白い花

 狼の住む国・シーバ。

 その王宮内の食堂では、わいわいと狼達の話し声が響いている。 

 普段は皆仕事が忙しく、なかなか全員揃って夕食をとることができないラタタ家だったが、今夜は家族がほぼ揃っての夕食となった。

 第一王子であるカルバンは相変わらずミアを心配している。そして、人間の男とどうなったのかとしつこく聞いていたところ、妻のメルに諫められ口をつぐんだ。

「あーあ。姉様もいれば、もっと楽しいのにね」

 ミアは、今は遠くにいる姉を想って呟いた。

「ミアのお披露目式の前には帰ってくるそうよ」

「早く会いたいな~」

 母・シナの言葉に、ミアが久しく会えていない姉の顔を思い浮かべる。

 ラタタ家の長女であるスーシャは現在、国務として狼の婚約者と共に人間国を調査している。

 母の性格に似てしっかり者で、この調査が終われば王宮に戻って母の仕事を手伝う予定だ。

「スーシャ達は今、サバルにいるって言ってたわね。どの辺りにいるのかしら」

「北から降りていくって言ってなかった?」

「それだと、王都に着くのはまだ先ね」

 シナと息子のリースは、スーシャと婚約者の話題で盛り上がっている。

「ミア」

 皆がそれぞれ談笑している中、アイバンがミアに話し掛けた。

「夕食後に私の部屋に来なさい」

「……分かった」

 アイバンはミアからの返事を聞き頷くと、妻であるシナとリースの会話に混ざった。

(俺、何か仕事でやらかした?)

 心当たりが多すぎて、ミアは自分が何の件で怒られるのか予想することができなかった。


「なんで俺だけ呼ばれたの?」

 怒られることを前提としてビクビクしているミア。

 そんな息子を落ち着かせるために、アイバンはミアを椅子へ座らせ、自身も目の前に腰掛けた。

「ミア、お前宛に謁見希望の手紙が大量に届いているのは知っているな?」

「手紙?」

「確認してないようだな」

 手紙と聞いてもピンとこない。

 ミアは素直に首を縦に振った。

「お前に会いたいという手紙が大量に届いているだろう。あれをキチンと整理しなさい」

「俺、一年前にちゃんと整理したけど」

「一年だと⁈ ああ、保管庫がどんなことになっているか想像するだけで恐ろしい!」

 父はゾッとした顔で天井を仰ぎ見る。

「ミアとリースは未婚で、結婚したいと思う狼や人間が常に手紙を送ってくるんだ。リースはきちんと整理しているから、どの人物と会うべきか定期的に聞きに来ているぞ」

「え、本当? 俺、誰とも会ったことないけど」

「リースも謁見依頼を承諾したことはない。ミアも会う必要はない。だが、」

 アイバンは大げさに溜息をついた。

「手紙の保管庫が爆発する前に整理をしなさい。終わるまで毎日だ」

「えー!」

「文句を言うんじゃない。手紙を読んで、もし気になる者がいたら私かシナに相談するといい」

「え~……」

 届いた手紙を読まなくてはならないと分かり、嫌だと顔で表現する息子をアイバンは無視する。

「お披露目式までには終わらせるんだぞ。式が終われば、また大量に手紙が来ることは分かりきっているからな」

「……はい」

 向かい合わせに座った父の有無を言わさない視線に、そう答えるしかないミアだった。


 父の部屋からの帰り道、自分宛の手紙が保管されている倉庫を訪れたミア。

 そこに積まれていたのは、自分の想像していた数十倍の手紙。真っ白な封筒で出来た巨大な山に、ミアは後ずさる。

「ミア様、全部を確認しろと言っているわけではありません。すでに我々で全ての手紙を仕分け済みです。ミア様が確認しなければならないのは……あの箱に入った手紙のみです」

 ここへ案内した従者・イリヤは、主人が逃げ出さないように背中を押しながら、ミアを倉庫の中へ案内する。

「あの箱のみって……凄く大きいんだけど」

「ミア様がサボっていたからです。この箱に入っている手紙の送り主は、今後、関わりのありそうな方のみとなっています」

「偉い人だけ集めたの?」

「まぁ、簡単に言えば。全部目を通して、会いたい方がいればお伝えください」

「はぁ……」

 正直かなり面倒くさいけれど、父と約束した手前逃げることはできない。

(仕事だと割り切って、さっさと終わらせよう)

 ミアはその箱を両手に抱え、部屋へと転移した。


「式典で見たあなたの花のような笑顔に……いや、式典中に笑ったことなんてないよ」

 ミアは読んでいた手紙をポイッと投げて次を取る。

「白く美しき狼の糧になりたい……って、食べられたいってこと?」

 ベッドに横になりながら、箱から数枚の手紙を取り出して目を通す。

『結婚したい』というのは本当らしく、皆自分を口説くような文章ばかりだ。しかし、どれもとんちんかんな内容で全く関心を持てない。

「君の美しさに祝福のファンファーレを……うわー! もうやだっ!」

 鳥肌の立つ腕をこすりながら、手紙をまとめて『確認済み』の箱に入れる。

「暇な時間にちょっとずつ終わらせるしかないよね……」

 まだまだ手紙のたっぷり入った箱をちらっと覗くと、たくさんの手紙の中に、紐で束にされた封筒が目に入る。目視だけでも七、八通はありそうだ。

(同一人物だからまとめてあるんだろうなぁ。こんなに何度も送ってくるなんて、絶対変な人だ……)

