勘違い

 初めての『練習』から数日が経ったある日、ミアはワクワクと胸を躍らせつつサバル国に転移した。

「ガイアスお疲れ様!」

「ミア」

 転移先は、自衛隊第七隊の執務室の奥にある隊長室。今日はガイアスの誘いで自衛隊の訓練を見学するのだ。

 隊長室は隊長のみが使用でき、仮眠用のベッドやシャワー室、冷蔵庫も設置してある。

「本当に皆に紹介しても良いのか?」

「うん。兄様にも許可は取ってあるし、何も問題ないよ」

 あっけらかんと言うミアだが、王族としての意識はあるのだろうか……ガイアスは少し心配になりつつも、ミアを自分のものだと主張できることに関しては素直に嬉しい。

 数日前、ミアからの了承を得た後、恋人が訓練場を見に来るとマックスに伝えた。

 特に大事にする気のなかったガイアスだったが、勝手に張り切ったマックスが第七隊の幹部に声を掛け、今日この執務室に何人かが集まるという。

(面倒くさいことになったな……)

 約束の時間は午後二時だが、好奇心旺盛な部下のことだ。一番に見てやろうと早めに来るに違いない……ガイアスはミアに一時間早く隊長室に到着するように伝えておいた。

「ここがガイアスの部屋? 何も無いね」

「泊まりの時に寝るだけだからな」

 シーバ国の王宮と違い、必要最低限の物しか置いてない無機質な部屋。ミアはきょろきょろと辺りを見渡していたが、執務室の扉に目を向けた。

「あっちも見るか? 今は誰もいない」

「うん!」

 執務室も部屋と同様、無駄な物や娯楽のない空間だ。無骨な石造りの壁が少し冷たい雰囲気を醸し出している。

「ガイアスの机はどこ?」

「ここだ」

 ガイアスは隊長室から一番近い机を指差す。

「忙しそうだね。書類がいっぱい」

「多いように見えるがそうでもない。これらはサインをするだけだ」

 ミアはガイアスの机の周りを見て、腕を組む。

「なんか寂しいと思ったら花がなかったんだ。ガイアス、ちょっと待ってて」

 フッと消えたミアは、十秒もしないうちに戻ってきた。手には花瓶を抱えている。

「これ置いていい? 花があるだけで癒されるよ」

「ああ。ありがとう」

 机の横にある棚の上に花瓶を置くミア。大きな花が三本とその周りに小さい花が控えめに飾られている。

 花瓶は、ミアの部屋のテーブルにいつも置かれているものだ。獣姿の小さな白い狼が花瓶に前足をつけて支えているようなデザインはミアを彷彿とさせる。

「これを見る度にミアを思い出すよ」

「これ、狼の子だよ。俺はもっと大人」

 複雑な表情で花瓶を見ているミアの頭を撫でる。

「そうだな、ミアはもっとかっこいい」

 くるりと顔を振り向かせたミアが、フフッと笑う。

「他の隊員の人達、いつくるの?」

「そうだな、あと十五分は来ないはずだが」

 約束の時間まではあと四十五分以上ある。

(いくらあいつらでも、まだ来ないだろう)

「じゃあ、ちょっとイチャイチャできるね」

「……ああ」

 仕事場であることに少し躊躇うが、恋人の可愛い誘惑を断ることができない。ミアは花瓶の位置を整えた後、ガイアスの方を振り向く。

「明々後日、俺休みだけどガイアスは?」

「祝日で休みだ」

 来週の週始まりは、この大陸全体の祝日。ミア自身、休みであることを知らず、先ほどイリヤから伝えられた。もしかしたら長く一緒に過ごせるのではないかと、ミアは早くガイアスの予定を尋ねたくてソワソワしていた。

