植木の後ろから
「ふぁ~……」
あくびをしながらミアがベッドから起き上がる。ベッドサイドに置いてある水を飲むと、目を擦りながらシャワーを浴びる。
頭を拭きながら、ふぅ……と落ち着いてソファに腰かけたところで、石で時間を確かめた。
「剣の練習っ!」
朝九時から始まる練習まであと五分。
急いで立ち上がり武道着に着替えるミア。ベッドの横に立てかけてある剣を取ってすぐに転移しようとしたところで、目の前にイリヤが現れた。
「わぁッ!」
「ミア様、おはようございます。森へ行かれようとしていますね」
驚きで心臓が鳴るが、答えている暇はない。ガイアスが森で待っているのだ。
「いきなり出てくるなっていつも言ってるのに!」
文句を言うミアを無視してイリヤが続ける。
「今日は剣の練習は無し、明日の祝日もゆっくり休むように……と伝言を預かっております」
「え?」
「そして、来週は剣の練習をするとも伺っています」
ガイアスの言葉を短く変えて、イリヤが説明をする。
「ガイアスが言ったの?」
「はい」
ミアはそれを聞いて耳が垂れたが、すぐにまたピンと立てた。
「どうやってガイアスと会ったの?」
「寝ているミア様の様子を見に来られましたよ。着替えさせたとおっしゃっていましたが、覚えてないんですか?」
(夢かと思ってた……)
ミアはぼんやりとその時の事を思いだす。
(水を飲ませてもらって、着替えて、それから……?)
その先が思い出せないミアは、武道着を急いで脱ぐとブラウスとズボンに着替える。
(とにかく話をしなくちゃ。彼女の話が嘘だってちゃんとガイアスから聞かないと)
「なんで着替えるんですか」
「俺、ちょっとガイアスの屋敷に行ってくる!」
「ちょ……、遅くなるなら連絡しに一旦帰るんですよ!」
イリヤの話を最後まで聞かないうちに、ミアは部屋から姿を消した。
サバル国のガイアスの屋敷前。美しい庭が広がる場所へと転移すると、掃き掃除をしていたメイド二人がミアに気付いた。
「ミア様、どうされました?」
「ガイアス様は留守にしておりますが」
カミラとメイはミアに駆け寄ると、ガイアスの不在を伝えた。
「ガイアス、いつ帰ってくるかな?」
困った様子の二人に尋ねる。
「私共は何時にご帰宅か存じ上げません。どこに居られるかは把握しておりますが……お帰りになる時間を聞いて参ります」
メイが玄関に入ろうとしたのを引き留める。
「ううん、大丈夫。それよりどこにいるのか教えて。ガイアスにすぐ会いたいんだ」
「えーっと……」
「そのぉ、」
もごもごと口ごもる二人にさらに問いかけると、口重たげに答える。
「ガイアス様は昨日から本家にお帰りになっております」
「アナザレムの?」
「はい。ご用事の内容までは分かりませんが、先ほど電話でご連絡があり……」
「その……ご令嬢であるリリー様とお会いになるとお聞きしました」
「リリー様?」
カミラとメイは顔を見合わせる。
「リリー様は、ジャックウィル家の長男であるシュラウド様と交流のあるご令嬢でして……」
「ガイアス様を長年お慕いしている方です」
「え……!」
ミアはその言葉に衝撃を受ける。
「メイドの間でよく噂されている方でした。ガイアス様と個人的なご交流はありませんでしたが、学校に通っておられた時から何度か本家のお屋敷に来ておりまして」
「その時に数回ガイアス様と会話をしたことがある程度だと認識しておりましたが」
嘘のつけないメイド二人は、迷いながらもミアに真実を伝える。
「今回、どのような件でお二人がお会いになるのかは……検討もつきません」
ミアはそれを聞いて耳がしゅんと垂れる。
(マックスさんが言ったこと、間違ってもないのかも)
ぐるぐると、また嫌な方に考えが向く。
(本家の方にはガイアスのことを好きなお嬢さんがいて、こっちには俺がいる。そして、今回俺との約束を断ってアナザレムに行ったってことは……)
シーンとした空気の中、カミラがミアにズイッと寄ってきた。
「ミア様! 本家に行ってください! そして、ガイアス様を奪い返しましょう!」
「リリー様に言ってやるのです! ガイアス様は自分のものであると!」
落ち込みそうになっていたミアだったが、二人の熱い言葉に励まされ、だんだんとやる気になってくる。
まだ逢引していると決まったわけではないが、そうだとしても奪ってみせると心が燃え始めた。
ミアは、以前ガイアスが書いた手紙に自分が嫉妬していた時のことを思い出す。
(あの時、ガイアスに好きな人がいても戦って勝ち取ってやるって思ったじゃないか!)
