父と兄
「……」
無言で廊下を歩くガイアス。抱えられているミアも、その顔を見る事ができない。
部屋の近くに控えていた従者に、ガイアスが風呂を用意するように伝える。男は一礼すると廊下の先へ向かった。
「ここだ」
ガイアスはミアを自分に密着するように抱え直して扉を開ける。
(……急に俺が来たから怒ってるのかな)
ガイアスはそのままスタスタと歩くと、ソファの上にミアをゆっくりと降ろす。
(あ、ソファが汚れる)
自分は泥だらけであり、綺麗なソファに座るのが躊躇われる。申し訳なく思い降りようとしたが、ガイアスが手でそれを阻止する。
顔を上げることができないミアは、ガイアスの足元に視線を向ける。膝をついている床はぐっしょりと濡れていた。
(あ、俺を追いかけて池に入ったから……)
ミアが申し訳ない気持ちを込めて目線を上げる。そこには、心配げに眉を下げているガイアスがいた。
「ミア、俺のせいでこけてしまったな」
「いや、俺が逃げちゃったから、」
「怒鳴ってすまない。あの時ミアが消えてしまったら、一生会えなくなる気がしたんだ」
図星のミアは、黙って下を向く。ガイアスがそっと顔に手を伸ばし、優しく撫でた。
「今日の事……何も言わなくて悪かった」
ガイアスは、今日ここに至る経緯を説明した。
家族が勝手に自分を心配して婚約相手を決め、顔合わせの予定を組んだこと。自分は『恋人がいるから』と断るために、急いで実家に帰ってきたこと。そして、マックスが言った恋人の話は全くのデタラメだということ。
「昨日、無理やり起こしてでも伝えるべきだった。ミアをこんなに悲しませてしまった」
「ガイアス……」
「俺が悪かった」
悔やんでいるガイアスの表情を見るのは辛いが、ミアも本心を告げる。
「屋敷に行ったんだ。そこでガイアスがお嬢さんと会ってるって聞いて……」
そう言いながら、また目の前のガイアスが歪む。
(真剣な話だから、泣いちゃだめだ)
「それで来てくれたのか」
ガイアスは親指の腹でミアの頬を撫でる。
「俺……文句言いに来たんだ。ガイアスは、俺のだから取っちゃダメだって……ぅう、」
ついに泣いてしまったミアの涙を、ガイアスは指でそっと拭った。
「嬉しいな。そうだったのか」
「でも、ガイアスが、二人が橋で並んでるの……見て、俺は邪魔って思って、んっ、だから……もう帰ってサバルに、行かないから……男だし、狼で……子供も産め、ないしッ、うぅ~……」
泣きながらで頭の整理ができていないミアの言葉。ガイアスはその内容に少しムッとした顔で答える。
「勝手に決めるな。俺が好きなのはミアだけだ」
「……うん」
グスグスと泣くミアの後頭部に手を回し、その身体を抱きしめる。
「さっきも言ったが、今日はこの婚約を断りに来た。家族にも『将来を考えている恋人がいる』と言った。ミアが子供を産めないことは最初から知っている」
「だから……」と続けるガイアスの声が掠れる。
「一生会わないなんて、言わないでくれ」
苦しそうなガイアスの声に、胸が締め付けられる。
「今回は俺が全部悪い。すまなかった、ミア」
「ううん……俺も、ごめん、なさい……ッ」
ガイアスは、泣きながら謝る恋人の目元に、そっとキスを落とした。
よしよしとミアを撫でていたガイアスは、従者の男が扉越しに声を掛けたことで立ち上がる。
浴場へとミアを運ぶと、先に服を脱いだ。
「一緒に入るの?」
「ダメか?」
「ううん……」
初めて一緒に入る風呂がこんな形だとは予想しておらず、なんだか気まずいミア。それを気にせず、ガイアスはミアの服に手を掛けた。
「わ、大きい湯舟……」
「兄が多いから無駄にデカいんだ。昔はよく一緒に入っていた」
「ガイアスってお兄さんがいるの?」
「兄が四人と弟が一人いる」
「そ、そんなに?」
ミアは初めて知るガイアスの家族構成に驚きを隠せない。
「だから、世継ぎの心配はしなくていい」
先ほどミアが泣きながら告げた子供に関して、はっきり問題ないと告げた。
「前、兄はいないって言ってたよ」
「前……? あれは、カルバン様のように弟想いの兄ではないという意味だったんだが」
(『心配してくれる兄はいない』って、そういう意味だったのか……)
ミアはすれ違って解釈していたことに、今更ながら気づいた。
「俺の言葉が足りないばかりに、心配をかけたな」
申し訳なさそうに言うガイアスに、ブンブンと頭を振って否定する。
「ミア、こっちにおいで」
風呂の淵にミアを呼ぶと、湯を桶ですくってミアにかけていく。ガイアスはミアの身体に少しずつ温かい湯をかけて汚れを落としていった。
「沁みたりはしないか?」
「うん。大丈夫」
「入ろう」
そう言ってミアの手を取ると湯の中へ導く。
「はぁ~……」
