通常訓練

 昼の十二時になり、ミアはガイアスのいるであろう第七隊の隊長室へ転移した。部屋は相変わらず無骨で、無駄なものが一切無い。

「まだ仕事してるのかな?」

 執務室へと繋がる扉に耳を澄ますと、カリカリと書類に何かを書いている音がする。それをガイアスであると確信したミアは、勢いよく扉を開けた。

「ガイア……ス、」

 目の前には知らない男……と思ったが、よく見ると『ガイアスに彼女がいる』と言ってきた隊員だった。

「ミ、ミア様……?」

 目の前の男は「幻か」と呟きながら隊長室の方へ向かってくる。

 この三日間で何があったのか……顔色は随分悪く、目の下にクマがあるこの隊員がにじり寄ってくる姿は、ミアにとって非常に恐ろしく感じた。

「夢でもいい。ミア様に言わないと、」

 ゆっくりと死人のような顔で向かってくる男に、ミアは後ずさりする。

「近づかないでっ!」

 ミアが叫んだと同時に、廊下から走ってくる大きな足音。そしてすぐに扉が開き、ガイアスと二人の自衛隊員が入ってきた。前回、ミアが挨拶に来た時にいた男達だ。

 両手を広げて逃すまいとしているマックスは、今にもミアを襲おうとしているように見える。

「ミア!」

 ガイアスが、素早くミアの腕を掴んで背に隠す。その間に隊員達がマックスを押さえつけた。その手際の良さにミアが感心していると、ガイアスが尋ねてきた。

「何かされたのか?」

「あ、えっと、」

 ミアが何もなかったと伝える前に、取り押さえられたマックスが叫ぶ。

「誤解っス~! いてて……これって現実っスか⁈」

「ミア、正直に言っていい。怖かったな」

 ガイアスはミアを包むように抱きしめる。

 その間も、マックスは仲間の男達に腕を捻られている。

 その姿がだんだん可哀想に思えてきたミアは、ガイアスにマックスを解放するよう頼んだ。


「ミア様に謝りたい一心だったんっス」

 腕の拘束を外されたマックスは、前回のことを随分反省しており、ミアにずっと謝罪をしたかったらしい。仕事で疲れていたところにミアが現れ、幻覚かと思ったが、それでもいいから謝りたいと近づいたと言う。

「すみません。凄く怖い雰囲気だったから」

 ミアは、捻られた腕を摩りながら説明をするマックスに謝る。

「いや、やめて下さい! 全部俺が悪いんっスから!」

 その後、改めてマックスがガイアスとミアに頭を下げて謝罪をしたため、この件はこれで以上となった。


「ミアはどうしてここに?」

「あ、それは……」

 ミアは周りの目が気になったが、答えないわけにはいかず口を開く。

「無断外泊の罰として、十日間転移禁止になったんだ。それを伝えようと思って」

「伝えてなかったのか」

 ガイアスは、てっきりカルバンに了承を得てからサバルに来たものだと思っていたため、この程度の軽い罰で済んだことに驚いていた。それとは反対に、ミアはずいぶん落ち込んでいる。

「今日の午後三時まではこっちにいれるよ」

「三日間いろんな事があったから、俺もすっかり連絡したか聞くのを忘れていた。寂しいが来週末に会おう」

『いろんな事って何だ⁈』と隊員達が心で叫んでいる中、ミアとガイアスはいつ会えるのか予定を確認し合っている。

「ミア様、せっかくなら訓練見ていきませんか? 午後から打ち合いの稽古があるっスよ!」

 空気を読まずにミアとガイアスに割り込むマックスは、例の件が解決したとあってすっかり元気を取り戻している。そんなマックスに呆れつつ、ガイアスは賛同して頷いた。

「ミアさえ良ければ一緒に行こうか」

「いいの? 俺、ずーっと見てみたかったから嬉しい!」

 にっこりと破顔するミアに、この場にいる隊員全員が顔を赤くした。


「ここだ」

「わぁ~、思ったより広い」

「他の隊も使うからな」

 ガイアスとマックスに連れられ訓練所にやってきたミアは、その広さに驚いた。基本的にシンプルな造りではあるが、訓練場を囲むように多くの席が設置されており、ここで剣舞のステージが行われてもおかしくない。