ミアは、手で拳を作るとカミラとメイの顔を見る。
「地図を持ってきてくれない? 作戦を立てるから」
庭の隅で地図を広げ、ガイアスの居場所を確認する。
「お客様は、応接室に繋がるこの橋を必ず渡って帰られますので、この近くでお待ちになれられるのが良いかと」
「玄関までお見送りするので、ガイアス様もご一緒なさるはずですわ」
本家で働いたことのある二人だ。ジャックウィル家での客への対応も把握している。そして屋敷で働いていた経験から、どこが死角であるかもしっかり把握していた。
「本家のお屋敷では、午前中しかお客様対応をいたしません。もうすぐ帰られるでしょうから、今から向かって少し待っていればお庭に二人がいらっしゃるかと思います」
「一番の隠れ場所は、ここですわ」
庭の地図の端に丸く円を描くと、『植木』と文字を足す。
「この裏に転移されれば確実に見つかりません」
「あとは、もしガイアスとお嬢さんに何もなければ帰る。お嬢さんが何かしようとしたら、俺が現れて物申す」
「「完璧ですわ」」
三人でグータッチをすると、ミアはメイド達に礼を言う。
「ありがとう。じゃあ、行ってくるね!」
「ミア様、健闘を祈ります!」
「ガツンと言っちゃってください!」
元気な返事とともに、ミアはアナザレムへ転移した。
「貴方達、そこで何をしているんですか」
ロナウドが玄関を開けて庭へとやってきた。
「ミア様がいらっしゃったように見えましたが」
「えっと、ガイアス様を訪ねて来られたので、場所をお伝えしました」
「何⁈」
「あの、何か問題が?」
不安げな表情のメイド達に、ロナウドは口元を手で覆う。
「たった今ガイアス様からお電話があり、ミア様がもし屋敷に来られた場合は『留守』とだけ伝えるよう言われたのです」
「「……!」」
カミラとメイは青ざめた顔で目を見開く。
「仕方ありません。お帰りを待ちましょう」
どうしようと焦るメイド二人を連れて、ロナウドは屋敷の中へと戻った。
(ここは……よし! 植木の後ろだ)
ミアはガイアスの本家の庭に転移した。
メイドの二人が言っていた通り、植木はとても大きく、ミアの姿を完全に隠してくれている。念のためにと尻尾と耳も消し、しゃがんでじっと橋を見つめる。
少しの間待っていると、ガイアスが奥の部屋から現れた。なんだか久しぶりな気持ちがしてぼうっと見つめていたが、後ろに佇む女性の姿が目に入り、見えない耳がしゅんと垂れた。
二人は庭の池に掛かる橋の上までくると歩みを止める。黙って歩いているようだったが、ガイアスが女性に声を掛けたのだ。
(あれがガイアスの事を好きなお嬢さん?)
金色の髪を綺麗に結いあげた、品の良い顔立ちの女性がガイアスの隣に立っている。二人は何やら話をしているようだが、小さい声で聞こえない。
ミアは二人の様子をじっと見ながら、いつでも飛び出せるよう準備していた。
(もしお嬢さんが何かしそうになったら言ってやるんだ! ガイアスは俺のものだって!)
メイド達の闘志が移ったのか、いつになく強気なミア。もし、あっちが引き下がらない場合は戦いも否めない……とミアが張り切っていた時、ガイアスがお嬢様の耳の辺りを指差した。
なんだろうと目をこらすと、女性の耳には緑色の耳飾りがあった。
(ガイアスの目の色……)
にっこりと笑いながらガイアスに何かを話す女性。ガイアスは下を向いて、少し照れた様子だ。
その顔を見た瞬間、今までの勢いはどこへいったのか、ミアは急に悲しい気持ちになった。
自分の指に光る緑色の指輪を見る。これは特別なものだと思っていたが、もしかしたらガイアスにとっては簡単に渡してしまえるものなのかもしれない。
女性が身に着けている耳飾りも、ガイアスの目と同じように輝いていた。
(俺、今日来ない方が良かったかも)
ミアは目の前の光景に心を抉られた気持ちがした。
(ガイアスと付き合えて浮かれてたけど……よく考えたら、俺は雄の狼だ)
シーバ国もサバル国も同性愛に関しては寛容なお国柄であり、深くは考えていなかった。そして世継ぎを求められないミアは、今までパートナーに関して性別など考えたことがなかったが、ガイアスは違うはずだ。
(こんな立派なお屋敷の長男だったら、世継ぎも絶対に必要だろうし)
さっきまで口数少なく見えたガイアスは、少し照れた表情のまま女性に何かを話している。
