過保護な兄

「ガイアス、おはよう!」

 次の日、時間より十分前に来たガイアスだったが、すでにミアは湖の横に座って待っていた。

 手を大きく振りながら声を掛けられ、ガイアスも軽く手を挙げる。

「ミア、随分早いな」

「今来たとこ……って言いたいけど、なんだかソワソワしちゃって、三十分前には来てたんだ」

 ミアは顔を興奮で少し赤くし、白い尻尾はせわしなくバサバサと左右に揺れている。

「準備運動はもう済ませたよ!」

「張り切りすぎてないか? 顔が赤いぞ」

 ガイアスがミアの頬を手の甲でスッと撫でる。

「ひゃ……!」

 突然の行動に驚き、ミアは後ろに飛び跳ねる。

「もう、ガイアス……びっくりさせないでよ」

「……すまない」

 顔をさらに赤くするミアに、ガイアスが軽く謝罪する。

 ガイアスは、自分の愛読している本の内容について考えていた。

 昨夜、自室に戻ったガイアスは、ミアと出会えた奇跡をかみしめた後、枕元に置いてある狼に関する本をパラパラとめくった。

 その本には、『狼はスキンシップが好きな種族』だとはっきり書いてあり、ガイアスはその通りに行動しようとしただけなのだが、どうやら間違っていたようだ。

(『おおかみのきもち』あの本は当てにならないのか)

 何度も読み返した自分の参考書に、今初めて疑問を覚えたガイアスだった。


「わぁ、剣がいっぱい……」

 肩に掛けている沢山の剣を地面に下ろすと、ミアは興味深々にガイアスに近づいてきた。

「ミアに合う剣があればと思って持ってきたんだ」

「合う?」

「ああ。体格やその使い方によって、どんな剣を使うか決めるんだ。今使っているものは大きいから、きっとミアには扱いづらいはずだ」

「え、知らなかった!」

 ミアは驚き、自分の持ってきた剣を見る。

「この中からミアの剣を選ぼう。身体に合ったものを使えば、上達が早くなる」

「お願いしますッ! 師匠!」

「ははっ……じゃあこれを持ってみろ」

 ガイアスは自分の前に並べた剣から、まずは一番小さいものを握らせた。


「これはどうだ?」

「持ち手がちょうど良くて、しっくりきてる気がする」

 二人で持ち具合や重さを確認し、十本程試したところで一番合う刀が決まった。

 反りがなく真っ直ぐな刀身。握る柄の部分は太すぎず、小さい手のミアでも握りこめる。

「軽く振ってみてくれ」

「うん」

 言われたミアが剣を振り下ろすと、ビュンッと風を切る音がした。

「ガイアス、これすごく振りやすいよ! 身体が持っていかれる感覚が全然ない!」

「これにするか。型も綺麗だった」

「ありがとう!」

 キラキラと尊敬の目で見つめてくるミアに、少々むずがゆい気持ちになるガイアスだった。


 その後はガイアスの手本の下、身体の重心の置き方や正しい素振りのやり方など、基礎をしっかり教わった。

「そこまで! 休憩にしよう」

「はぁ、はぁ、ありがとう……ござ、います……ッ」

 ミアは初めての本格的な指導に、呼吸がなかなか落ち着かない。

「基礎といっても全身を使ったからな。今日はよく眠れるだろう」

 頭に手を置かれたミアは、潤んだ瞳で上目がちにガイアスを見つめる。

「……っ、茶でも入れよう。菓子も持ってきた」

 無理やり目を逸らしたガイアスは手をパッと頭から離し、いそいそとお茶の準備を始めた。


 クラシカルなレースがふんだんにあしらわれたバスケットを開け、中から花柄のティーカップを取り出す。

 何度見ても慣れないミスマッチな姿に、ミアは少し笑いながら、首元の汗を服で拭った。


 ◇◇◇


 自衛隊第七隊の執務室。

 奥側の真ん中に位置する大きな机はガイアス専用であり、今は第七隊で行う短期遠征の振り分け作業をしていた。

 手元にある資料を見つつ、目の前に立っている若い隊員に話し掛ける。

「今回は北班に入ってくれ。滞在日数を調整できるようにしておくから、家族に顔を出してくるといい」

「隊長、ありがとうございます!」

 若い隊員は嬉しそうに深々と礼をした。

 最後の一人の振り分けが終わり、閉まる扉を確認してガイアスは少し伸びをする。

(もう少しだけ作業する時間があるな)