 そして今、打ち合いをするという百名余りの隊員達がズラリと並ぶ姿にミアは興奮を隠せず、ガイアスの服の裾をきゅっと握った。

 耳と尻尾を消し、フードの付いた上着を羽織ってここへ訪れたミアは、目立たないようにとガイアスの後ろにひっそりと立っていたのだが、隊員達の視線を痛い程に感じた。

 というのも、この訓練は『通常訓練』と呼ばれ、基本的にガイアスはそこに参加しない。ここで腕を磨き、『特別訓練』に参加する者のみが、ガイアスから指導を受けることができるのだ。隊員達は普段お目にかかることの難しい隊長が来たとあってソワソワとしていた。

 そして、隊長の後ろにいるキラキラ光る青年の存在も隊員達がざわめく原因の一つだ。

「静かにしろ!」

 突然大きな声がし、スッと辺りが静まる。声の主は、剣の指導を担当している講師だ。先程、ガイアスが執務室から電話で見学の連絡を入れていたため、ミアに対し過敏に反応していない。

 静かになった場内に、講師の声が響く。

「本日はガイアス隊長が見学にお越しだ。訓練に集中できない者はすぐに摘まみ出すからな、肝に銘じておけ」

「「はい!」」

 返事をする隊員達に、講師はミアについて『隊長の大事な客人』とだけ説明した。そして、すぐに訓練を始めるよう指示を出した。

 隊長に見てもらえるとあって、皆真剣に剣に取り組んでいる。

「ミア様はこちらでご覧ください」

 少し離れた場所で見学するよう言われたミアは、用意された椅子に腰掛ける。

 隣に座ったガイアスは、背筋を伸ばして真剣に訓練を見るミアの様子を微笑ましく見ていた。

「いいなぁ。俺も混ざりたい」

「怪我でもしたら、転移禁止期間がまた伸びるぞ」

「次、もし機会があったら……だめ?」

「カルバン様の許可が下りたらな」

 ガイアスはそう言って笑いミアの頭を撫でた。

 嬉しい返事が聞けたミアが頭を手に擦りつけていると、隣にいるマックスから溜息が聞こえてきた。

「仲良いのは素晴らしいっスけど、もうちょっと人目を気にしてくださいっス」

「……」

 ガイアスはマックスの言葉を無視した。


 訓練を見学して一時間が過ぎ、皆が休憩を始めた時点でミアはあることに気がついた。

「ねぇ、ガイアスお昼食べてないんじゃない?」

「そうだな。だが平気だ」

「でも、俺のせいでお昼休みなくなっちゃったんだよね」

 ミアは、勝手に押し掛けた上に昼休憩の時間も奪ってしまったことを、今更ながら申し訳なく感じる。

「俺の休み時間は明確に決まってないんだ。訓練が終わってから一緒に食べるか?」

「え、いいの? ガイアスと一緒に食べたい!」

 ガイアスの腕を掴んではしゃぐミアに、マックスが声を掛けた。

「じゃ、俺用意するっス。アレで良いっスか?」

「ああ、頼む」

 ミアは大丈夫だと断ろうとしたが、マックスはさっさと訓練場を後にした。

「マックスさんって優しいね」

 去っていく背中を見ながらミアが言うと、ガイアスは複雑な顔をした。


 訓練が終わり、ガイアスが今日の所感を述べている。真剣に聞く若い隊員達は、憧れの上司を目の前に興奮しているようだった。

「ミア、執務室に行こうか」

 その声にミアが立ち上がると、ガイアスは手を伸ばしてミアの手を握った。

「「え⁈」」

 ガイアスの意外な行動に驚いたのはミアだけではなく、見ていた隊員達が思わず声を上げる。ガイアスはその声を無視し、ミアを連れて訓練場を後にした。


「駄目だったか?」

 執務室へあと数歩というところで、ガイアスが少し照れつつもミアに尋ねた。

 訓練が終わり、解散となった瞬間に隊員達がミアを見ている気配を感じた。

 ミアはただでさえ華やかな見た目で、多くの目を引く。

 それに加えて、今日の無邪気な表情や仕草は親しみやすく、見ていれば声を掛けたいと願う者も出てくるはずだ。

 部下達の前で独占欲を出してしまうのは隊長らしからぬと感じたが、ミアのこととなるとどうもいつもの調子でいられない。

「ううん! 俺はいつでもこうやって歩きたいよ」

 にっこり笑うミアにガイアスはホッと胸を撫で下ろした。


 執務室に戻るとマックスが席に座って待っていた。手には茶色い紙袋。ほのかに香ばしい香りがする。

「あ、これ届いたっスよ! ミア様は肉と魚、どっちがいいっスか?」

「肉がいいです」

「隊長は?」

 ガイアスが魚と答えると、マックスは袋から二つサンドウィッチを出した。残りはケニーに持っていくと言い部屋から出て行こうとするマックスに、ミアが礼を述べる。