 他の手紙の内容に疲れたミアは、この束を今読むことは不可能だと思い、箱の蓋をパタンと閉じた。

(胃もたれしそうだから、また明日にしよう)

 これなら仕事の方がマシだ……と思いながら、ミアは眠りについた。


 ◇◇◇


「そこまで!」

 剣の先を二回払う仕草の後、鞘へと仕舞ったガイアスがミアへ向き直る。息の整わないミアが、はぁ、はぁ……と息を吐きながら頷いた。

「汗を拭いたほうが良い」

「ありがとう」

 立ったまま膝に手をつき、深く息を吐いているミアにタオルを手渡す。ミアはそれを受けとりながら、今日の練習について考えた。

(打ち合いって、こんなに激しいんだな……)

 初めてガイアスと打ち合いをさせてもらえるとあって、喜んでいたのは最初だけ。

 ガイアスの速い振りに対応するにはずっと集中しておかねばならず、打ち込まれた時の重さに耐える度に腕や足がジンとした。

 そして終わった後のこの疲労感。

 もっと体力をつけなければ……と新たな課題もできたミアだった。

「ミア、汗を拭いて少し休んだら森の奥に行ってみよう」

「じゃあ転移で行こうよ。地図あるんだよね?」

「ああ、持ってきた……二人でもできるのか?」

 ガイアスは、この森の地図を取り出しミアへ手渡す。

「うん。石の持ち主に触れてたら、何人でもできるよ」

「それは凄いな」

 不思議な石の力にまたもや驚かされたガイアスは、ミアの腕輪に嵌る赤い石をじっと見る。

「便利でしょ。まだまだいろんな使い方があるから見せてあげるね」

「いっぺんに披露されたら驚くだろうから、少しずつ見せてくれ」

 得意げに言ったミアの頭に手を置き軽く撫でたガイアスは、湖の側で少し休憩するようミアを促した。


「この辺?」

 ガイアスに説明された辺りを地図上で指差す。

「そこでいい」

「はーい。じゃあ行こう」

 ミアは大きな手を握って目を閉じる。

 ガイアスが軽く握り返してくる感触に少し戸惑いつつ、ミアは石に『転移したい』と念じた。

 フッと風が巻き起こり、足元の草が揺れる。


「はい、着いたよ」

「凄いな……本当に一瞬だ」

 目を開けたガイアスが、視線だけで辺りを見回す。

「気持ち悪くなったりしてない?」

「平気だ」

 さっそく目的地に向かおうとするガイアスに連れられミアも歩き出すが、手が繋がれたままであることに気づく。

「あの……ガイアス?」

「どうした?」

「いや、その……」

 視線を下に向けながら話すミアは、明らかに繋がれたガイアスの手を意識している。

「転移したばかりで、うまく方向感覚がつかめないんだ。ミアは嫌か?」

「そうだったの? 初めてだからかな」

 ガイアスは、驚いているミアの様子を確認する。

(嫌がってはいないようだな)

「もう少し、こうしててもいいか?」

(ミアには悪いが、嘘をつかせてもらおう)

「もちろん! 俺が支えるから、安心して歩いてね」

「頼もしいな」

「へへ」

 ガイアスの言った『頼もしい』という言葉に喜びを露わにするミア。

「俺さ、可愛いとか子供っぽいってよく言われるけど、本当は頼りになる大人の雄に憧れてるんだ」

「そうなのか? ミアは十分、男……雄らしいと思うぞ」

「ほ、本当に⁈ そんなこと言われたの、初めてかも」

 ミアは少し下を向いて照れている。

「今もこうして俺の手を握ってくれているだろ。頼りになるかっこいい狼だ」

「ガイアスみたいな素敵な人に言われたら、本当かもって思っちゃうよ」

 頬を染めて照れるミア。耳をピコピコと動かしながら、嬉しさが溢れ、繋いでいる大きな手をぎゅっと握った。

「……、」

 ピタッと急に歩みを止めたガイアス。

 何かあったのかと心配になったミアが見上げると、繋いでいない方の手で目を覆っているガイアスの姿があった。

 ガイアスは今言われた言葉と柔らかい手の感触に、ブワッと何かが胸を駆け巡る感覚がした。

(俺のことをそんな風に? ……ああ、反則だ)