 時計を見ると昼休みまであと二十分。

 ガイアスが新しい仕事に取り掛かろうとペンを持った時、閉まったばかりの扉の向こうから元気な声が聞こえた。

「隊長~! マックス、ただいま戻りました!」

「失礼します。」

 隊員のマックスとケニーが執務室に入ってくる。

 そして、午前の仕事の報告をサッと終えると、マックスがガイアスに小さい声で尋ねてきた。

「あの~、例の件ってどうなったんスか?」

「例の件?」

「ガイアス隊長が探してた狼っス」

「……ああ」

 彼らに狼について尋ねていたことを思い出した。

「隊長のために、俺いろんな人に狼について聞いて回ったんっスよ~!」

「私も酒場で情報を集めてみました」

 マックスは恩着せがましく、ケニーは控えめに言う。

「調べさせてすまんな、聞かせてくれ」

 もうその件については解決したのだが……二人が真剣に調べてくれた情報を無下にすることはできない。

 ガイアスは取り掛かろうと手にしていた書類を机の端に寄せた。


 二人の話によると、やはりこの辺りに住んでいる狼はいないようで、他所から来た狼ですら見た者はいないという。

「隊長、やっぱり狼はハードル高いっスよ! 狙うなら別の子にしましょう」

「良かったら、今日飲みに行きませんか?」

 マックスはガイアスに新たな恋をさせようと張り切っており、ケニーは純粋に上司と飲みに出掛けたいようで、控えめに誘ってくる。

「可愛い子がいるお店見つけたんっス! 触ったら手叩かれちゃったんスけど、そこが良いっていうか……」

 ゲヘヘと笑うマックスに、ガイアスが軽蔑の目を向ける。

「強気な感じが最高なんっスよ~!」

 最近のお気に入りの子についてさらに語ろうとしていたマックスだったが、ケニーが慌ててフォローに入った。

「あの、こう見えてもマックスは隊長のこと本気で心配してるんです! ずっと何か、思い悩んでいたようなので」

「すまないな、心配かけた」

「いえ! 俺達が勝手にしたことです」

 ケニーは未だにヘラヘラするマックスをバシッと叩いた。

「ありがたいが、本当にもういいんだ」

 穏やかな顔で言うガイアスに、マックスとケニーが顔を見合わせる。

「まさか隊長! 恋人ができたんっスか⁈」

「そうなんですか⁈」

「いや……」

 食い気味に聞いてくる二人のあまりの気迫に、ガイアスが返事できずにいると、マックスがにたりと笑った。

「いや~、俺おかしいとは思ってたんっスよ。最近、隊長やけに機嫌いいし」

「何かあったとは思っていましたが、まさかでしたね」

 自分をよく見ている部下達に対してありがたいと思いつつ、そんなに分かりやすかったかと少し気恥ずかしい。

「じゃあ俺らの情報収集は無駄に終わったってことっスね。まぁ王族のことだし、知っても関係ないっスけどね」

「マックス、詳しく話してくれ」

 黙っていたガイアスだったが、『王族』という言葉に反応してしまい、思わず前のめりに尋ねてしまった。


「……なるほど」

 二人の話を聞いて、ガイアスは静かに返事をする。

「桁違いの人気っぷりっスよね~」

「この話が本当だったら、第二王子は大変でしょうね」

 マックスとケニーが集めた情報は、サバル国でお披露目式を控えるミアに関するものだった。

 ミアは成人し一年以上経つにも関わらず、今まで他国の式典に二度しか出席していないこと。その裏には、彼を溺愛している第一王子の存在が在るらしい。

 彼は歳の離れた弟達と妹を守るため、公の場に彼らを出さないようにしている……とのことだった。

 そして一番気になったのは、『ミアに信じられない量の求婚の手紙が送られている』という話だ。

「ミア様を少し見ただけの貴族や、同じ席に参列した各国の王族達が、こぞって手紙を出してるみたいなんです」

「俺の友人が郵便関係の仕事してて、『サバル国中からミア様宛に凄い量の手紙を運んだ』って言ってたっス」


 二人はミアに同情しているようだが、ガイアスは何とも言えない心境だった。

 ゴーン、ゴーン……

「やべっ、昼だ!」

 話が終わったところでお昼を知らせる鐘が鳴り、急に慌てだすマックス。

「俺達、お昼までに事務室に報告書を取りに行くよう言われてたんっス! では隊長、失礼しまっス!」

「失礼します」

 礼をするとすぐに去っていった部下達。ガイアスは複雑な気持ちで今聞いたばかりの話を振り返った。

(そんなに大量の手紙が届いてるのか……)

 各国の王族からも求婚の手紙が届いていると聞き、ガイアスは溜息をつく。

(それが本当なら、俺の手紙なんて読まれるわけがない)

