見つけた手紙

「ここがガイアスの家?」

「そうだ」

 森の湖から歩いて十分。大きな屋敷が見え、ミアはその建物を興味深く見つめる。

「大きいね! ガイアスの家の人は誰もいないの?」

「ああ。祖父がずっと住んでいたんだが、四年前に俺が引き継いだんだ」

 広い庭は均整と調和のとれた繊細さを感じさせ、派手さは無く控えめな美しさだ。

 屋敷の外観はいかつい印象を受けるものの、外から見える赤を基調とした彩り豊かなカーテンが、明るい雰囲気を醸し出している。

「楽しみだなぁ~。俺、ガイアスの部屋がどんなのか予想してるんだ!」

「後で答え合わせしないとな」

「うん!」

 玄関に着きガイアスが扉を開けると、使用人全員がズラリと並び礼をしていた。

「「おかえりなさいませ」」

「皆、顔を上げてくれ。客人を紹介する」

 その言葉に顔を上げた一同は、ミアを見てあまりの美しさに目を見開いた。

 まず目に入ってくるのは、美しい銀色の髪とふさふさとした毛並みの良い白い耳。

 目は蜂蜜のような金色で、屋敷の灯りをすべて反射しているかのようにキラキラと輝いている。

 長いまつげで囲まれた大きな瞳が、その美しさを愛らしい印象に変えているようで、どこか親しみやすさを感じる。

 全体を見ると、健康的に焼けた肌の色と白のコントラストが、まるで芸術作品のようだ。

 ガイアスと頭二つ分小さいというのに、その存在感。使用人達は初めて見る狼が、まさか王族だとは知らずにその姿に見とれた。

「こちらは、狼のミアだ」

「シーバから来ました、ミアと申します。突然伺ったにも関わらず、歓迎して下さり嬉しいです」

 挨拶をして優雅に頭を下げたミアに、使用人達はハッとした様子でまた頭を下げる。

「お食事の準備はできております」

「一旦、荷物を部屋に置いて食堂へ向かう」

「かしこまりました」

 執事が軽く礼をすると、ガイアスがミアの方を向き、着いてくるよう促す。

 石造りの屋敷は冷たい印象だが、色鮮やかな絨毯が敷いてあることや、花々をあしらったデザインの石こう細工の飾りがところどころに施されていることで、柔らかい雰囲気が漂う。

 廊下を歩く間、ミアはシーバ国の王宮とはずいぶん違う内装を見て楽しんだ。

「では、ご準備ができましたら食堂までお越しください」

「分かった」

 ガイアスは一礼する執事に背を向けると、自室へミアを案内した。

「部屋は予想通りだったか?」

「うーん。俺が思ってたのとは全然違うけど、かっこいい部屋だね」

「どんな想像をしていたかは、食事の席で聞こう」

 ガイアスは剣を仕舞う為に一旦ミアから離れる。

「すぐ戻る。好きに過ごしていてくれ」

 剣を抱え、ついでに着替えもしてこようと思ったガイアスは、クローゼットのある奥の部屋へと歩いていった。

 部屋の中をウロウロと見回っていたミアだったが、ふと机の上の端にまとめられている便箋の束と、下書き用の紙が目に入る。

(ん? これって、名前の練習? 文字も書いてある)

 綺麗に書くために試し書きされた紙を見ながら、ガイアスが自分の名前を何度も書き直す様子を想像し、ほっこりした気持ちになる。

 綺麗な字の並ぶ紙の束を手に取り、何枚かめくってみる。

『もう一度会いたい』『私を知って欲しい』

 ミアの目に入ってきたのは、まるで恋文にあるような言葉の数々。

(……なにこれ)

 上から線が引かれており、おそらくこれらの言葉は却下されたのだろう。

 急に心臓がドクドクと音を鳴らす。ぎゅっと胸を押さえてその場に立ち尽くした。

(ガイアスには、想っている誰かがいるんだ)

 この胸の痛みは、師匠を取られることへの寂しさなのか、嫉妬なのか……ミアにはまだ判断することができなかった。


「待たせたな……ミア?」

 これ以上手紙を見ていたくなくて、机から離れたミア。

 ソファに座って心を落ち着けようとじっとしていたのだが、静かな様子にガイアスが心配して駆け寄ってくる。

「どうした? やはり具合が悪いのか?」

「ガイアス」

 隣に座って顔を覗き込むガイアスに、ミアはきゅっと抱き着いた。

 びっくりして身体をこわばらせるガイアスだったが、すぐに両腕をミアの背に回し、よしよしと控えめに小さい背中を撫でる。

 ミアはさっきの手紙のことをぐるぐると考えていた。

「ミア、何かあったのか?」

 優しい声と背中を撫でる手が心地よい。自分以外の誰かに、こうやって優しくしないでほしいと強く思った。

 ギュッと目を瞑って考え、ある案を思いつく。

(俺は王家の狼なんだから、権力を使えば……)