 ミアといる時のガイアスは、心臓がいくつあっても足りそうになかった。


「ガイアス、大丈夫?」

「ああ。ミアのおかげで安心して歩ける」

「さっき立ち止まった時も『平気だ』って言ってたけど、無理しないようにね」

 例の白い花の場所まで向かう道中、ミアは手を繋いだまま何度も尋ねてきた。

(ミアに触れるための嘘だとは、とても言えないな)

 少し罪悪感はあるものの、純粋で素直なミアに心が癒される。

 そう考えているうちに、白い花を見つけた場所に着いた。

「あれだ」

「わぁ~、本当に真っ白だ!」

 ミアは驚いた声を出して花のある部分を見渡す。

「形も面白いぞ」

「近くで見てみたい!」

 ガイアスの手を引きながら、花へと向かって少し小走りになるミア。

「おお~、本当に俺の耳みたい」

 ミアはそう言いながら、ちょんちょんと尖った花弁を指で触って感触を確かめる。

「あ、感触も少し似てるかも」

 しゃがみこんで白い花を観察する。

 手は未だ繋がれたままであるが、ミアはそれを気にせず花に集中している。

「そうなのか?」

 ガイアスは、親指と人差し指でミアの耳を優しく挟んだ。

「わ……っ!」

 ガイアスは確かめるように耳の頂上まで指を滑らせる。ビクッと震えたミアは顔を真っ赤にして口をはくはくとさせた。

 その反応のあまりの可愛さに、ガイアスはいたずら心で指を耳の根元に移動させる。

「やぁッ……!」

「ミア?」

 予想以上の反応を見せたミアに驚き、ガイアスは心配になって隣にしゃがんだ。

 繋いでいる方の手はぎゅっと握られ、少し震えている。

「もしかして、痛かったか?」

 ミアの顔を覗き込むと、その目は潤んでいた。

「違うよ……えっと、その、」

「触れたのが嫌だったのか?」

 見慣れない泣きそうな顔に、ミアの嫌がることをしてしまったのかとガイアスは内心焦っていた。

 繋いだままの小さな手がしっとりと汗ばんだ。

「あの、狼は耳に触られると……なんていうか、ムズムズするんだ」

 恥ずかしそうに教えるミア。ガイアスはそれを聞き、痛かったわけではないのだと安心した。

 しかし少し考えて、ミアの言うそれが『敏感な部分である』という意味だと分かった。

「そうだったのか。急に触ってすまなかった」

「ううん。俺こそ大げさに驚いて、ごめんね」

 なんとも言えない空気が漂う。ミアは自分の発言を後悔していた。

(くすぐったいからって言えば良かった……)

 自分の説明により、気まずい雰囲気になってしまった。

 ミアが一人で考えていると、沈黙を破るかのようにガイアスが立ち上がった。

「そろそろ、昼でも食べようか」

 繋いだままの手を引かれたミアは、陽の当たる開けた場所へと連れられた。

 切り株がいくつもあり、どうやらここはガイアスの祖父によって切り開かれたようだ。

「座って待っていてくれ」

 ガイアスは昼食の準備をするために手を離す。

「あ……、」

 ミアの手の平は久々に風を感じ、そのひんやりとした空気に、なぜか少し寂しい気持ちになった。


「ガイアス、熱いから気をつけてね」

「ありがとう」

 マグカップに入った紅茶をガイアスに手渡し、ミアは自分のカップを目の前にそっと置く。

 最近では、ガイアスが軽食を用意する間にミアが飲み物を準備する……というのが定番になっていた。

「わぁ! すっごく美味そう!」

「思ったより量が多いな。ミア、無理して全部食べなくてもいいからな」

「はーい!」

 元気に返事をしてさっそくお目当てのサンドウィッチを掴んだミアは、「いただきます」と言ってガブッと頬張る。

「美味しい!」

「そうか。良かった」

 幸せそうに頬張る姿を見ながら、ガイアスもそれを口へ運ぶ。

「毎日でも食べたいよ、これ」

「そう言ってもらえたら、料理長も喜ぶだろう」

「弟も絶対好きな味だと思う。食べさせてあげたいなぁ」

 ミアの弟・リースは以前、姉のスーシャが買って帰った人間国の軽食をかなり気に入っていた。 

「明日、俺の家で昼を食べるか? 帰る時にサンドウィッチを持たせよう」

「え、いいの? 二日連続ご馳走になっちゃうけど」

「俺は大歓迎だ。もちろん、ミアが良ければだが」

「行ってもいい?」

 ミアの後ろから尻尾の揺れる音がする。正直なその動きに、ガイアスの頬が緩んだ。

「ああ。来てくれたら嬉しい」

「俺、家の人達にお土産持っていくね」

 その言葉を聞き、屋敷の者達にミアの正体を伝えておくべきか考える。

 しかしガイアス自身、まだミアから王族であると告白されていない。

(もしかしたらミアは、自分が王族であることを隠していたいのかもしれない)

 いつか本当のことを話してほしいと思いつつ、ガイアスは、嬉しそうに揚げ物を摘まんでいる狼の姿に微笑んだ。

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