憧れの剣舞団員
お披露目会まであと三日。
週末恒例の剣の練習が終わり、紅茶を飲んで休憩していたミアは、気がつけば草の上に寝転がってうたた寝をしていた。
「疲れてるんだな」
ガイアスは持ってきていた上着をミアにかけようとして、ふと手を止めた。
ミアは今、仰向けで腕をお腹の上に乗せ、すやすやと寝息を立てている。
『狼は本当に安心できる相手の前でしか、仰向けで寝ないんだ』
以前ミアが言っていたことを思い出す。
(俺に心を許してるのか?)
顔が緩むのを止められない。誰に見られるわけでもないのに、それを隠すように口元を手で覆った。
そしてようやく表情が落ち着いた頃、持っていた上着を小さな身体にかけると、ミアは身じろぎをしながら横向きになった。
座っているガイアスの足にミアの片手が乗せられる。
「……ッ、」
温かく小さい手が身体に触れ、ガイアスの全身が粟立つ。
もし自分が狼だったら、尻尾の毛がブワッと立っているはずだ。
ガイアスは心を落ち着けるため、二年間に及ぶ地獄の遠征を回想することにした。
「待って、ん……あれ?」
ミアが目を開けると、何か黒いものがぼやっと映った。それがガイアスの足だと分かり、勢いよく起き上がる。
「わッ!」
ミアの身体に掛けていた上着が横に落ちたのを見て、ガイアスはそれを拾って後ろに置いた。
「起きたか」
「ごめん。いつの間にか寝てたみたい」
「少しだけだ。三十分も経っていない」
「俺、変なこと言ってなかった?」
動揺しながら目をさ迷わせるミア。
「何も言ってなかったが……夢でも見たのか?」
「う、うん」
ミアはどこを見て良いか分からず下に目線をやると、青いランチマットの上に自分のマグカップが置いてあるのが見えた。
「お茶、せっかく淹れてくれたのにごめんね」
「気にするな。今、新しいのを用意しよう」
そう言うと、ガイアスはバスケットに手を伸ばした。
ミヤが焦っていたのは……夢にガイアスが出てきたからである。
見たことない広い花畑でガイアスと並んで座り、サンドウィッチを食べていたと思ったら、頭を大きい手で優しく撫でられた。
気持ちが良くて目を閉じると、そのまま肩を掴んで横にゆっくりと寝かされた。
その瞬間、場所がいきなりミアの部屋に切り替わり、ベッドの上に寝ていた。ガイアスに覆いかぶさられるような形で、やけに顔が近い。
耳の近くに息がかかって少しむず痒いと笑ったら、ガイアスの顔が近づいてきた。
どんどん迫ってくるガイアスに、もしかしてキスされるのか……と思った瞬間、ミアは目を覚ましたのだ。
(夢では、あの後どうなってたんだろう……って駄目だ! また変なこと考えちゃってる)
自分の想像をかき消すように、ブンブンと頭を振っていると、噴き出したガイアスの声がした。
「ふっ、何やってるんだ?」
「……雑念を飛ばしてる」
「食べ物の夢でも見たのか」
少し考えてミアが頷く。
「うーん、半分当たり。サンドウィッチ食べてたんだ」
「そんなに好きだったのか。では、近いうちに街へ出掛けるのはどうだ? 前に言っていたサンドウィッチの店に連れて行こう」
「え! 行きたい!」
ガイアスと出掛けることができる。それだけでミアの気持ちは高ぶる。
「来週末はどうだ?」
「式が終わって四日後……それなら行ける、ううん、絶対行きたい!」
式の準備があり、王宮とガイアスの屋敷の往復しかしていなかったミアは、今からお出掛けが楽しみで、尻尾をブンブンと振った。
「夕方集合はどうだ? その日は剣の練習は無しにしようと思う」
その日は街に屋台が多く出店し、遅くまで賑やからしい。
「じゃあ、ご飯食べて……屋台でも何か買ってみたい!」
「いいな」
ガイアスがミアの頭に手を乗せ、よしよしと動かした。そしてそのまま頬に手を持っていく。
「ん、頬が冷たいな」
「別に寒くないよ……んむっ、」
鼻先を指の甲で軽く擦られてミアが声を出す。
そんな様子に微笑むガイアスを見て、ミアは先ほどの夢を思い出した。
