出会い
「ガイアス様、いかがされましたか?」
屋敷に届いた手紙の送り主を全て確認し肩を落としたガイアスを、執事であるロナウドが心配そうに見ている。
「いや、何でもない」
「……さようですか」
手紙を出してから一週間が経った。しかし未だにミアからの返事はない。
狼国へ他国の者が連絡を取る手段は手紙のみだ。それも人間国で二日、狼国で三日かけての検疫を行った後、本人へ届けられる仕組みとなっている。
(もしかしたら、まだ届いていないのかもしれない)
ガイアスは、届いた手紙の束を見て溜息をついた。
「……ふむ、」
(今回は目立つように、封筒に明るい色を付けてみるか)
ガイアスは自室の机に向かい、手紙にペンを走らせる。
ミアからは何の音沙汰もなく、自分の手紙が届いているのかいないのか、何も分からないままだ。
待っても待っても返事がない日々が続いたが、それでもガイアスは諦めずに何度も手紙を送った。
そしてほぼ毎日、屋敷近くの森へ通い続けた。
「いない、よな……」
今日も仕事終わりに森へ見回りに行き、帰ってすぐ机に向かう。
(彼ともう一度会わせてくれ)
信じたこともない神に祈りながら、ガイアスは封筒に蝋を垂らした。
森でミアを初めて見たあの日から、半年が経った。
仕事が早く終わった週末。明日は休みだからと食事に誘ってくれた部下達の誘いを断り、いつものようにバスケット片手に森を歩く。
今日も来てはいないだろうと、半ば諦めつつも歩みを進める。
いつもの折り返し地点である湖を何も考えずに見つめていると、淵の生い茂った草の中に、白い何かが見えた。
「ッ……まさか、」
心臓の音がうるさくなる。足は勝手に湖の方へと向かい、頭は半年前のあの光景を思い出す。
ガサッ……
木々の間から光が差し込んだ草むらの中をそっと覗くと、中にはキラキラと陽を受けて輝く、白い狼がいた。
(彼が、ここにいる……)
丸くなって気持ちよさげに眠るミア。あの日と同じ光景に、ガイアスの心臓はドクドクと脈打つ。
慎重に、慎重に、眠るミアの近くに腰を下ろした。
◇◇◇◇◇
「っん……ふぁ~っ、今何時だろ……?」
目を軽くこすった後、寝転がったまま伸びをしたミアは、眠気まなこで腕輪の石を確認しようとした。
しかし、ぼんやりとした視界の端に、何やら大きい物体が見える。
「っわあああああ!」
その物体を確認しようと上を向いたミアは、それが生き物であると分かり大きな声を出して飛び跳ねた。
後ろへザザッと勢いよく後ずさり、目を凝らして大きな影を見つめる。
「おい」
「……ッ!」
突然話しかけられ、ミアは自分の視線の先にいるのが人間の男であると分かった。
相手は座ったままじっとこちらを見ており、何かをしてくる様子はない。
石を使って転移しようかと悩んでいると、男がミアに可愛らしいバスケットを差し出した。
「腹は、減ってないか?」
「……え?」
男から発せられた意外な言葉に、一瞬何のことかと戸惑うミア。
返事もできずに黙っていると、男は黙ったままバスケットの蓋を開けて可愛らしいレースの敷物を敷いた。
大きな目をさらに大きくして、その様子を凝視していたミアだったが、ハッとして男に問いかける。
「あの、貴方は一体誰なんですか? どうしてこの森に来たんですか?」
「俺の名前はガイアスだ。そしてこの森は、我が家の敷地の中にある」
「ここって私有地だったんですか? あの、すみません。俺、知らなくて」
「別にいい。腹は減ってないか?」
やたらとお腹が空いてないか聞いてくる男。
黄色のリボンが付いた可愛らしいバスケットから、これまた愛らしいお菓子を並べる姿は、ピクニックを楽しむために森へやってきたように見える。
ガイアスは黙って菓子に目を向けると、その中から一番大きい焼菓子を掴み、ミアに手渡した。
「これ、食べるか?」
「あ、ありがとうございます」
渡されたものを断るわけにもいかず、ミアは礼を言って受け取ると、まじまじと手の中にある焼菓子を見つめる。
手の平サイズのマフィンには、赤や緑の木の実がバランスよくトッピングされている。
ちょうど小腹が空いていたミアは、石が危険を知らせて光ることもなかったため、安心してそれを一口かじった。
「わ、美味しい!」
「そうか」
