくて戦い好きでそのくせ負けると当たったり不貞寝したりして子供みたいにリリアーヌ様に叱られて無遠慮で不躾で無神経でこちらのことなんか考えずにどかどかと土足で踏み荒らすかのように現れて笑って陽気でつられてこっちまでなんだか馬鹿馬鹿しくなってしまうようないるだけで楽しくて温かで嬉しくて。
人間にとっては、憎むべき敵だったとしても。
貴方のことが好きでした。
いなくなって寂しくて仕方がないと、ギルベアト様のいない魔王城で、子供のようにいつまでも泣き続けた。
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