ガイアスには弟がいるが、兄はいないと聞いている。以前、カルバンについて話した時の事を思い出したミアは、どうしてその事を考えなかったのかと自分に呆れた。
(ガイアスが子供を作らないってことになったら、悲しむ人がいっぱいいるんだろうな)
一方的に女性がガイアスを好きならば、『恋人である自分がガツンと言ってやる!』と意気込んでいたミアだったが、二日前のマックスの言葉と、目の前のガイアスのまんざらでもない表情にすっかり自信がなくなっていた。
(もう帰ろう)
ミアの心はしゅんと萎んでおり、屋敷でメイド達と話していた時の闘志はどんどん小さくなっていく。
(ガイアスのこと、すっごくすっごく好きだけど、俺は二番目なんて無理だし……二人がもし結婚しても祝ってあげれない)
ミアがサバル国に行かなければ、ガイアスに会うことは一生無い。自分が離れれば全てがうまくいくのだ。
目の前が滲む。
(嫉妬して泣くなんて、みっともない)
「ミア?」
覚悟を決めてミアが帰ろうとした時、自分を呼ぶ声が聞こえた。前を向くと、ガイアスが植木の方に目を向けているのに気付いた。
ハッとして自分の身体を確認すると、植木からしっぽが出ている。
(まずい。消してたのに、いつの間に……)
感情が高ぶって尻尾が出てしまった。ミアを見つけたガイアスは、驚いた表情で橋の手すりに手を掛けた。
ミアはとっさに後ろに向かって走り出す。
ばしゃっ……
背後から勢いの良い水の音が響く。
振り返らなくても、ガイアスが浅い池に飛び降り、こっちに向かって走って来ているのだと分かった。
(あ、転移したらいいんだ)
動揺して忘れていた石の存在を思い出し、転移するために腕輪をギュッと握った。
「消えるなッ!」
聞いたこともない怒号が響き、ミアは驚いて腕から手を放す。尻尾が逆立ち、緊張で足がもつれる。
(え、あっ、こけちゃ……)
目の前には植木や花々のために盛られた土と泥。
ズシャ……
ミアはその山の真ん中に見事に飛び込んでしまった。
「大丈夫かっ⁈」
こけた衝撃で呆然としていると、ガイアスの声が近づいてきた。逃げようと思うのに、先程の声が耳に残って動けない。
立ち上がろうと手をつくミアに影が差す。そして、両腕を優しく取って抱きかかえられる。
「ミア、痛いところはあるか?」
泥だらけのミアを膝に乗せ、ガイアスは確かめるように全身を確認する。
返事をせず黙っているミアに、ガイアスが不安げに顔を覗き込む。うまく答えることができず、小さく首を横に振ると、やっと安心したようにガイアスが抱きしめてきた。
「血は出ていないな……良かった」
心から安堵している様子のガイアスを、ミアはどこか不思議な気分で見つめる。
そして周りに目を向けると、ガイアスの後ろにオロオロとした様子で立つ女性が見えた。走って追いかけてきたのだろう、足に泥が付き、着ている服の裾も汚れている。
「お嬢さんの足が、汚れてる」
「足?」
やっと発したミアの言葉とその視線に、ガイアスが後ろを振り返る。リリーが息を切らしながら自分達を見ていた。
「ミア、本当に痛いところはないか?」
一瞬リリーを見たガイアスだったが、すぐにミアの方に向き直ると心配する言葉を掛ける。
(お嬢さんより、俺を先に心配してくれるの?)
嬉しいと思う自分がみっともなく感じ、目に涙が溜まってくる。
(ガイアスの為を思うなら、お嬢さんの方へ行かせてあげなくちゃ駄目だ)
ミアは無意識にガイアスの胸を軽く押す。泣きそうな顔を見られたくなくて下を向いた。
ガイアスはミアの行動に気付いているはずだが、それについては言及せずにミアを抱えて立ち上がる。
「ミア、怪我がないか確認して風呂に入ろう」
ガイアスはそう言うと、ミアの返事も待たずに歩き出した。ミアはどうして良いか分からず、転移するべきか石を見る。
「消えないでくれ」
視線に気づいたガイアスは、眉間に皺を寄せてミアの腕輪の付いた腕を掴む。
眉が下がった自信のない顔……こんな表情のガイアスは見たことがなく、ミアは何も言うことができなかった。
「私は部屋に戻りますので、後は父と兄と話していただけますか?」
「……ええ」
ガイアスの言葉に、静かに返事をするリリー。
「見送りも出来ません」
「分かっております」
「では」
ガイアスは、さっと身を返すと自室へと繋がる廊下に向かって歩き出した。
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