狼国の王子様

「おかえりなさいませ。ガイアス様」

 すぐに帰ってきた主人を笑顔で出迎えるメイドの一人・カミラは、ガイアスからバスケットを受け取った。

「しばらく部屋で休むが、食事の時間には下へ降りる」

「かしこまりました」

 バスケットの中身が減った様子はなく、どうしたものかと籠を見つめるメイドの姿に、ガイアスは無駄に菓子を用意させた事を申し訳なく思った。

「悪いが、皆で食べてくれないか?」

 ガイアスはそう言い残し、二階にある自室へと少し肩を落として歩いて行った。

 カミラは隣で控えていた執事に目を向けるが、長年ガイアスに仕えていたロナウドにも、今日の主人に一体何が起こったのか推測できない。

 二人は首を傾げて、主人の元気のない背中を見送った。


(彼は何者だ?)

 自室のソファにもたれかかりながら、ガイアスは今日見た狼について考える。

 今までの人生で、狼に出会ったのはおそらく初めてだ。

 まず前提として、狼は人間へ興味が無い者が多い。狼は人間国への出入りが自由であるにも関わらず、大半の者はシーバ国で一生を過ごすのだ。

 それとは対照的に、人間が狼国へ入国するには二つの方法しかない。王族から招待を受けるか、もしくはシーバ国境で育つ生垣の間を通るかだ。

 狼国を囲むように存在するその木々達は人の心を見極め、邪心を抱く者は決して中に入ることができない。物理的に木々によって排除されてしまう。

 これらの条件に加え、入国・出国の手続きがやたらとややこしいとあって、諦める者がほとんどだ。

 しかし、例え狼が人間国にいるとしても、特定することは難しいだろう。なぜなら、狼は石の力で耳と尻尾を自在に隠すことができるからだ。

(耳や尻尾が、あんなに綺麗だとは知らなかった……)

 ふさふさとして触り心地の良さそうな白い毛並み。

 警戒心なく眠る狼は、耳も尻尾も隠してはいなかった。

(もし彼と話すような関係になれば、触ることを許してもらえるだろうか)

 ガイアスは、記憶に残っている白い狼の穏やかな寝顔を思い出す。

(彼と再び、会うことはできるだろうか)

 はぁ……と溜息をつくと、静かに目を瞑った。


「今日もいないか……」

 それから数週間、ガイアスは毎日あの森へ足を運んだ。森はいつも通り静かで、彼が来た気配は全く無い。

 手に持ったバスケットに付いた可愛らしいレースのリボンが、寂しげに風に揺れた。

 ガイアスは、あの白い狼がまたお腹を空かせていたらいけないと、いつもバスケットに一人分のお菓子を用意してもらっていた。

 しかし、彼と会えなければそれも必要はなく、そのまま持ち帰っては、誰か食べてくれと伝えて自室に戻る。

 日に日に落ち込んでいく主人の様子を、使用人達は心配しつつ見守っていた。


 ガイアスは、人間国の一つであるサバルの王都・ルシカで『自衛隊』という職に就いている。

 そして、二十四歳と若くして剣の才能を見出され、第七隊を指示する隊長を任されていた。

 狼の出現により、徐々に争いのなくなっていった人間国では、他国を攻撃する可能性のあるかつての『騎士』という存在はなくなり、今では自国を守るための自衛隊を置いている。

 全十隊から成る組織の活動は、王の護衛や国の防衛、地方整備の指揮など多岐にわたる。

 才能のある者は何歳からでも役職に就くことができることから、若者にとっては夢の仕事であり、隊員達は国民の憧れの的だ。

 そして隊に入った者が役職に就いた場合、それから十年以内に二年間の長期遠征に行くことが決まりとなっている。

 遠征中は、国内であれば各地の意見や問題解決に努める。そして、他国では新しく有益な情報を仕入れてくるといった目的がある。

 野宿は基本当たり前。体力勝負の厳しい遠征は、隊員達から『地獄の二年』と呼ばれており、帰ってきた者はしばらく英雄扱いだ。

 ガイアスが森で白い狼と出会ったのも、遠征を終えてすぐの出来事だった。

 自分がいない二年の間、彼が定期的に訪れていたのではないだろうかと考えたガイアスだったが、そうではなかったようだ。

「今日も……いないよな」

 二か月が過ぎた今でも、彼とは一度も会えていない。

(待つばかりでは駄目だ)