フッと少し笑ってミアを優しく見つめた男は、慣れない手つきでティーセットを準備しだした。
これらのセットを見て、男が単にピクニックをしに来ただけだと確信したミアは、安心してようやく身体の力が抜けた。
そして緊張が解けると、自分が目の前の男に名乗っていなかったことに気づく。
「俺、ミアっていいます。勝手に森に入ってすみません」
過保護な兄から、人間国では耳や尻尾は必ず隠すようにと耳が痛くなるほど言われてきたミア。
変なことをしようとしてくる者もいるのだと何度も教えられたが、この男はミアが狼だと知っても気にしていないようだ。
ミアは、やはり自分の兄が過保護すぎただけだったかと結論付け、ガイアスに挨拶すらしていなかったことを申し訳なく思った。
私有地に勝手に入ったことに関しても、やはりもう一度謝っておかねば……と、ミアは頭を下げる。
「ミアか。俺のことはガイアスと呼んでくれ。敬語も無しでいい」
「ありがとうガイアス。でも、絶対俺の方が年下だけど思うんだけど……いいの?」
王家に生まれ、小さい頃から敬語を使う機会が少ないミアだったが、初対面の年上の男に対しては、さすがに失礼なのではないか……心配になりガイアスの顔色を窺う。
「ああ、そっちの方がいい」
ガイアスはミアの頭をポンと優しく撫でた。
ホッとしたミアだったが、同時に家族以外にされたことのないその行為に、少し気恥ずかしくなる。
「お茶を淹れる」
「カップ、ひとつしかないけど」
「俺はいい。先程、家で同じものを飲んだ」
「そうなの? じゃあ遠慮なく」
ガイアスは頷くと、ティーカップと受け皿の柄の位置を合わせた。
「いい香り」
「最近よく飲む茶だ」
ポットのお湯と香り良い茶葉で紅茶を淹れるガイアスを見つめながら、ミアは目の前で広がる光景について改めて確認する。
純白に金の刺繍で花があしらわれた上品なレースの敷物。その上には、いろんな種類の焼菓子たちがちょこんと行儀よく並んでいる。
そして小さなティーカップには、香りの良い紅茶が注がれ、熱々の湯気を立てている。
なんとも言えない可愛らしい雰囲気の中に、違和感しかない大きな男。
「……ッふふ、」
考えているとなんだか笑えてきて、ミアは思わず息を漏らした。
ガイアスはミアの顔に目を向けると、少し耳を赤くして手元に視線を戻した。
「ミアはここで何をしていたんだ?」
紅茶を飲んで落ち着いたところで、ガイアスが尋ねる。
「剣で素振りしてたんだ」
「そこに置いてある剣を使ってるのか」
「うん。剣に興味ある狼って少なくて、俺いつも一人で練習してるんだ」
ミアは溜息交じりにそう答える。
ガイアスは顎に手を添えた。
「場所を変えてか?」
「そうだよ。地図で適当に決めた森に転移するんだ」
できるだけ人間が立ち入らないような森を選ぶようにしていると言うミア。
「なるほど、そういうことか」
何かに納得した様子のガイアスに、ミアは話題を剣に戻した。
「俺、かっこいいから剣が好きなんだ。でも一人だから全然上達しなくて……」
「では、俺が教えよう」
「えッ⁈」
想いもよらぬ申し出に、ミアはガイアスの方へグッと顔を寄せ、太い腕を掴む。
「ガイアス、もしかして剣が得意なの⁈」
「得意……まぁ、自衛隊だからな」
「自衛隊ッ⁈ 剣舞のッ⁈」
ミアは興奮してさらに顔を近づける。耳がピコピコと動き、尻尾も後ろでブンブンと揺れている。
感情の分かりやすいその姿に、ガイアスは頬が緩んだ。
「ああ、剣の競技は一通りできる」
「え、え、本当にッ⁈ ガイアスって凄い!」
目を輝かせてはしゃぐミア。小さい両手はガイアスの腕をきゅっと掴んだままだ。
「……ミア、」
吸い込まれそうな金色の瞳が自分を見つめてくる姿に、ガイアスは釘付けになる。
じっとその美しい顔を見つめていると、ミアが腕を掴む手に力を込めた。
「お願いガイアス! 俺の……師匠になって!」
「師匠? なんだか大げさだな」
小さく笑ったガイアスがミアの頭を撫でる。耳の近くを軽く掠められ、ミアの尻尾がブワッと膨らんだ。
「……あの、師匠になってくれる? お礼はするよ」
「大丈夫だ。礼も必要ない」
ガイアスが頷くと、ミアは満面の笑みで両手を挙げた。
「やったぁ!」
