「そうか……。そんなことが……。ええっと、実はですね、冬眠中の、人工的に見せる夢ってあるでしょう? あれは夢といっても、一人ひとり全く違うものを見ている訳ではないんですよね」

 

 蓮の長い話は、少し前に終わりを迎えていた。いまは、その話を記録し終えた医者が話している。

 

「なんか、例えるなら、オンラインゲームみたいな? そんな感じなんすよ。そもそもVRゲームが元になってるんですよね、この人工の夢ってやつ。数十人単位で、同じ街に配属されて、そこでいろいろできる……みたいな。CPUもいますがね」

 

 あまり要領を得ない説明だな、と蓮は思った。


「あの、まだよくわからないのですが……。じゃあやっぱり、あれは現実ではなくて、僕が夢の中で出会った彼女も実際には存在しない……これで合ってますか? 合ってますよね?」

 

「いやいや、そう焦らないでください。私はまだ話の途中です。つまりですね、さっきの説明で、私は何が言いたかったかといいますと……篠崎さん、って言いましたよね、桐谷さんの恋人」

 

 「ええ」

 

「その人もね、冬眠をしている最中なんじゃないかって。そう言いたかったんです。つまり、この世界に実在している人かも知れないのですよ」

 

 なるほど……! 蓮は目の前に光が差したような気がした。そうか、そうなのか。それなら……!

 

「それなら、彼女と現実で会えるんですか……!」

 

 蓮は飛びつくようにそう聞いた。

 

「可能性は充分ありますよ。いま、調べてもらってます」

 

 医者がそう言ったまさにその瞬間、看護師が資料を持って部屋にやってきた。

 

「あぁ、あそこか……」

 

 資料を一目見た医者はそう呟いた。蓮がソワソワしているのを見て、医者は続けて口を開く。

 

「ここに載ってる病院にね、いますよ。篠崎さん。この人でしょう?」

 

 医者は資料を蓮に渡す。

 

 資料といっても、それは一枚の紙だった。そこには「篠崎佑亜」という名前と顔写真、冬眠中の病院の名称のみが書かれている。

 

「そうです。この人です。間違いない」

 

 蓮は確信を持ってそう答えた。

 

「個人情報なんでね。これ以上のことはここでは教えられません。この方について詳しく知りたければ、その病院の人に聞いてみるといいですよ。そこには、橘先生っていうおじいちゃん先生がいましてね。その人が対応してくれると思います。橘先生に会ったら、よろしく言っておいてください」

 

 医者は蓮にそう言った。


――――

 

 その病院は、蓮が眠っていた病院から電車で四十分ほどのところにある、とても大きな病院だった。蓮は恐る恐る中に入り、受付で自分の名前と要件を伝えた。

 

 しばらくすると、蓮は診察室に通された。そこにはおじいちゃん先生がいて、その人は「橘です」と名乗った。その声は、体の芯まで届きそうな、低くていい声だった。

 

「お話は聞いてますよ。早速ですが、本題に入らせていただきます」

 

 橘先生はそう言うなり、蓮の目をまっすぐに見据えた。

 

「結論から申しますとね、篠崎さんに今すぐ会うのは、難しい、と言わざるを得ませんね」

 

 あぁ、だめか。蓮はそう思った。目の前でうっすらと光っていた希望が潰えた音が、蓮には聞こえた。

 

「なんとかなりませんか?」

 

 蓮は無駄だと知りながらも今一度問う。どうにもならないことはどうにもならないと、頭では分かっているのに。

 

「こちらとしても、どうにかしてやりたいのは山々なんですがね……。君の担当だった先生、いるでしょう? 私はね、彼のことよく知っているんですがね。彼はね、今回の件で、とても情熱的なメールを寄越して来ましてね。普段はそんなことする男じゃないんですが、君の話がよっぽど響いたんじゃないかな、彼に」

 

 橘先生は続けて言う。

 

