婚約者候補

 次の日、ミアは約束の時間の朝九時を過ぎても森に現れなかった。

(マックス……許さん……)

 ひょうひょうとしたマックスの顔が浮かび殺意を覚える。

 しかし、ガイアスが適当に返事をして真実を話していなかったことも事実。

 自分も悪いのだと反省しつつ、どうにかしてミアに会わなければ……と考えていたガイアスの後ろで、フワッと風が起こる。

「ミア?」

 風を感じた場所を振り返ると、現れたのはミアの従者であるイリヤ。長い黒髪が少し乱れたようで、手でサッと顔にかかる髪を退けている。

「イリヤ殿」

「ガイアス様、本日ミア様はこちらに来ることができませんので、お帰りいただいて結構です」

「……そうか」

 悲しんでいるのだろうか……ミアの涙を想像すると、胸が押さえつけられる。

「高熱で寝ておりますので」

「熱……?」

「それでは」

 用件のみを簡潔に伝えて去ろうとするイリヤを急いで引き留める。

「待ってくれ! 俺も連れて行ってくれないか?」

「今は寝ておられます」

「それでもいい。ミアに会いたいんだ」

 イリヤは少し考えていたが、ふぅ、と息を吐くとガイアスの腕を掴んだ。

「まぁ、ミア様もガイアス様の名前ばかり呼んでうるさいですし……いいでしょう」

 身体が浮遊する感覚の後、ガイアスはシーバ国の王宮へ転移した。


 ミアの部屋の前。シンとした廊下で、イリヤが静かに口を開く。

「ミア様は今寝ていらっしゃいますので、静かに入られますように」

「ああ、分かった」

 扉に手を掛けたイリヤだったが、急にガイアスに振り向く。顔はいつもの無表情だが、その目に怒りのようなものを感じた。

「ミア様は昨日サバル国から帰られて水を浴び、その後すぐに熱が出てしまいました」

「……そうか」

 頭を冷やそうと水を浴びたのだと分かる。

「はぁ……ミア様が貴方のことで何か勘違いをしているんでしょう。早く仲直りして下さい」

 元凶が部下のマックスであることは明らかだが、ミアが不安に思うのは恋人であるガイアスに信頼がない証拠だ。

(熱が下がったらきちんと話そう。どれだけ俺がミアのことを好きなのか……)

「どんな理由であれ、ミア様を泣かせる者は許しません」

「もう泣かせない」

(俺と別れた後で泣いたのか……)

 ミアのお披露目式の後、お互いに『好きだ』と告白し合った日のことを思い出す。あの時は、安心からきた嬉し涙だったが、今回は違う。

 一人で泣いているミアを想像すると、心が握り潰されたように苦しい。

「どうぞお入り下さい。私は扉の前で待っておりますので、お帰りの際にはお申し付け下さい」

 変わらず無表情でありながらも、先程の怒りを含んだ目ではなくなったイリヤは、そう言って扉を静かに開いた。


 ガイアスはベッドに近づく。

 真っ赤な顔をして眠るミアは気だるげで、眉間には皺が寄っていた。ガイアスが枕元に近づくと、眠りが浅かったのか気配に気付いて目を薄く開ける。

「イリヤ? お水ちょうだい」

 喉が渇いているようで、ぼやっとした表情で水差しを見ている。

 ガイアスはそれを取って置かれているコップに移す。

「ミア、少し身体を起こせるか?」

 優しく尋ねるガイアス。その声が自分の恋人のものであると気づき、ミアがビクッと反応した。

「ガイアス……?」

「ああ。辛いだろう」

「ごめんね」

 ガイアスだと確認してすぐに謝るミア。

「どうして謝る?」

「俺、昨日勝手に帰っちゃて……今日も剣の練習が、」

「気にしなくていい」

 ミアの身体を起こして、腰の後ろに枕を重ねる。そのままコップの水を飲ませると、ゴクゴクと全て飲み干した。

 手を回した背中は、汗でしっとりと湿っている。

 ベッドサイドに着替えが置いてあるのを確認したガイアスは、それを取るとミアの額を撫でながら問いかける。

「着替えさせていいか?」

「……うん」

 ミアは喉の渇きが癒えて落ち着いたのか、目を瞑って力を抜いている。

 掛け布団をまくると、素早く服を脱がせ着せていく。重ねた枕を退け、冷えないようにしっかりと首元まで布団を掛けると、布団越しに胸あたりをポンポンと軽く叩いた。

「ミア、すまない」

「……」

 眠たくなってきたのか返事はないが、コクリとミアが微かに頷く。

「俺が好きなのはミアだけだ」

 ミアは眠ってしまったのか、すー……と寝息が聞こえてきた。さっきより穏やかな表情に少しだけ安心する。

「熱が下がったら謝らせてくれ」

 ガイアスはミアの胸を布団越しにもう一度撫でると、ベッド横の椅子から立ち上がった。

(手紙を書こう)