息を漏らすミアの横に腰かけ、ガイアスがやっと安心した顔をする。
「ミアが勘違いしたまま、消えなくて本当に良かった」
「俺も、そう思う」
(あの時、ガイアスが叫んでくれなかったら、俺は一生サバル国には行かないつもりだったから)
「ミア、これからはどんな小さな事も言う。今回みたいな思いはしたくないし、もうミアを泣かせたくないんだ」
ガイアスが真剣な顔でミアに告げる。
「俺も、先にガイアスと話すことにする。すぐ勘違いして、大変な事になるから……」
反省して耳が垂れているミア。
「よし、ではこの話はこれでお終いだ。今日はミアに会えないと思っていたから、会えて嬉しい」
ガイアスは、目を細めてミアの大好きな表情をした。きゅんとミアの胸が鳴る。
「これって、『仲直り』ってこと?」
「そうとも言う、のか?」
喧嘩をしていたわけではないため、ガイアスは少し頭をひねる。
「人間って、仲直りの時はキスするんだよね?」
「する者はいるな」
学んだ人間の知識が本当かどうか尋ねるミアに、ガイアスは頷く。
「俺達も、した方がいいよね?」
隣を見ると、嬉しそうにガイアスが微笑んでいた。
「ああ。するべきだ」
ミアはガイアスの膝に手を置くと、上を向いて顔に唇を寄せた。
「ッ……ん、」
ぱちゃ……
風呂の湯舟が波打ったのは、ミアの身体がビクッと跳ねたからだ。
「ん、んぁ……」
はぁ、と時々息を漏らしながら、ガイアスの舌を含むのに精一杯のミア。ガイアスが顔をそっと後ろに引くと、二人の間に銀色の糸が伸びた。
それがなんだかいやらしく感じたミアは、かぁああ……と頬を染める。
「あのさ、仲直りのキスって、こんな感じなの?」
思っていた軽いキスとは違うことに疑問を持つミア。
「俺たちの場合はな」
「そっか」
フフッと笑うと、また近づく唇。
ミアはそっと目を閉じた。
二人で風呂から上がり、湯冷ましに冷たい紅茶を飲む。
脱衣所に用意されていた着替えはミアにぴったりのサイズであり、さらに狼の好みそうなゆったりとしたシルエットだ。
ガイアスに尋ねたところ、ガイアスの母はデザイナーをしているらしく、この服も家にあるうちの一枚を用意させたとのことだった。
「落ち着いたら父に会ってくれないか?」
「俺、無断で屋敷に入っちゃって、怒られないかな」
「大丈夫だ」
きっぱりと言い切るガイアスに少し安心した。
念のため耳と尻尾は消し、ガイアスの部屋から出て廊下を歩く。
「まだ応接室にいるだろう」
そう言って指差した部屋の扉が開いたと思うと、中から先ほどの女性が出てきた。ミアは驚き、ガイアスの後ろにさっと控える。
「先程は失礼いたしました」
ガイアスが女性に冷たい声で言う。
「お気になさらないで下さい。話も終わりましたので、今から帰るところです」
「すみませんでした!」
ミアは事を大きくしてしまったことを謝ろうと、ガイアスの隣に立つ。
「いえ、ガイアス様に大切な方がおられたとは知らず、私こそ失礼をいたしました」
リリーは少しはにかみながら続けた。
「私がこの屋敷に来る事はもうありません。安心してくださいね」
女性はガイアスとミアに軽く頭を下げると、玄関の方へ歩いて行った。ミアはどう声を掛けてよいか分からず、静かにリリーを見送った。
それを見計らってか、女性の父親と思われる人物も部屋から出て、ガイアスとミアに頭を下げると娘の後を追いかけていった。
「ミア、気にしなくていい」
ミアを気遣って何も言わずに去って行った女性が、先程までの自分と重なる。
(俺も、ガイアスを想って身を引こうとしたから……)
「俺はミアが好きだ。どうしたってそれは変わらない」
ミアをそっと抱きしめるガイアスの背中に、ミアは控えめに手を回した。
「あの~、お取込み中ごめんね。廊下じゃなんだし、二人とも中に入る?」
この場に似つかわしくない妙に軽い声がした。
扉を半分開け、ひょっこりと顔を出している男は、ガイアスに少し似ていて兄弟であることがすぐに分かった。
「ねぇねぇ、入りなよ」
手招きで呼ぶ男に従い、ミアとガイアスは部屋の中へと入った。
中にはもう一人男がいた。見た目は六十代くらいで顔はガイアスに似ているが少し背が低い。そして、その横に座っている兄は細身の長身。どことなくガイアスに似ているが、全体的にやわらかい雰囲気だ。
「初めまして、シーバ国ラタタ家のミアと申します」
「僕はガイアスの兄のシュラウドだよ。よろしくね」
シュラウドは手を前に出して握手を求めるが、ガイアスによって叩き落とされた。
「いてッ!」
大げさに打たれた手をさすっている。
「ガイアスの父、リバー・ジャックウィルです。息子が世話になっております」
こちらはガイアスの兄とは違い硬派な印象だ。