(さっきは、このまま後ろに倒されて顔が近づいて……
あのまましてみたかったなぁ、キ……)
「ス……⁈」
「す?」
思わず声に出しそうになり、口を塞ぐミア。
急に焦った声を上げたので心配に思うガイアスだったが、ミアの顔は真っ赤であり、明らかに照れている。
「どうした?」
ガイアスは自分を意識し始めているミアの様子が嬉しく、顔をわざと覗き込んだ。
「や、や、やっぱ、ちょっと寒いかも!」
「フッ、そうか」
どもりながら言うミアに、上着を渡そうと後ろを振り向くガイアス。
ミアは心臓が鳴り、夢で見たガイアスの顔で頭がいっぱいになる。
(俺、ガイアスのこと、好きなんだ……)
ミアはガイアスに恋をしている。
ようやく気付いたミアだったが、今知ったばかりの感情をうまくコントロールできない。
ガイアスの仕草にいちいち反応し変な態度をとってしまう自分が、子供のように思えて情けなかった。
(早く、大人になりたい)
いつも余裕で大人なガイアスのようになりたくて、ミアは隣に座る男をじっと観察することにした。
次の日、湖に現れたミアは剣を持っていなかった。
服もいつもの武道着とは違い、伝統的な白い衣装を着ている。
手足と首元は締まっているが、全体はトロリとした白い生地で覆われ、ゆったりとしたシルエット。生地には光が当たれば気づく程度の刺繍が施されており、シンプルながら高級品であるのは見て明らかだ。そして、人間国ではあまり見ない作りである。
ミアはガイアスの姿を見ると、急いで近寄った。
「ごめんガイアス! 今日は一時間しかここにいれないんだ。だから剣の練習は無しでいい?」
「俺は構わない。忙しいのに来てくれたんだな」
実は昨日、帰ってきてからのミアは、ボーッとしていて全く使い物にならなかった。
式の準備にも支障が出たため、今朝、とうとう従者から「今日は剣の練習禁止!」と言い渡されてしまったのだ。
いつもなら文句を言うところだが、ミア自身も認めるほど迷惑をかけた自覚があり、何も言い返せなかった。
(ガイアスは俺のこと、どう思ってるんだろ……)
昨日ガイアスと別れてから、ミアはずっと悩んでいた。
リースに相談してみたが、ガイアスに会ったことのない弟が分かるはずがない。最終的に、『石の力で相手の好意を探れるのでは?』と二人して朝まで文献を読み漁った。
(おかげで、石についてすごく詳しくなったけどさ)
便利な石だが、今のミアの悩みを解決してくれる力は無いとはっきり分かった。
「何かしたいことはあるか?」
「実は、式が近いから緊張してて……ガイアスと話したら落ち着くと思う」
「では座ろうか」
ミアは式に無関心であり、全く緊張などしていない。
むしろ今、好きな男を前に超が付くほど緊張しているのだが……できる限り冷静に返事をする。
「服が汚れてはいけないから、これに座ってくれ」
ガイアスは池の近くに自分の上着を敷き、申し訳ないと思いつつもミアはそこへ腰を降ろす。
隣に座るガイアスの距離が妙に近く感じ、手の当たりそうな距離にドキドキとした。
「式は大丈夫そうか?」
「うん。練習はもう終わったから、あとは確認だけ」
「ミアならうまく出来る」
ガイアスは勇気づけるように、こめかみ辺りを手の甲で優しく触る。その優しさに、ミアは少し申し訳ない気持ちになった。
(ごめんガイアス! 緊張してるなんて嘘なんだ……!)
心の中で謝りつつ、一定のリズムで撫でてくる手に身を任せて、指が触れている方の目を瞑る。
「気持ちよさそうだな」
「えっ! あ、ちが……ッ、」
「この服」
「あ、……服のこと?」
自分が着ている服を見下ろしたミア。
(たしかに着心地はいいけど……)
勘違いしてしまったことに少し照れていると、ガイアスがフッと笑った。
「こっちもな」
「ッあ……」
からかうように、こめかみを撫でていた手が耳の方へ移動する。
(また、変な声出ちゃった……!)