子供のような行動に、ガイアスの頬がまた緩む。
「ねぇ、剣の競技が全部出来るなんて……ガイアスって一体いくつなの?」
「俺は二十四歳だ」
「もっと年上かと思った! なんだか雰囲気あるから」
ミアはガイアスの落ち着いた様子から、自分より随分年上だと思っていた。
「ミアはいくつだ?」
「今年で十九歳になるよ」
「……そうか」
ミアがシーバ国の第二王子と同じ年齢であると分かり、やはり目の前の狼は彼なのだと改めて実感する。
「もしかして、もっと下だと思った?」
ミアは幼く見られがちであるのを気にしており、ガイアスの返事に間があったのを敏感に察知した。
「いや、年相応の見た目だ」
「いや、ぜーったい嘘!」
頬を膨らませて睨むミアに、ガイアスは『身長ではなく仕草が幼さを強調しているのでは?』と思ったが、それは言わずに黙って首を横に振った。
それからは剣の話になり、ミアがいつから剣を始めたのか、どんな練習をしているのかを聞いたガイアスは、早めに練習を開始しようと提案した。
「あのさ、やっぱりお礼はさせて! 俺、基礎から習うことになると思うし、絶対迷惑かけるから」
「別にいらないが……では、狼について教えてくれ」
ガイアスからの意外な申し出に、ミアは目を丸くする。
「えっ……そんな事でいいの?」
「狼に興味があるんだ。しかし文献が少ないから、サバルでは調べようもない」
「そうなの? よーし、俺がガイアスを狼博士にしてあげるからね!」
胸を張って、任せろと胸を張る仕草に、ガイアスはまたしても幼さを感じた。ミアに伝えれば怒るだろうし、感情を素直に表現するミアの姿は微笑ましい。
本人が気付くまで、ガイアスはミアの可愛らしい仕草に関しては黙っておこうと決めた。
「ミアはいつが空いてるんだ?」
「まとまった時間が取れるのは週末しかないんだ」
「俺も週末は問題ない。では、今週末から始めるか?」
「うん!」
これからは毎週末の二日間、この湖に集合することになり、ミアはあまりの嬉しさに大きな声で返事をした。
「あ、時間はどうする?」
「朝九時はどうだ? 自衛隊で剣の基本訓練が始まる時間と同じだ」
「そうしよう。なんか、なんか、すっごく楽しみ!」
にっこりと笑ってガッツポーズするミアを見つめる。
態度には出さないものの、自らも心の中で強く拳を握るガイアスだった。
「おかえりなさいませ、ガイアス様」
「ああ」
帰宅すると、出迎えの為にメイド長であるレジーナと二人のメイド・カミラとメイ。そして執事のロナウドが玄関に並んでいた。
ガイアスは持っていたバスケットをメイド長に手渡す。
リボンの結び目が変わっていることを不思議に思ったレジーナは、バスケットを抱えると、中身が軽くなっていることに気付いた。
「……ッ、」
普段は冷静なレジーナがバッと顔を上げ、思わず主人に視線を移す。
ガイアスはレジーナの視線を受けて、少し照れ臭そうに頭をかいた。
「明日も菓子を用意してくれないか? ……二人分だ」
「はい、もちろん! ゴホンッ……かしこまりました」
大きな声を出してしまったものの、すぐにいつもの様子に戻るレジーナを見て微笑む執事のロナウド。
出迎えた使用人達は、口角が上がってきそうになるのを抑えながら、部屋に帰っていく主人の背中を見送るために頭を下げた。
「そうだ」
自室へ向かっていたガイアスだったが、階段に足を掛ける前に思い出したように振り返る。そして礼の姿勢をとる使用人達に声を掛けた。
「明後日も用意してくれないか。これからは、毎週末頼むことになりそうだ」
「「……‼」」
なんとか微笑みの表情にとどめ我慢していた使用人達だったが、主人からの嬉しい申し出を聞いて、全員同時に顔を綻ばせた。
「どうした?」
「いえ、お気になさらず」
不思議そうに問いかける主人に執事が答える。
ガイアスは意味の分からないまま頷くと、部屋へと戻っていった。
自分達の主人がこの半年間、一体誰を探していたのか。
この屋敷でそれを知る者はいないが、ようやく見つけることができたのだろう……
四人はぎゅっと互いの手を握り、主人に転機が訪れたことを喜び合った。
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