白狼は森で恋を知る
かてきん
第一章 白狼は恋を知る
憂鬱な日々
狼が住む国・シーバ。その国の第二王子であるミア・ラタタは、自身の『お披露目式』の準備のせいでウンザリした日々を過ごしていた。
「もう、やだ……」
色とりどりの豪華な衣装と、読み終わっていない大量の書類。それらの山に囲まれた真ん中で、ミアは真っ白な尻尾をしゅんとさせながら顔を手で覆って嘆いた。
この大陸は四つの国から成っており、中心に位置しているのはミアの住む狼国・シーバ。そのシーバ国を囲むように位置している三つは人間の住む国々だ。
そして、十八歳を迎え成人となった狼国王家の者は、この大陸の四か国全てで、自身の存在を民に披露するため、『お披露目式』を行う義務がある。
一年ごとに一か国。つまり四年かけて四回行われるそれは、この大陸で最も盛大な式典だ。
「俺のお披露目なんて、必要ないと思うけど……」
ミアは大きな溜息をついて、床であるにも関わらず、後ろに仰向けで寝そべった。
今年十九歳になったミアは、三か月後に行われる式の主役だ。
銀色で襟足を長く伸ばした髪と、はちみつ色の美しい瞳が映える整った顔立ち。
耳と尻尾は雪のように真っ白でふさふさとしており、美しい中に幼さの残るその姿を見た者は、必ず二度はミアを振り返る。
本人はそれに気付いていないものの、噂のミアを一目見たいと今年の式は大いに盛り上がると予想されている。
「年にたった一回ですよ? それに、昨年既に経験したじゃないですか」
ミアが生まれた時からお世話を任されている従者・イリヤは、呆れた顔でミアに話しかけた。
黒狼であるイリヤは、黒い耳に黒い尻尾。そして長い髪を後ろでひとつにまとめており、真面目な印象だ。
自分より六つ歳上のイリヤを、ミアはずっと兄のように慕っていた。しかし手のかかるミアのお世話をするうちに、いつからか小言ばかり言う口うるさい従者になっていた。
「前回はシーバであったから、作法の勉強が無くて楽だったのに……」
この式の準備で一番重要なのが各国の作法の勉強だ。式中はもちろん、式後に行われるパーティで粗相のないように、各国の作法や歴史を学ぶのだ。
「あーあ、人間国でのお披露目なんて、どっかの国でまとめて一回にすればいいのに」
「絶対に駄目です。そんなことしたら、他の国々が怒って争いが起きかねません」
人間の姿に狼の耳と尻尾……この狼という存在は、人間しか住んでいなかった時代に、神が戦争をなくすための抑止力として創ったと伝えられている。
身体能力が高く、不思議な力が使える石を持っている狼は、人間にとって恐怖の対象になりそうな存在だ。しかし、狼は基本的に同族にしか興味を持たない生き物であり、平和主義思想が強い。そんな狼に触れていくうちに人間は無駄な争いをやめ、互いに協力することで各国は栄えた。
今では、狼は人間達にとってめったに拝むことのできない憧れの存在であり、多くの者が狼を見ることのできるこの式を楽しみにしている。
「イリヤ大げさすぎ。はぁ~……最近、剣の練習も全然できてないし」
「そんなもの一体何の役に立つんですか。この国で剣を学んでる狼なんてミア様くらいですよ」
自分の腕に埋もれながらブツブツと文句を言うミアに、イリヤはいつもの台詞を返す。
人間国では、かつての争いの名残として剣術が盛んであり、剣による様々な競技が存在する。一方、身体能力の高い狼には剣を扱う者がほとんどおらず、シーバ国でそれを学ぶ者は極まれだ。
「あんなにかっこいいのに、なんでみんな興味ないんだろうなぁ~……」
耳をへちょんと垂らすミア。
ミアはこの王宮で、剣に興味がある唯一の狼だった。
「見る分には素晴らしいですが、自分がするほどでは……ああ、今度の式はサバルでありますから、大好きな剣舞が見れますね」
「そうなんだよ! 俺は今、サバルの自衛隊の剣舞だけをご褒美に準備を頑張ってるんだから」
耐えるしぐさで拳を握るミア。イリヤはそんな主人を見て、何がそんなに良いのやら……と首を傾げた。
剣舞とは、人間国で人気のある剣を使った舞踊だ。
特に、昔剣での戦いに長けていたサバル国では剣舞は国技になるほど盛んであり、国の式典の際には必ず最後に行われる華のある見せ物だ。
狼国内ではめったにお目にかかれない憧れの剣舞。ミアはこれを見るために式に出るといっても過言ではなかった。
「はいはい、その調子で最後まで頑張ってもらわないと困りますよ……おっと、もうこんな時間ですか。ミア様、今日はこれでおしまいです」
「本当……ッ⁈ じゃ、俺は部屋に戻るから!」
勢い良く起き上がり、すぐに扉へ向かうミア。先程まで垂れていた耳はピンと立っており、明らかにご機嫌だ。
「あっ、ミア様! 廊下は走らないでくださいとあれほど言って……まったく」
すぐに作業部屋を走り去って行った主人の後ろ姿を見つめながら、式が今から心配になる従者だった。
急いで自室に戻ったミアは、ベッド横のサイドテーブルの引き出しから地図を取り出す。そして机の上にそれを広げると、顎に手を当てて悩んだ。
「今日はどこにしようかなぁ~」
ミアは、先ほどまで着ていた白いゆったりとした王族感溢れる服から前合わせの道着にすばやく着替えると、今日の練習場所を探し始めた。
式の準備に追われるミアの一番の楽しみは、地図で決めた場所に転移し、そこで剣の素振りをすること。
二年前、サバル国王の戴冠式で見た剣舞に心奪われてからというもの、誰もいない静かな場所で剣を振る時間を、ミアは毎日楽しみにしていた。
「ここにしよっかな」
指で地図上のある一か所を差し、石の嵌った腕輪に向けて、そこへ行きたいと強く念じる。
身体が軽くなった感覚の後、目を開けると静かな森の中にいた。
狼は、自分で善し悪しの判断ができる十六歳の時、森にある祭殿で石を一つ選ぶ。神によって不思議な力が宿っているとされるその石を、狼は常に身に着け生活するのだ。その石には様々な用途があるが、多くの者は転移の際に利用する。
「わぁ、いい感じの場所」
辺りを見回し人がいないことを確認したミアは、静かで練習場所に最適な場所を見つけたと嬉しくなった。
森の開けた場所には湖があり、辺りには小さい花が沢山咲いていて可愛らしい。
(なんかここ……来たことあるような?)