 ミアは抱き着いたまま、顔を上げてガイアスと視線を合わせる。

「言わなくちゃいけないことがあるんだ」

 しっかりと目を見て真剣な表情で伝える。

「俺、実はシーバの王子なんだ」

 隠していたわけではないが、出会って随分と経つのに今更自分のことを話すなど変な感じがする。

 そして、王族だからと距離を置かれたら……と不安な気持ちも加わり、ミアの心臓はまたしてもうるさく鳴った。

「……そうか」

 ガイアスはそう返事をして、ミアの背中を撫で続ける。

 てっきり驚くかと思っていたミアは拍子抜けで、思わず首を傾げた。

「本当なんだけど?」

 信じていないのかもしれないと念を押すと、ガイアスは目を細めて嬉しそうに微笑んだ。

 たまに見せる優しい笑顔がすぐ目の前にある。ミアは胸がキュッとしめられたような感覚がした。

「俺は、ミアが王族じゃないかと思っていた」

「えっ⁈ ガイアス、凄い!」

 驚くミアに、ガイアスは疑問に思ったことを口に出す。

「なぜ今言うんだ?」

「それは……えっと、王族の力で、ガイアスを……」

「ん? 俺をどうかしたいのか?」

 ごにょごにょと口ごもるミアに耳を傾ける。

 ミアは目の前の胸にポスンと顔を埋め、小さい声で説明を始めた。

「ガイアスが、他の誰かに取られちゃ嫌だから、俺から離れちゃダメだって、命令……しようと思って……」

 ミアの予想外の言葉に、珍しく動揺し瞳が揺れるガイアス。ミアはそれに気付かず言葉を続ける。

「俺は王子だから、俺が良いって言うまでは、勝手に誰かと結婚しちゃダメ……」

 権力乱用。しかも人間であるガイアスに、狼のミアの命令などは法的に通用しない。

「どうして急にそんなことを心配するんだ?」

 ガイアスは顔を上げないミアの背をずっと撫でている。

「ガイアスを好きな人って、いっぱいいるだろうし、もし良い子だったらガイアスも好きになるかもしれないし、そしたら……えっと、俺、」

 その先は、ミアも何と言って良いか分からない。この感情をうまく表現できないのがもどかしい。

「嫉妬、したのか?」

「え……?」

「いや、なんでもない」

 ミアが、深く考えず感情に任せてそう言ったのは明らかだった。

 ガイアスはミアの発言の意味を考える。

(ミアは、俺に少なからず好意を持っているのか?)

 そうであれば今すぐに自分の想いを伝えたいガイアスだが、もし違っていたら、自分から離れていってしまう可能性もある。

 ガイアスは、自分の胸から不安そうに顔を出した狼を見つめる。

(ミアが俺から離れていくなんて、考えたくもない)

 告白はまだ早いが、ミアに今の想いを嘘偽りなく伝えようと、ガイアスはミアを見つめ返す。

「俺は、ミアを一番大切に思っている」

「ガイアス、」

「毎日ミアの事ばかり考えているから、他に心をやる余裕はない」

 真剣な言葉に、ミアは嬉しそうに耳をピンと立てた。

「そうなの? それって他の人には興味ないってこと?」

「ああ」

 ミアは『一番』だと言われたことに顔を熱くしつつホッとする。勢いで王子だと告白したものの、ガイアスの態度は全く変わらなかった。

 そして他の人間には興味がないとはっきり聞いた。

(あの下書き用紙の字は、詩でも書いてたのかも)

 先程の手紙の文字が頭をよぎる。

(うん、そう思おう……)