 返事の来ない手紙の謎は解けたものの、さっき聞いたミア宛の求婚話が気にかかる。

 ガイアスはそれを忘れるために、昼休みを返上して目の前の仕事に専念することにした。


 ◇◇◇◇◇


「ミア、少し話があるんだが」

 仕事を終えたミアが部屋に帰ろうと廊下を歩いていると、兄に後ろから呼び止められた。

 ミアの兄・カルバンは、シーバ国の第一王子である。

 三十歳と若くして王宮内の様々な仕事に関わっており、その聡明さや寛大さが国民から支持される人気の次期王だ。

 妻と幼い子供二人とともに王宮で暮らしており、ミアとも毎日顔を合わせる。

「え……なんで?」

 最近カルバンの手伝いとして、他国との貿易に関する書類を任されていたミアは、怪訝な顔をして振り向いた。

 見上げると彫刻のように整った兄の顔。

 緩くウェーブした金色の髪にしっかりと鍛えられた身体はミアより一回り大きい。

 瞳は青く、ずっと見ていると吸い込まれそうな澄んだ色をしている。

「そんな顔をするな。仕事の話ではない」

「なら良かった。話って何?」

 安心して兄の元へ駆け寄り、どうしたのかと見上げる。

「ミアの部屋に行こう」

 さっさと歩き始めた兄の背中を追うミア。

 目の前にある灰色の尻尾はミアのように感情豊かではなく、兄が何を思っているのか読み取ることはできない。

 カルバンは王家の中で唯一、灰色の毛色を持つとても珍しい狼だ。

 灰色の狼は、神から特別な力を授かっていると信じられており、それがさらに兄の人気を高めていた。

 実際、兄は昔から何でもそつなく、それ以上にこなせる狼だった。


「さて、私の隣に座りなさい」

「うん」

 ミアの部屋に着いて、すぐにソファーに腰かけたカルバンは、自分の隣を軽く叩く。

 指示通りに座り大人しくしていると、カルバンが低い声で尋ねてきた。

「ミア、私に言っていないことがあるだろう」

「……えっと、この前の会議のこと? 寝ちゃったのは、夜に素振……いや、勉強してたから」

「そのことではない」

 カルバンが呆れた顔で首を振る。

「じゃあ、お披露目式の準備すっぽかしたこと? あれはイリヤにもう十分叱られたから、これ以上怒らないで」

「すっぽかしたのか⁈ ……いや、それでもない」

 うーんうーん……と悩むミアにしびれを切らしたカルバンは、珍しく尻尾をバタンッと大きく振った。

「最近、長時間どこかに転移しているな」

「そのこと?」

 ミアは兄の言葉に安心し、ふぅ……と安堵の息をつく。

「一体どこに行っている? イリヤからは人間のところに通っていると聞いたが」

「なんだ、もう知ってるんだね。そうだよ」

「なぜ私に言わない! 父上はご存じなのか?」

「直接言ってはないけど、イリヤが伝えてると思う。ダメだった?」

 兄が怒っているのを感じたミアは、眉の端を下げながら問いかけた。

 カルバンはそんなミアの頭に優しく手を置くと、心配そうに撫でる。

「ミアは一応王子なんだぞ。何かあってからでは遅い」

「ごめんなさい。でも、すごく良い人だから安心して。剣の腕も本物だよ!」

 教え方がとにかく素晴らしいのだと興奮気味に話すミアに、カルバンは大きな溜息をつく。

「はぁ……とにかく、父上には俺から報告しておく。くれぐれも仕事に支障のないようにな」