「だから、どうにかしてやりたいんです。でも、どうにもならない。無理をすれば不可能ではないですけれども、彼女の身をとても危険な状態にしてしまうことになりますよ……。まぁ、時間はあるんです。ゆっくり話をしましょうよ」

 


 

 橘先生は蓮にお茶を出してくれた。とてもいい香りのお茶だった。口に含むと途端に優しい味が身体中に染み渡った。橘先生は再び口を開いた。

 

「篠崎さんはね、ガンなんです。もう、手の施しようがなくてですね……もって一年といったところなんですよ」

 

 ガン……ってあのガンか。蓮は、ぼうっとしている意識を必死に集中させて橘先生の話を聞く。

 

「君が治験に参加した人工冬眠技術はね、まだ治験段階ではあるんですが、余命幾ばくもない患者に対しては、特別に使用が認められていましてね。ほら、一般に普及するまで待ってたら亡くなってしまいますから。彼らはね、冬眠をして、自分の病気の治療法が確立されるのを待っているんですよ。そして、彼女もまたそのうちのひとり、ってことですね」

 

 橘先生は一言ひとこと丁寧に、蓮の様子を確かめながら言葉を紡ぐ。

 

「そんな……事情が……あったなんて」

 

「お若いのに、残念なことです」

 

 橘先生はそう言って、ゆっくりと息を吐いた。

 

 蓮はうつむき、床を見つめることしかできなかった。

 

 橘先生は一呼吸置いて、また話しはじめた。

 

「今すぐに、あなたが彼女に会う方法は、大きく分けてふたつありますね。一、あなたが夢の中の世界にもう一度行く。二、彼女が眠りから覚醒する。しかし、どちらの方法も難しいんです、残念ながら……」

 

 橘先生は続ける。

 

「まず、一つ目の方法ですがね。実は、彼女はもう向こうの、夢の中の世界にはいらっしゃらないのです。この話を聞いてから彼女の状態を確認して、驚きましたよ。恐らく……向こうの世界で自殺してしまったんでしょう。あなたがいなくなったから、ですかね……。人工冬眠というのは、こちらから、つまり外部から覚醒の手続きを踏むと終了となります。そうすると、向こうの世界では、半ば無理やりに亡くなったことにするんですよね……」

 

 橘先生はふと、何かを思い出したように首をひねった。

 

「あぁ、そういえばあなた、向こうの記憶があるんでしたね。不思議なもんです。愛の力ですね」

 

「愛の……力」

 

 蓮は橘先生の言葉を、咀嚼するように繰り返した。

 

「それで、話を戻しますと……。こちらで覚醒の手続きを踏まない限り、絶対に覚醒はしません。夢の中の世界で、こちらの覚醒の手続きに関係なく亡くなってしまった場合、自然と覚醒する、なんてことはないのです。そうしてしまうといろいろと不都合でしてね……。夢の中で亡くなってしまった場合にはですね、夢からは離れ、もう夢に戻ることはできなくなります。つまり、彼女はいま、なにも見ていない状態ということです。いまあなたが再び冬眠しても、彼女とは会えないということになりますよね。彼女を一度覚醒させれば、また夢を見せることもできるのですけれども……それもまた、難しいのです。それは、二つ目の方法とも深く関係しています」

 

 橘先生は更に話を続ける。

 

「二つ目の方法は、彼女が眠りから覚醒をするというものです。確かに、いますぐ彼女を覚醒させることはできます。しかしですね、あなたもご存知でしょうが、この人工冬眠技術というのは、眠りにつくときと覚醒するときに、身体に大きな負担がかかってしまいます。ですから一度眠りから覚醒してしまうと、その身体への負担を考慮して、一年間は再び冬眠をすることができなくなるんですよね。身体のための休息期間が必要なんです。いま、彼女はあと一年生きられるかどうか、といった状態で冬眠中ですから……一旦だとしても、覚醒するのは厳しい、ということになるわけです。これが、二つ目の方法が厳しい理由です」

 