「父と兄には昨夜、ミアのことを話してある」
ガイアスは、心配するなとミアの手を握る。
「手なんか握っちゃってお熱いね~! ひゅーひゅー!」
「兄の事は無視していい。少し頭がおかしいんだ」
ミアはガイアスの言葉に苦笑する。たしかに、ガイアスとはタイプがまるで違う。
「おかしいとはなんだよ~!」
「恋人のいる弟の婚約相手を勝手に決める人の、どこがおかしくないと言えるんだ?」
「う、それは……」
シュラウドが手を口元に持っていき、およよ……とうなだれる。
「今回の件に関しては、私からも謝らせてくれ。まさかシュラウドが動いていたとは思わなかった」
父であるリバーがガイアスとミアに謝る。
「あの、済んだことですし大丈夫ですよ」
ミアの一言に、バッと顔を上げて笑顔になるシュラウド。
「ミアちゃんやっさしい~! ガイアスも、ほら! 切り替えなきゃ!」
ガイアスは、兄のその言葉に、苛立ちを隠せない。
(こんなにイライラしてるガイアス初めて見た……)
ミアは、今にも噴火しそうなガイアスと、能天気に笑うシュラウドを交互に見てハラハラとした。
話の流れで、今夜は本家に泊まることとなったミア。仕事が残っているというリバーとシュラウドと別れ、今はガイアスとベッドに横たわっている。
「なんか、凄い一日だったね」
「一気に老けた気分だ」
ミアは、ガイアスの父・リバーを思い浮かべる。
(ガイアスも将来、あんな感じになるのかな?)
渋いガイアスも素敵だろうと頬を緩ませていると、横から手が伸ばされ髪をいじられた。
「今日、母と弟は出かけているんだ。他の兄達は家を出ている。またゆっくり挨拶に来てくれ」
「うん。楽しみにしてるね」
ミアは元気に頷いた。
「だから植木の後ろにいたのか」
寝ころんだまま、今日ここへ来るまでの経緯を話すミア。
メイド二人と協力してここへ来たのだと伝えると、ガイアスは少し頭を抱えていた。
「ねぇ、そういえば……橋の上で何話してたの?」
ミアは一番気になっていた事をガイアスに尋ねる。思えば、あの時の楽しげな二人を見て、ミアはガイアスを諦めようと決めたのだ。
「……あれは、そうだな、」
「言えないこと?」
歯切れの悪いガイアスに、ミアが詰め寄る。
「リリー様の耳飾りが緑だったんだ」
ガイアスの話し方から、あれは贈り物ではないと分かる。
「……だから、その石は何という名前か聞いていた」
それがなぜ言いにくい話なのだろうか……ミアは分からず首を傾げる。
「恋人に贈りたいと言ったら、少し重たいんじゃないかと言われ、笑われたんだ」
ミアは予想外の会話の内容に驚いた。あの時のミアの頭の中は、『ガイアスが贈った耳飾りを喜ぶお嬢さんの図』であったが、真実は違っていた。
「以上だ」
ミアは寝転んだまま、ずりずりとガイアスに近寄る。
「嬉しいよ? ガイアスが、自分の色を身に着けてって言ってくれたら」
ぴったりとガイアスの胸に顔を寄せる。
「俺、指輪の緑を見て、いつもガイアスのこと思い出すんだ。すっごく幸せな気分になるよ」
「ミア……」
ガイアスはくっついているミアの頭を抱え込むように抱きしめる。ミアはさらにくっつこうと身体を摺り寄せた。
二人はそのまま、気が付けば陽だまりの中、すやすやと眠っていた。
目覚めた二人は部屋で夕食を取り、再び風呂に入った。
(また、一緒にお風呂に入っちゃった)
ガイアスの裸を思い出し、少し照れてゴロゴロとベッドの上で転がるミア。
ガイアスはそれを不思議に見つつ声を掛ける。
「もう寝るか?」
「んーん、昼寝しちゃったから眠たくない」
ベッドの真ん中にいるミアを少し寄せると、自分もそこに寝転がる。
「そうか」
その声の後、ミアの顔に影が落ちる。
ちゅうっ……
可愛らしい音がして離れるガイアスは、気恥ずかしそうに目を逸らした。
(うう、ガイアス可愛いすぎる……!)
ミアは悶える気持ちを抑えられず、ガイアスに突進するようにぶつかる。
「はは、何だ急に!」
突然の攻撃に思わず笑うガイアスだったが、小さな手が寝間着の隙間に入り込もうとしているのに気が付いた。
「ミア?」
「ガイアス、今日……練習しようよ」
まだ一回しかできていない『気持ちよくなる練習』。
いろんな邪魔や忙しさから、言葉のみでちっともできていなかった練習を、ミアはしようと誘っている。
その状況に、早くもガイアスのソコが緩く反応した。
「しよう」
ガイアスは、ミアをひっくり返して自分が上になると、襟付きの寝間着のボタンをゆっくりと外した。
(※次回、性的描写が入る為、エピソード非公開にしています。)
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