「マックスさん、ありがとうございます」

「ミア様、またぜひ来てください」

 笑ってそう言うと、マックスは部屋から出て行った。

 テーブルに案内されたミアは、ガイアスと並んで座り、さっそく包みを開く。

 中にはたっぷりの肉とゆで卵の半熟スライスが挟んである。トロリとした黄身が、しっかりと焼かれた硬めのパンにかかって、見た目から食欲をそそられる。

 目を輝かせたミアは、大きな口を開けて一口齧る。

「んー、すっごく美味しい! これってもしかして、前にガイアスが言ってたお店の?」

「当たりだ」

 前の約束から随分と待たせてしまった。

 ガイアスは少し申し訳なく感じたが、ミアがあまりに幸せそうにサンドウィッチを頬張るので、思わずフッと笑って自分も昼食に手をつけた。


「じゃあ、俺そろそろ帰るね」

 転移禁止の十日間が終えた後、いつも通り森で会うことになった二人は、少し名残惜しげにお互いを見る。

「十日もミアに会えないのか……」

 そう呟くと、ミアが目を瞑って少し顎を上げた。唇をツンと尖らせてキスを求める狼の姿は可愛らしく、ガイアスの口角が自然と上がる。

 ガイアスが頬へ指を添えると、期待したミアの眉が動いた。ゆっくりその唇に吸い寄せられるガイアスだったが、寸前のところで動きを止める。

「ん、ガイアス?」

 不信に思ったミアがうっすら目を開けると、至近距離でミアの唇を見つめる緑の瞳。

「そういえば、仕事中だったと思ってな」

 その言葉にミアは頬を膨らませる。

「意地悪しないでよ……しばらく会えないのに」

 ミアはガイアスの首元の襟を引っ張ると、唇にちゅっと口づけた。

「会えない分、キスを貯めとかないと」

「フッ、そんなことできるのか?」

 ガイアスは笑いながら、ちゅ、ちゅ、とキスを続けるミアに応える。

 焦らすつもりが、ミアの可愛らしいキスに当てられ我慢ができなくなる。ガイアスは、ここが自分の仕事場だということを頭の隅に置き、ミアの後頭部に手を添えた。

「深いキスなら、もっと貯めとけるんじゃないか?」

「……俺も、そう思う」

 ミアはまた目を瞑る。頬を赤く染めて口づけを待っているミアに応えようと、ガイアスが舌を唇に差し込んだその時……後ろでガタンと物音がした。

 バッと振り返ったガイアスの視界には、入口のドアの隙間から覗くマックス達の目。

「おい! お前ら!」

 ミアが驚き扉の方を見る。すると、隠れていたマックスが「あはは……」と気まずそうに姿を現した。

 恋人の部下にキスシーンを見られた恥ずかしさから、ミアは慌てて腕輪を掴む。

「じゃ、じゃあ、また来週!」

 ミアはそれだけ手短に告げると、素早く転移した。

「あ、ミア……」

 ガイアスの小さな声は、ミアには届かなかった。


 ミアが帰り、執務室に入って来たのはマックスとケニー、そして第四隊の隊長・バルドだった。

「なんか、すまねぇな。俺達のせいであんな別れになっちまって」

「えっと……俺が悪いんス」

 バツが悪そうに視線を逸らすバルド。その横で、マックスがしどろもどろに説明を始めた。

 廊下で偶然会ったバルドに今日のことを軽く話したところ、挨拶したいと言われバルドをここへ連れてきた。しかし部屋の中が甘いムードだったため、落ち着くまで様子を伺っていたという。

 ケニーはたった今執務室に戻ってきたため、バルド達が部屋を覗いていたとは知らない。事情を聞いて、二人に軽蔑のまなざしを送っていた。

 ガイアスは自分より年上である第四隊隊長に怪訝な目を向ける。

「覗き見はどうかと思いますが」

「いや、それは……すまん」

 ミアとこれから十日間会えないのを知っているバルドは、素直に申し訳ないと謝った。

「でもよ、びっくりしたぜ。ミア様ってお前のこと本当に好きなんだな」

 バルドは先ほど見た光景のことを言っている。確かにミアがキスを迫り、ガイアスがやれやれといった様子でキスを受けている姿は、そう捉えられてもおかしくない。

 しかし実際は、ミアを焦らすつもりでやった意地悪である。しかもそのせいでガイアスは、ミアの言う『キス貯め』を全く出来ていないのだ。

(はぁ、十日間は長いな……)

 出会ってからそんなに長い間離れていたことはない。寂しい生活が始まるのだと、ガイアスは深く溜息をついた。

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