「はーい」

「それと、何かあったらすぐに転移して、私か父上に言うこと」

 カルバンは小さい子供に言い聞かせるように、ミアの目の前に人差し指を立てた。

「何かって?」

「襲われそうになったらだ。ミアは身体が小さいし可愛らしい見た目をしているから、悪戯をしようとする人間がいるかもしれない」

 カルバンの言葉に、ミアは目を見開く。

「ちょっと! ガイアスは絶対そんなことしないってば!あと、可愛いって言わないでよ!」

 自分の見た目に関して可愛いと称されることの多いミア。より雄らしくありたいと思っているミアとしては、その言葉はあまり嬉しくないものだった。

「ほう、名前はガイアスというのか。そいつも善人の皮をかぶった獣かもしれん」

「兄様! 俺の師匠に何てこと言うんだよっ!」

「では、もし押し倒されたらどうするんだ? ん?」

「押し……ッ⁈」

 ミアの頬は熱くなり、首にも熱が広がっていく。

「おい、どうしてそこで赤くなる⁈ 本当に何もされてないだろうな!」

「されてないって! もー、押し倒されたらすぐ転移するってば! はい、話は終わり!」

 ミアは兄の腕を引っ張り立ち上がらせると、無理やり背中を押して部屋の外へ出す。

「おいッ! ミア!」

 バタン!と大きな音を立てて扉を閉める。

 カルバンは不服そうな態度で扉を何度か叩いた。しかしミアが返事をしないでいると諦め、黙ってその場から去っていった。


(カルバン兄様、過保護だとは思ってたけど、あんなこと言うなんて)

 ミアは兄を追い出し、扉に背中を預けて一息ついた。

 しばらくして気持ちが落ち着いてきたところでベッドに向かい、バフンと倒れこむ。

(だいたいガイアスがそんなことするわけないよ。ガイアスは剣が上手くて、優しくて、かっこよくて、可愛いところもあって……あ、今のは無し!)

 自分に思わずツッコミを入れてしまい、考えるのをやめようと、尻尾を抱きしめるように抱え丸くなる。

『では、もし押し倒されたらどうすんだ? ん?』

 先程の兄の言葉を思い出し、目を閉じて想像してみる。

 鍛えられた腕が自分を囲み、見上げると男らしいガイアスの顔が自分を見下ろしている。

 目を細めてフッと笑ったような表情で見下ろす彼の輪郭には、剣の練習後だからか、汗が一筋流れている。

「わーッ!」

 そこまで考えると恥ずかしくなってきて、ミアは大きな声を出してベッドをゴロゴロと転がった。

「ミア様! どうされましたか?」

 大声を聞いたミアの従者・イリヤが、扉の向こうから声を掛けてくる。

「な、なんでもないっ! ベッドから落ちただけ!」

「はぁ~、何回目ですか。あなたのベッドに赤子の柵でも付けましょうか?」

 呆れた声でミアにチクチクと嫌味を言うイリヤ。

「子ども扱いしないで! とにかく、怪我はしてないから気にしないで」

「何かあったらすぐ呼ぶんですよ」

「うん、分かった」

 返事をして、ベッドの上で仰向けになる。

 王子らしく白い天蓋の付いたベッドは寝心地がよく、何も考えずにじっとしていると眠くなってきた。

(あんな想像して、ごめんガイアス)

 心で軽く謝り、ミアは目を閉じた。

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