 蓮は橘先生の話を、頷きながら聞いていた。そして、頷く度に出そうになる涙を、蓮は必死に堪えていた。

 

 しかし、橘先生の話が終わる頃にはもう我慢の限界であった。蓮の目からは堰を切ったように涙が溢れて流れ出した。蓮は顔を歪めて泣いた。橘先生は何も言わず、蓮の背中を優しく撫でた。

 

 しばらくして蓮が落ち着くと、橘先生は再び口を開いた。

 

「しかしね、桐谷さん。希望を忘れてはいけません。まだ希望はあるのですよ。いますぐに会うことは叶わなくても、いつかきっと、会うことができます。人工冬眠技術は、実用化されつつあるとはいえ、まだまだ発展途上の技術です。もしかすれば、そう遠くないうちに、一度覚醒してから再び冬眠するまでの休息期間というのを無くすことができるようになるかもしれませんし、一旦覚醒させることなく、彼女を夢の世界に戻すことだって可能となるかもしれません。そして、一年ほど経てばあなたも再び冬眠することができるのです。医療が発達し、彼女のガンが治療できるようになるまで、あなたも冬眠しながら待つことだってできるのですよ。だからね、希望はまだあるんです。そのことを、ぜひ、忘れないでいてください」

 

 蓮はまた泣きそうになるのをぐっと堪えた。そうだ、希望はある。どうしようもないことはどうしようもないのだ。できるのは、希望をもつこと。良き未来を期待すること。いつかきっと、また会える。この言葉を忘れないことだ。

 


 

「話さなければいけないことは、話すことができたと思うよ。なにか他に聞きたいことはあるかい?」

 

 少し間を置いて、橘先生はそう言った。蓮は疑問に思ったことを口に出した。

 

「彼女はいま、夢の世界にはいないのですよね? それって、覚醒したとき、記憶喪失になってしまうってことですか?」

 

 橘先生が答える。

 

「恐らく、そうなってしまうでしょうね。でも命には替えられません。本人もそうなる可能性があるということを知ったうえで、冬眠を選んでいるはずです。ですがね……脳は分かっていないことだらけなのですよ。理屈通りにならない不思議なことだって、充分起こり得ます。実際、あなたは向こうの記憶が消えてないじゃありませんか。きっと、彼女は大丈夫です……。他に聞きたいことは?」

 

 蓮は少し考えて「ありません」と答えた。橘先生は「良かった」と言ってティーカップを片付けはじめた。

 

「愛というのはね、人が人を想う気持ちというのは、ときに残酷なものです。でも同時に、とても大切なものでもあります。不思議ですよね」

 

 橘先生は突然、蓮にそう語りかけた。蓮はどう答えるべきか、いやそもそも答えなくて良いのか、少し思案した。そして……蓮は言った。

 

「確かに、僕が彼女と会わなければ、僕はこんな思いをすることもなかった。今感じている悲しみも、苦しみも、やるせなさだって、僕は一生知らなかったと思います。そしてその方が、もしかしたら幸せだったのかもしれません。でも……でも僕はなにも後悔してない。心の底から、彼女と出会えて良かったと思っています。彼女と過ごしたあの日々は……楽しかった。嬉しかった。幸せだった。そして何より……美しかった。この愛は、僕の一生の宝物です。もう二度と彼女に届かないとしても……もしそうだとしても、僕はこの想いを、大事に、大事に抱えて生きていこうと思います。僕は彼女を愛することができて、本当に……本当に良かった。この想いは、未来永劫、変わらないと思います」

 

 蓮の言葉を聞いて、橘先生は少し目を見開いた。そして橘先生は、ゆっくりと蓮に微笑みかけた。

 

「君の担当だった彼が、君のことを気に入った理由がわかった気がするよ。変なことを言ってすまなかったね。いい話をありがとう。いつか君が彼女とまた会えることを、私も願っておりますよ」


 蓮はゆっくりと頷いた。


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夢の中の君へ 鏑木 翼 @kaburagiW

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