 ガイアスは、あの狼を探す為に自分から動こうと決めた。


 ゴーン……ゴーン……

「マックス、ケニー、少しいいか」

 城に隣接して建っている自衛隊本部。第七隊隊員が出入りする棟の執務室には、ガイアスと二人の部下がいた。

 昼休憩の鐘が鳴り、伸びをしていた部下にガイアスが話しかける。二人はどうしたのかと上司の机に集まった。

「お前達、ルシカで狼を見たことはあるか?」

「うーん、聞いたこともないっスね~」

「私も聞き覚えはありませんが、何かあったんですか?」

 まずは自衛隊の内部から手がかりを……

 ガイアスは自分の直属の部下に狼について尋ねてみたのだが、部下の返事から特に情報は無いのだと分かる。

 第七隊の隊員であるマックスとケニー。二人は他の隊の隊員ともよく飲みに出ており、自分の知る者の中で一番の情報通コンビだ。

「王家の情報なら、噂程度知っていますが」

 ケニーが申し訳なさそうにガイアスを見る。

「いや、少し気になって聞いてみただけだ。気にするな」

(この二人でも知らないとなると……他の者達は期待できないな……)

 職場で手掛かりを探すのは難しいと分かり、小さく溜息をつく。

 狼は、ほとんどが狼同士で結婚をする。稀に人間と結ばれる狼もいるのだと話を聞いたことはあるものの、『生まれた子どもは狼国で十八歳まで暮らさなければならない』という決まりがあるため、人間国に住む狼は少ない。

 そして、耳や尻尾を隠して生活している狼は、自分達には人間にしか見えない。

「あの、ガイアス隊長が仕事以外で気にかけることがあるなんて……めっちゃ気になるんっスけど!」

 興奮した様子で机に身を乗り出すマックス。

「狼と何かあったんですか?」

 ケニーも突然の質問の真意が気になるようで、詰め寄ってくるマックスを制さずにガイアスの返事を待っている。

「いや、本当に意味はないんだ」

 盛り上がっている部下達を軽くあしらい、ガイアスは手元にある仕事の資料を片付け始める。頭には眠っている白い狼の姿が浮かんだ。

 狼は十六歳から人間国を訪れることができ、十八歳からは住むことが可能だ。

(あの森にいたということは、彼は十六歳を過ぎているということか)

 森の草の上で寝ていた白い狼は、王家の者でないと思われる。しかし狼の、ましてや平民の情報など誰に聞けばいいのか……ガイアスは頭を抱えた。

(一体、彼はどこにいるんだ)

 ガイアスは、自分が途方もない探しものをしているのだと、改めて気づいたのだった。


 それからさらに数か月が過ぎ、ガイアスと部下のケニーは街での見回りを終え、交差点で立ち止まった。

 自衛隊では、隊長と隊員は区別なく見回りや警護をする。ガイアスも例外ではなく、隊長という立場でありながらも順番が来ればこうして街の様子を確認していた。

「では、俺は事務室に報告あるんでここで。隊長は今日、そのまま直帰っスよね?」

「ああ」

「お疲れさまっス~!」

 まだまだ元気の有り余る部下を見送り、ガイアスはついでにと近くの露店に目を向ける。

(中の通りを見てから帰るか)

