閑話


 目が覚めた時は奇跡だと思った。

 死力を尽くして戦い、討ち果たせたことには満足していた。例え自分がいなくなったとしても、彼女も、仲間も、世界も守れたのだから。人間にはもう戻ることはできなくても、誰にも干渉できなくなったとしても。世界の守護者となって彼女たちをこれからも守れるのなら、そんなに悪い気はしなかった。

 その続きの話を聞くまでは。


『ごめんなさい』


 魔王討伐の報を受けて、進軍を開始した国がいくつあったのか、小国を併合し気に入らない村を焼き、少数部族を奴隷化した例がどれほどあったのか。世界のことなど露程も考えず、ただ、魔王を倒しさえすれば平和な世界になると旅をしていた自分たちの甘さを突き付けられた。


 誰が悪かったのか。

 誰も、悪くなかったのか。


 追跡してみれば、自分が目覚めるまでの五年の間で一人を除いて仲間はすべて死んでいた。


 屈強な戦士だった彼は故郷へ戻るなり、別の戦いの場へと駆り出された。大家族の兄として家族に剣を向けられれば戦わざるを得なかったのであろう。魔物を多く葬った英雄の剣はどうしようもないほどの人の血に塗れ、穢れていった。そうして、最期にはその力を捧げてきた国から危険因子として見做され命じられ、家族の命と引き換えに自害した。

 彼が守った家族の命は、数分後にはすべて摘み取られた。溺愛していた末の妹の断末魔を聞かずに済んだことは、まだ幸運であったといえるのかもしれない。


 癒しの力に置いて右に出るものはいないと謳われた彼女は、戦闘面においては非力だったことからすぐに捕えられた。拷問にかけられ、自分達が間違っていたと言わされ、看守に媚びへつらわなければ水の一滴もパン屑ひとつも貰えず。家畜以上に酷く扱われる日々が続き、彼女があれほど祈りを捧げていた神の像が見守る中で、発狂し、頭を撃たれて亡くなった。


 そして、いつも自分を引っ張って、檄を飛ばして。ずっと傍にいてくれた攻撃魔法の使い手である彼女だけが、今も生きていた。反応を辿って以前訪れた国まで急いだが、彼女はすでに処刑台にかけられていた。


『正せ正せ正せ』

『間違いを正せ』

『誤りを認めろ』


 何度も殴られ、鞭で打たれ、切り落とされたのか足も途中までしかなく、手は歪な方向に曲がっている。それでも、最後の最期まで彼女は笑う。


「リュカも、私達も。間違ってなんかいなかったわ」


 首を切り落とされる直前まで。



「こんな世界こそ、糞喰らえよ」



 五年という月日が経過したにも拘らず、こんな自分を裏切ることなく。ずっと信じて、孤独に戦い続けていた。間違った世界を正すためにあちこちの国へ赴き、戦火を鎮め、自分達が守ったはずの平和な世を作るために奮闘した。捕えられても、どんな拷問を受けても、その意思は変わらず、変えることがなかったからこそ首を落とされた。

 彼女の体は処刑後も切り刻まれ、悪魔を退治したと近隣の国も村も沸いた。切り刻まれた体は戦果として各地にバラまかれて、以前訪れた近くの村では木に吊るされて酒の肴にされていた。


 彼女が何をした。


 戦争を始めたのも人間で、人を差別し、虐殺し、隷従させたのも人間で。魔物なんて、魔王なんていなくても勝手に争い始めて、人のせいにして。自分達が守りたかったものは、こんな世界だったのか?


『悪魔を滅した我らが王国のますますの発展を祈って!』


 いつか、この木では村の巫女が舞っていた。月祭りの日で、満月がとても綺麗な光を放っていたことを覚えている。


『ルネ、戦いが終わったら結婚してくれる?』


 不意に口を突いて出た言葉は、


『今そんなことを言うと叶わない気がするから嫌よ』


 あっさりと諌められ落胆したものだ。



『終わってからにしなさい』



 左右で異なる色をした瞳は優しく。意地悪く笑う彼女が、とても愛しかった。


 そうして、気付けば三日が経っていた。辺りは焦土と化し、誰も生きてはいなかった。どうやら、この世界に干渉できない神の座から下ろされたらしい。もっと早く下ろしていてくれれば、彼女一人だけでも守れたかもしれないのに。堕ちた体は、相変わらず人ではないことだけは分かる。こんな存在で、村や国を焼いたとしても、今更何にもなりはしないのに。

 ふと、割れた硝子に映った自分の姿を見れば。

これも因果か。



 あの日、自分が打ち倒した姿と全く同じものが映っていた。 



   *   *   *



 自分が目覚めたあの日。女神は消滅した。こんな自分を助けるために、力を使い果たしたらしい。そう思っていたのだが、少し違ったようだ。力の大半は自分を助けるために使ったものの、残り少ない力で世界中に向こう数十年分のリティスをバラ蒔いたらしい。


『時巡りのリティス』

『私にできる最期の贈り物です』

『ごめんなさい』

『どうか』

『貴方に、女神の加護がありますように』


 そう言い残して、消えた彼女からの贈り物。調べてみれば、過去に一度だけ戻れることができる奇跡のようなリティスらしい。準備するものも多く、リティスの術者の魔力が相当に必要になるが。


『間違ってなんかいなかったわ』


 違う。


僕は過ちを犯した。あの時、魔王を倒しにさえいかなければ、こんな結末にはならなかったはずだ。魔王を倒しに行く直前まで戻りさえすれば、彼女や仲間達だけでも守れたはずだ。


 世界なんてどうだっていい。


 自分が守りたかったものはこんな世界じゃない。故郷だとか、自分を助けてくれた人々だとか、家族とか、かけがえのない仲間とか。そんな、ただそれだけのものだった。それだけを、守りたかった。せめて、彼女だけでも守り抜きたかった。


 やり直す。

 誰を殺しても、何を奪ってでも、何を犠牲にしてでも。



「時を巡る。絶対に」



 そのための、準備をしなければ。

 まずは拠点の確保。時巡りには祭壇も必要だ。自分の手足となる人手も欲しい。邪魔が入ってはいけない。この姿なら、この姿だからこそできることも多くあるはずだ。何だって使ってやる。何だって、何だって。



『終わってからにしなさい』




 今度こそ、君を守り切るための戦いを始めよう。

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