「本当? 一緒にいられる?」

「ああ。ミアは仕事だろうと思っていた」

 ちゅっ

 ガイアスは小さな背中を後ろから包み込むように抱きしめると、後ろからミアにキスをした。

「じゃあ、明日から二泊してもいい?」

「それはいい案だ」

 二人は笑いながら再び顔を寄せた。

 その時……

「隊長~! 失礼しま、っス……」

 元気な声とともにノックもせずに入ってきたマックス。

 ミアとガイアスの姿を目に留めると、目を見開いてその場で固まった。

「「……」」

 ガイアスとミアは少し顔を離したものの、ガイアスの手はミアの身体を包み込んだままで、二人が執務室で戯れていたことは明らかだった。

「隊長……とミア様……⁈」

 大声を出すマックスの口を後ろからケニーが急いで塞ぐ。ケニーはマックスを押しやるように部屋に入ると、後ろ手に扉を閉めた。

 ミア達はそのうちにサッと身を離した。

「お前達、来るのが早すぎないか?」

 呆れた声で言うガイアスの言葉も、今は目の前のケニーとマックスには届かないようだ。ポカンとした顔で今の状況を整理してる。

「え、つまり……隊長と……え、本当ですか?」

 ケニーは混乱しており、ガイアスに確認するように語尾を上げる。

「そうだ。俺とミアは……」

 ガイアスが説明しようとしたところで、扉をノックする音が聞こえた。

「「失礼します」」

 入ってきたのはマックスが声を掛けていた隊員達なのだが、まだ約束の時間まで三十分はある。

「お前らな……」

 入ってきた他の隊員もミアを見て固まった。ズラッと並んだ五人の隊員達にミアが声を掛ける。

「シーバ国のミア・ラタタです。今日は訓練所を案内していただけると聞いて楽しみにして来ました」

 大きな目を細めてにっこりと笑うミアに、全員が目を奪われる。いつもうるさいマックスでさえ、顔を真っ赤にして口をパクパクとさせている。

「今から一緒に訓練所へ向かう予定だ。訓練の予定がある者は付いて来い」

 隊員達を見ると、聞こえているのかいないのか、全員が未だに隣に視線を向けている。

 ミアには念のため耳と尻尾を消すように伝えた。そして白いふわふわが消えたのを確認すると、呆けたままの隊員達に声を掛ける。

「おい、行くぞ」

「待ってください!」

 返事を待たずに歩き出そうとした時、急にマックスが大きな声を出した。振り返ると、顔を赤くしたマックスがミアに視線を向けている。

「ミア様! 駄目っス!」

「……」

 全員何のことか分からず、マックスの次の言葉をじっと待っている。

「隊長にはスゲー美人でセクシーな彼女がいるんっス!」

 全員がマックスの言葉に唖然とする。

「だから、騙されないでください!」

 そう言い切ったマックスに、隊員達が殴り掛かる。

「おい、お前何言ってんだ!」

「いいかげんにしろよっ!」

 隊員達はマックスを取り押さえながら、焦った声を出す。

 恋人がいるのかと尋ねられた時、うるさいからと肯定だけしていたガイアス。マックスはどんな人物なのか想像しては、酒の席で隊員達に語っていた。

 隊員達はいつもそれを冗談と受け止め笑って流していたが、まさかその妄想を本人に言うとは思ってもいなかった。

 一方のミアもまた混乱していた。マックスに言われた言葉が頭の中で反芻する。

(彼女って、恋人のこと? 俺以外にってこと……?)

 横にいるガイアスを不安げに見る。

「違うぞ!」

 珍しく焦った声とその態度がますます怪しく言い訳のように感じ、ミアは不安になる。

 今は冷静になれないと判断したミアは、ギュっと目を瞑りその場から消えた。


「ミア……」

 取り残されたガイアスは先ほどのミアの表情を思い出す。不安そうに見上げる瞳は揺れていた。

(すぐに俺の口から誤解だと説明すべきだった)

「マックス」

 ガイアスは静かに元凶である男の名前を呼ぶ。全員に罵られ、自分が勝手に勘違いしていただけだと気づいたマックスは、スッと背筋が凍り付いた。

「あの……あの、あの俺……」

 床に座っているマックスを冷めた目で見下ろすガイアス。

 皆が緊張してシンとする中、扉が勢いよく開いた。

「お~い、見に来たぞ~! ガイアスのかわい子ちゃんはどこにいるんだ?」

 第四隊隊長のバルドが現れ、明るい声で尋ねる。

「ん、なんだか様子がおかしいな」

 マックスは床にへたり込み、その前にはガイアスが見たこともないような冷たい表情で立っている。

 他の隊員は殺気を放ち、とても恋人を紹介をしている雰囲気ではなかった。

「バルド隊長。こいつを三日間、第四隊の訓練所でしごいてやってくれませんか?」

 ガイアスは下のマックスを指差している。

「ん? 別に構わないが、今日のメニューは遠泳訓練だからきついぞ」

 第四隊は体力自慢の隊員達の集まりだ。野営込みの仕事が多く、時には移動手段として様々な方法が取れるよう、走り込みや遠泳を常に訓練に取り入れていた。

「ちょうどいい。事情は本人から聞いてください」

 他の隊員達がマックスの腕を取って起き上がらせる。バルドは早く事情を知りたいようで、うなだれるマックスを連れてさっさと部屋を出ていった。

「お前達、もう仕事に戻れ」

「隊長、すみませんでした! マックスがあそこまで馬鹿だったとは……」

「ミア様が勘違いされたままですが……」

 皆、心配そうにガイアスを窺っている。

「気にするな」

 溜息交じりに答え、全員を執務室から出した。


(今日はミアの笑顔が見れると思っていたが……)

 訓練所でミアがはしゃぐ姿を想像していたガイアスは、先程の不安げな表情を思い出す。

(明日、きっちり説明をして謝らなければ)

 明日は週末であり、剣の練習日。約束を破ったことのないミアは必ず森に来るだろう。

 ガイアスは机の端にある花瓶の狼を見ると、予定通り訓練所へと歩いて行った。

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