 無理やり自分を納得させ、この調子でお披露目会の招待状を……とミアが思ったところで、扉が叩かれた。

「ガイアス様、お食事はいかがなされますか?」

「今行こう。ミア、一階へ下りれそうか?」

「うん。安心したら、お腹空いてきた」

「ふっ……そうか」

 微笑みながら立ち上がるガイアスがミアの手を引き、二人は階段を下りて食堂へ向かった。


 バタン……

 ガイアスの自室の扉が閉まり執事の姿が見えなくなると、ミアは息を吐いた。

「はぁ~、お腹いっぱい」

 ふぅ……とお腹をさすりながらソファへ移動するミア。

「この部屋、すごく落ち着くね」

 リラックスして広いソファに機嫌よくもたれかかる。

 ガイアスは先ほど昼食中にミアが言っていたことを思い出した。

「ミアが想像してた俺の部屋だが……自衛隊は皆あんなイメージか?」

 ミアが思い浮かべていたガイアスの部屋は、『武器や狩猟用の道具などが壁に掛けられ、入口には獣の像か騎士の鎧が置いてある』というものだった。

「いや、ただ俺の憧れっていうか」

「物騒過ぎて、休めそうにないな」

 ガイアスは、装飾の少ない自分の部屋を改めて見渡す。

(部屋に剣を掛ける場所を作るか)

 ミアがこの部屋を気に入ってくれるなら……と、まっさらな壁を見つめた。


 それからはお茶を楽しみつつソファの上で雑談をしていたが、ハッとした顔でミアが身体を起こす。

「そうだ! これ、ガイアスに渡そうと思ってたんだ」

「なんだ?」

 ミアは鞄をゴソゴソと探り、中から金で縁取られた豪華な赤い封筒を出した。封をしている蝋には、王家の証である印が押されている。

「十日後に俺のお披露目式がサバルであるんだ。もし来てくれたら、凄く嬉しい」

「……必ず行く」

 ガイアスは少し考えた後、しっかりと頷いた。

「ミア、ありがとう」

 笑顔で封筒を受けとる姿を見て、ミアは嬉しさに尻尾をブンブンと振った。



 ミアが帰った後、屋敷の使用人達はガイアスを囲んで食堂のテーブルについていた。

 ガイアスはミアが王家の狼であるということを伝えるために皆を呼んだのだが、ミアが楽しんでいたと伝えると、皆口々に感想を述べだした。

「最初は、あまりの美しさに緊張してしまいましたけど、ミア様って、とても気さくな方ですのね」

「愛らしい笑顔が素敵でしたわ。また来ていただけないかしら」

「浮かれたあなた達が失礼な事をするのではないかと、ヒヤヒヤしましたよ」

 手を取り合うメイドのカミラとメイ。そして、二人を見るメイド長は、溜息をつきながらもどこか嬉しそうだ。

「お見送りの時に渡したサンドウィッチも、本当に喜ばれてましたね」

 料理見習いのウィルが、料理長に話し掛ける。

「あんなに『美味しかった』と何回も言われたら……悪い気はしないな」

「料理長手ずから渡してましたもんね~。珍しく」

「何が言いたい」

「その後もニヤニヤして……いってぇ!」

 ウィンの頭にゴチッとゲンコツを落としたバンチョス。「庭も美しいと何度も言ってくださって、嬉しかったですね親方!」

 庭師見習いのダンは、イーロイに笑顔を向ける。

「ああ」

「いただいたお菓子も、初めて食べる触感で美味しかったですね!」

「そうだな」

 ダンが言うように、ミアが持ってきた狼国の菓子は、人間国ではあまり流通していないものだ。包装紙を開けた時は、皆その中身を興味深々で見ていた。

 使用人達は、普段ガイアスの前では完璧と言ってよい態度で礼節を守っている。しかし、今日ばかりは主人の想い人である狼が屋敷に来たとあって興奮しており、おしゃべりが止まらない。

「皆さん、ガイアス様からお話がございます。お静かに」

 いつまでも終わりそうにない会話をロナウドが収め、静かになったのを確認してガイアスが口を開く。

「今日、この屋敷へ来たミアだが、彼は王家の狼であるミア・ラタタだ」

 ガイアスの言葉に、シーンと静寂が訪れる。皆がこれ以上無い程に驚きの表情で固まる中、メイドのメイがハッと息を飲んだ。

「ど、どうしましょう、私……絶対に何か失礼を、」

 他の者も動揺しているが、ガイアスは気にせず続ける。

「安心してくれ。ミアは今日のもてなしを喜んでいた」

 全員が主人の言葉に耳を澄ます。

「彼が王族であっても、俺の一番大事な人に変わりはない。これまで通り週末も会う予定だ」

 ガイアスの言葉に使用人達は頷いた。

「ロナウド、十日後に行われるミアのお披露目式に出席することになった。準備を頼む」

「午後のご予定は変更されますか?」

「いや、そのままでいい。午前中の時間は席で過ごす」

「かしこまりました」

「以上だ。皆今日はご苦労だった」

 皆が軽く頭を下げ、ガイアスが解散するように言った。

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