 ミアを待つばかりではなく、自分も会ってもらえるように努力しなくては……ガイアスは許してもらえるまで何枚でも手紙を書こうと決めた。


「もうお帰りに?」

「ああ。一度起きたから着替えさせたが、良かったか?」

 元々着替えがあった場所にミアの着ていた寝間着を置いたと伝えると、イリヤは礼を言った。

「助かりました。どうせ今から私が起こして替えるつもりでしたから」

「では、すまないが送って貰えるか?」

「承知しました」

 腕に手を添えられ、イリヤとともに森へ転移した。


「イリヤ殿、無理を言ってすまなかった」

「いえ」

 ミアの部屋の前で話した時の殺気はなりをひそめ、今は普段の冷静な雰囲気だ。

「明日だが、ミアの熱がもし下がっていても練習はやめておく。明後日も祝日だがゆっくり休むように伝えてくれないだろうか」

「かしこまりました」

「来週末、もし俺と話しても良いと思えたら、森に来てくれ……とも伝えてほしい」

 ガイアスの弱気な言葉に、イリヤは呆れた目をしている。

「そんなに長引かせる気ですか? さっさと仲直りしてください」

 ミアが面倒くさいことになることを想像したのか、嫌そうに首を振った。

「努力する」

(とびきり目立つ封筒をどこで手配しようか……)

 考えるガイアスに、イリヤは軽く礼をする。

「では、失礼します」

 イリヤはそう一言残し、森から消えていった。


 森から歩いて屋敷に戻ると、ロナウドが珍しく慌てた様子でガイアスに話し掛けてきた。

「ガイアス様、シュラウド様からお電話があり、今すぐ実家に帰ってくるようにとのことです」

「なんだと」

 次期当主となるジャックウィル家の長男・シュラウド。

 ガイアスの兄である彼からの電話は、いつもろくな用事ではない。

 なぜ突然電話を掛けてきたのか。

 まだミアの誤解も解けていないのだ。ミアへの手紙を書かなければならないガイアスにとって、面倒くさい兄と話をすることは、時間の無駄でしかなかった。


『ガイアス久しぶり~! 元気だった?』

 明るく元気な声と言えば聞こえは良いが、うるさいとしか感じないガイアスは、電話口から少し耳を離して本題に入る。

「兄さん、どうして急に電話を?」

『えー! 兄さんが元気かどうかは聞いてくれないの?』

「兄さんはいつも元気すぎるくらいだろう。なんで本家に呼ぶんだ」

『良い話があるんだ~!』

 へへっと笑う兄の声色に、悪い予感がする。

 そしてその予感は……見事的中した。

『一人暮らしの寂しいガイアスに、可愛い婚約者候補がいるんだ!』

「……は?」

 ガイアスは馬を飛ばし、本家へとすぐに向かった。

 ジャックウィル家の本家があるのは、ガイアスの住む王都・ルシカの隣にあるアナザレムだ。馬を休まず走らせて二時間、馬車では四時間程離れている実家へは、随分と足を踏み入れていない。

 遠征に行く前に挨拶に来たきりの本家。厳かな佇まいの門を抜けると、使用人達がガイアスを出迎えた。

「ガイアス様、おかえりなさいませ」

「久しいな。シュラウド兄さんはいるか?」

「はい、自室でお待ちです」

 他の者への挨拶はそこそこに、兄の待つ部屋へと向かう。

「兄さん、入るぞ」

「は~い!」

 軽い返事が聞こえて、扉を開ける。そこには揺れる椅子に座って優雅にお茶を飲む兄の姿。

 ひらひらと手を振るシュラウドに近づく。

「ふざけるなよ」

 開口一番に低い声を出す。

「こ、怖いよ~! なんでそんなこと言うの? 電話も急に切っちゃうし、僕すっごくハラハラしたんだから」

「嘘をつくな。くつろいでるじゃないか」

「ガイアス、顔が怖いよ」

 ツンと頬をつつこうとした兄の手を乱暴に取る。

「俺に婚約者とは、どういうことだ?」

「忙しくって恋人もろくにできない弟のために、兄さんが家柄の良い可愛い未来の奥様を選んであげたってわけ」

 シュラウドは人差し指を立てて得意げに言う。ガイアスは呆れて声も出ない。

 勝手な事をペラペラと喋る兄に怒りを覚えた。

「俺には恋人がいる」

「えッ……?」

 シュラウドが大げさに驚き椅子から落ちるが、構わず続ける。

「勝手なことをするな。断っておけ」

「え、本当に? え、どうしよ。え、え」

「話は終わりだ」

 慌てる兄に一言残すと、ルシカに帰るために部屋の扉を開ける。

「ま、待って!」

 椅子から立ち上がったシュラウドがガイアスの腕を強く掴む。いつものひょうきんな態度ではなく、かなり焦った様子だ。

「明日、顔合わせなんだ。約束しちゃったから取り消せないよ」

「……ふざけるな」

 ガイアスは地を這うような低音で呟き、兄を睨みつけた。

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