 仕事の見回りは終わったものの、狭い路地も確認しておいた方が良いだろうと、ガイアスは回り道をしてから屋敷に戻ることにした。


「買わなくていいから、絵だけ見てってよ!」

 狭い路地に入ってすぐに、小さな赤いリアカーを引く男に声を掛けられた。その声に思わず立ち止まると、店主の男は自分の描いたという絵を並べ始めた。

 みるみるうちに小さな絵が、リアカーに設置された台に綺麗に飾られていく。

「……ッ!」

「ん? 気に入ったのがあったかい?」

 ガイアスは、その台に飾ってある一枚の絵に目を奪われて息をつめた。その驚いた反応から、店主はどれどれとガイアスの視線の先を確認した。

 その絵は、手の平程度のサイズで描かれているにも関わらず、大げさに銀の額物に収まっている。

「彼だ……」

 伏し目がちに目を瞑った美しい顔は、まさしくガイアスが数か月前に見た白い狼だった。

「この絵は一体誰なんですか⁈ この狼を知っているんですか⁈」

「ああ、この絵かい? これはねぇ~……」

「直接会ったんですか⁈」

「おいおい、私なんかが会えるわけないだろう。狼国の王子様だぞ」

 店主はガイアスの発言に呆れた顔をする。

 興奮して思わず店主に詰め寄ってしまったガイアスだったが、思いもよらぬ言葉の登場に少し冷静になる。

「王子……?」

「そうだよ。これは数年前に描いた第二王子のミア様だ」

「ミア?」

「呼び捨てするなんて失礼な奴だな。様を付けろ、様を」

「まさか、王族だったとは」

 ガイアスは小さな声で呟く。

 名前を聞いて、ガイアスは彼が第二王子のミア・ラタタであることが分かった。

 大きな式典でしか拝むことができない狼の王族。彼らの名前は知っていても、その姿について語れる者は少ない。

 特にミアはお披露目式を人間国でしたことがない。つまりこの絵がミアであるかどうかは、見た者にしか分からないのだ。

「どこでこの絵を描いたんですか?」

 ガイアスはミアについて質問を続け、店主はその迫力に押されながらも絵の説明を始めた。

「私は旅をしながら絵を売っているんだが、この絵はリアンナで描いたんだ。王女様のお披露目式の時だな」

 リアンナは人間国のひとつで、気温が低い時期が多い国だ。三か月程は暖かく、それ以外はほとんど冬のような気候である。

 ガイアスの住むサバル国は年中を通して温かく、リアンナ国の人々は冬の厳しい時期になるとサバルに訪れることが多い。

「そこにミア様が?」

「ああ。お披露目式には王家の全員が参列してくださるんだ。俺を贔屓にしてくれてるリアンナの貴族がいてさ、特別に良い席を用意してもらったんだ」

 男は得意げに話す。

「その場で絵は描けねぇから目にしっかり焼き付けて、宿の部屋に戻ってすぐ描いたんだ」

 ガイアスは、なるほどと頷く。

「今年はこの国でミア様のお披露目式があるからな。奮発して良い額に入れて飾ってみたんだ」

 この絵がそっくりだと豪語する男は、他にも見せたいものがあると言い、リアカー内に付いた棚の中をゴソゴソと探り始めた。

「狼、ましてや王族の絵を売って金を貰うわけにはいかないし、これは売りもんじゃないけどな……ほら、こっちは販売用だ」

 棚から箱を取り出し何枚か見繕って台の上に広げる。

 モデルは特におらず、想像で描いたのだという美しい狼の絵をズイッと前に出し、男がガイアスにこれらはどうかと勧めてくる。

「ミア様の絵を買わせてください。お代はいくらでも構いません」

「……おい、人の話聞いてたか?」

 店主は、目の前の男のあまりに真剣な表情に、これは説得が長くなりそうだと溜息をついた。


「彼は、王子だったのか……」

 自室に帰ったガイアスは、手に入れた絵を見ながら手紙を書く為に便箋を広げた。

 まだにわかには信じがたいが、せっかく手に入れた手がかりを無駄にはしたくなかった。

 絵描きの店主からは、断固として「売ることはできない」と言われたが、こちらも譲れない。

 結局、店のリアカーの修理を申し出て、『お礼』という形でなんとか受け取ることができた。

(それにしても、謁見希望の手紙を書くなんて初めてだ)

 普段は無口で無駄なことは話さないガイアスだったが、この数か月で溜まった彼への想いを込めて、丁寧に紙に筆を走らせた。

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