ミアがカァァ……と赤い顔で狼狽えていると、ガイアスは目を細めた優しい顔で瞳を覗き込んだ。
「緊張は解けたか?」
「……うん」
小さく返事をするミアが可愛らしく、ガイアスは笑った。
「俺、式の最後に剣舞が見れるから頑張れるよ」
目の前にある剣を見つつ、ミアは嬉しそうに話す。
「以前見たと言っていたな」
「サバル国の戴冠式の時に見たんだ」
「……出席してたのか」
ガイアスが小さな声で呟く。戴冠式は、自分が遠征に行く前に参加した式典だ。
現サバル国王の即位は二年半前であり、そうするとミアは十六歳。たしかに他の国に行っても許される年齢だ。
ミアは表立って式には参加はしなかったが、剣舞を見る為にサバル国王に部屋を用意してもらったとのことだった。
「サバルのジハード王と父上は仲が良いんだ。式の後は必ず二人で飲んで、朝まで騒いでるよ」
サバル国を治めるジハード王。近年即位したばかりにも関わらず、その威厳ある雰囲気はまさに一国の王にふさわしい。
ミアの『騒いでいる』という表現が、どうもしっくりこないガイアスだった。
「それは、驚いたな」
「そうかな? しかも心配性だから、俺が何回も『自衛隊の人から剣を習わせて下さい』って頼んでも、『危険だから駄目』って言うんだ」
仕方なく一人で練習を続けていたのだと言うミアに、ガイアスはホッとする。
もし、自分以外の人間が師匠になっていたら……何とも言えない嫌な気持ちになった。
「それは、危ないな」
「そんなヤワじゃないんだけどなぁ」
(ミアは『剣で怪我をするから危ない』と注意されたように思っているようだが、違うだろうな……)
ただでさえ男所帯で血気盛んな自衛隊だ。もしミアがそんな野獣の巣窟に行こうものなら……想像するだけでも恐ろしい。
今日ほどジハード王の判断に感謝した日は無いガイアスだった。
「そこで初めて剣舞を見て、俺すっごく感動したんだ。特に凄い人がいてね」
「凄い人?」
「うん。甲冑してるから顔は分かんないんだけど、その人の剣は力強くて、一番かっこよかったんだ!」
「そうか」
ガイアスはミアの言葉を聞いて、うまく返事をすることができない。
「俺、その人ばっかり見ちゃってて、結局全体でどんな動きしてたのか分からなかったんだ。だから、今回はちゃんと見たいなぁ」
ミアは初めて剣舞を目の当たりにした日を思い出し、興奮気味に伝える。
「終わって、もし時間があったら話し掛けてみようかな」
「……そうするといい」
急に口数の少なくなったガイアスに、どうしたのか顔を窺おうとしたミアだったが、大きな手が急に頭をかき混ぜてきて、反射的に目を瞑る。
「うわっ! 何?」
「会えるといいな」
いつもより強く、目を覆うくらいまで上下に撫でられ、ガイアスの表情は最後まで分からないままだった。
「式、来てね! 見つけたら合図するから!」
「ああ。楽しみにしている」
ミアの決めたポーズは、指を二本くいくいっと前に曲げるという謎の動きだったが合図としては分かりやすい。
元気に手を振っていたミアの姿がパッと消えると、ガイアスは近くの切り株の上にドサッと腰かけた。
(ミアには、憧れている自衛隊員がいるのか……)
一から十隊まである自衛隊のうち、剣舞団に所属しているのは二十五名。
そのうちの半分は隊長や副隊長といった強者達だ。他の者も剣舞の腕を見込まれた精鋭揃いで、その中で誰がミアの目を奪ったのか検討もつかない。
明日、ミアはその団員と話してみたいと言っていた。式の主役であるミアの頼みを聞かない者はいないだろう。
そしてミアは魅力的な狼だ。あの笑顔で『会えて嬉しい』などと全身を使って表現されれば、相手はきっとミアを好きになる。
横に揺れるふさふさとした尻尾、ピンと立つふわふわの耳。それが自分ではない誰かに反応しているのを想像すると、まるで鉛を飲んだように、重く苦しい気持ちになった。
「ふぅ……ミアのためか」
しばらくうつむいていたガイアスだったが、何かを吹っ切り立ち上がると、それ以上は考えないよう屋敷へと向かって歩き出す。
ぽた、と額を伝う一筋の水が妙に冷たく感じる。
(週末はいつも晴れだったんだがな……)
ガイアスは中身の入ったバスケットが濡れてしまわないよう、家路へと足を急がせた。
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