以前この森へ訪れたことがあっただろうか。少し考えたものの答えは出ず、さっそく素振りを始めることにした。
「ふぅ……」
しばらく無心で剣を振っていたが、手がジンジンし始めたのを感じ、湖の近くに寝そべる。
「俺の剣って、上達してるのかなぁ?」
空に突き出した手を握って開き、何度か繰り返す。
剣を学んではいるものの、シーバ国では剣仲間を見つけられず、独学で練習を続けてきた。
「師匠でもいたらなぁ……」
考えているうちに眠気が襲ってきたミアは、ぽかぽかと暖かい陽の中で静かに目を閉じた。
◇◇◇◇◇
大きな人間の男が、気持ちよさげに寝ているミアを見下ろしている。
二メートル近くある長身にがっちりとした体形。短髪の黒髪と日焼けした肌は健康的で、右眉の端と顎には古傷が残っている。瞳は深い緑色だが、今は湖の光を反射して少し明るい色になっていた。
この男の住む屋敷近くにある森。ここは小さい頃、男の祖父と共に湖で魚を取ったり剣の練習をしていた思い出の場所だ。
祖父が亡くなった後、屋敷とこの森を引き継いだ男は、久しぶりに森を見回っていた。
(この森は、いつも静かだな)
久々に歩く森は、風で葉がこすれる音以外は何も聞こえず、男の気分を落ち着かせる。
歩いて森の中心である開けた場所に着くと、湖の近くに光が差し込み何やらキラキラと光っていた。
目を細めてじっと目を凝らすと、草に埋もれて何かが小さく身じろぎした。
(……誰かいるのか?)
腰の剣をサッと抜き、構えながらゆっくり進むと、草の中に白いふっさりとした尻尾が見えた。
警戒を解かずそれに近づくが、白い何かは全く逃げる様子がない。
(獣か?)
上から覗き込んで見ると、木々の間から差し込んだ光の中で、白い狼が丸まって眠っていた。
「……ッ、」
男は初めて見る狼に驚き息をつめる。そして、そのあまりの美しさと愛らしさに、息をするのも忘れてじっと小さな狼を見つめた。
「んん、おなか……すいたぁ」
グゥ~ッという音が聞こえ、お腹を抱えて寝言を言う白い狼。男はその様子を見て思わず微笑んだ。
(屋敷から何か持ってこよう)
腹が減ったと眉間に皺を寄せる狼に何かしてやりたいと、男は急いで自分の屋敷まで走って行った。
バタンッ
扉を勢いよく開けると、屋敷で執事として働いている初老の男・ロナウドが慌てて駆け寄った。
「ガイアス様! いかがされましたか!」
はぁ、はぁ……と息を乱しながら森から帰ってきた主人に、ロナウドは驚いた様子で伺う。
「ッ菓子を、急いで用意してくれないか?」
「……かしこまりました。すぐ用意いたします」
ロナウドは主人からの思いもよらぬ言葉に一瞬戸惑ったものの、すぐに屋敷のメイド達へ準備を言い渡す。
ほんの数分で菓子の入ったバスケットが用意され、ガイアスはそれを受け取った。
「助かる」
そう言い残し、また走って出て行く主人の姿を、唖然としながら見つめるメイド達。
執事は少し伸ばした顎ひげを軽く触りながら、おやおやと考える仕草でそれを見送った。
「ふぁ~ぁ。ん……結構寝ちゃったな」
ミアは身体を起こして伸びをしながら、腕輪についた赤い石で時間を確認する。
(そろそろシーバに帰らないとイリヤに怒られるな)
口うるさい従者の小言がさらに増えることを考え、慌てて石に触れる。そのまま目を瞑り、『自室に帰る』と強く念じた。
ザザッと近くの草が揺れ、葉が舞い上がるのと同時に、ミアの姿はその森から消えた。
(彼はまだ寝ているだろうか)
走って湖へ向かっていたガイアスは、先程目にした白い狼のことばかり考えていた。
眠っている顔は子供のようでありながら、しなやかな手足は滑らかで思わず手を伸ばしそうになったほどだ。
彼の瞳は何色なのか、どんな声で話すのか、考えるだけで気持ちが昂る。
(一体なぜこんな気持ちになるんだ)
ガイアスは、ここまで誰かに関心を寄せたことはなく、自分の行動に戸惑う。
必死に走りながら森を進む。そして先程と同じ光の差し込む場所へやっと辿り着いた。
「帰った、のか……」
光の当たる場所を見渡すが、あの狼の姿は無かった。
夢だったのかとも考えたが、茂った草が円を描くように倒れたままであり、そこに狼がいたのは明らかだ。
可愛らしいリボンの付いたバスケットを片手に、肩で息をしながら倒れた草をじっと見つめる。
「……」
木々が風で揺れ、差し込んでいた光が揺らぐ。
ガイアスはその様子を見ながら、しばらくその場に立ちつくしていた。
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