1555年 家操22歳 遠江侵攻

 1555年 家操22歳


 朝倉宗滴死去

 厳島の戦いで毛利元就の中国地方での拡大が確定する

 中華で倭寇の被害拡大……以後密貿易が盛んになる







 正月明けに織田家は早速軍事行動を開始する。

 総勢2万人を動員し、遠江に侵攻。

 信長様が調略していた遠江国衆の井伊家や飯尾家、天野家、奥山家が今川家を見限り、織田家に降伏し、戦う前から勝敗が決していたが、残った今川家の拠点に攻撃を開始し、まずは飯尾家領内ながら、引間城に入って織田家への抵抗の姿勢を見せる庵原元政が兵500名で抵抗するが先鋒として入っていた俺が忍びにより夜の闇に紛れて城壁に近づき、臼砲の砲弾(火縄時限信管式砲弾)を使って城壁を各所で爆発させる。


 混乱したところを丹羽長秀隊と一緒に突撃し、半刻程度で落城。


 庵原元政は討ち取られ、そこそこ大きな城であった引間城が1日も持たずに落城したことで遠江の今川家の求心力は崩壊。


 更に武田や北条も攻めてきて駿府の今川館を焼き払い、花倉城にて防衛戦が行われるが馬場信春率いる武田軍により城攻めを受けて今川義元の切腹で他の一門は助けるという条件で今川義元は切腹する。


 37歳の若さであった。


 ただ武田家は婚姻同盟を結んでいた今川家が落ち目と見や攻撃して滅亡させるという所業で凄まじい悪評が広がることになる。


 織田家が出陣して僅か2ヶ月、一番遅く攻撃を開始した北条から見たら1ヶ月で足利一門に連なる今川家は滅亡することになり、遠江、駿河は織田家、武田家、北条家の3家による分割が取り決め通り行われ、織田家が遠江の大半の20万石、武田家が10万石、北条家が駿河の大半の10万石が加増され、信長様は先鋒隊で活躍したということで俺に9万5000石を遠江で加増され、一部国衆の領地替えが行われることとなった。


 これに飯尾家が反抗して城に籠って抵抗を始めたので俺と丹羽長秀殿の部隊で攻め滅ぼし、遠江国衆に織田家に抵抗するならこうなるという見せしめとした。


 で、俺は他重臣達より最大の領地を持つこととなったが尾張から離れているし、隣には武田家と北条家という罰ゲームの様な領地を与えられたので誰も文句は言われなかった。


 拠点は引間城を浜松城と改名し、津田家の拠点として整備していくこととなる。


 勿論行政はパンクした。


 今川家臣の殆どが北条家に流れて人材の登用もできなかったし、既存人材は育成途上の方が多かったので奉行衆が全然足りなかった。


 それでも回していく必要があるため、兵の中から適性があれば奉行衆に推薦して無理くり数を揃えて新領土の統治に入る。









 俺がヒーヒー悲鳴をあげている頃、信長様は尾張守護代を信広様が三河守護代、信長様の弟で尾張の城代をしていた織田信包様が遠江守護代にそれぞれ守護の斯波様から任命されてそれを織田家家長である信長が纏めるという3国統治体制を確立させる。


 織田信包様はまだ13歳と若い為、遠江統治の責任者に任命されていた俺が家老として支えていくことになる。


「兄様から話しは聞いている家操、準一門として私を支えてくれぬか」


「誠心誠意織田家のために仕えさせていただきます」


「うむ! 早速だが私の居城である二俣城をなるべく堅牢な城にしたいのだが、任せることはできないか?」


「わかりました。ただ場所的に山城となりますので、より堅城にするために堀を工夫したり、城壁を石垣に変えたりと金と手間はかかりますがやり遂げましょう」


「ああ、一度絵図を描いてはくれぬか。それで判断したい」


「は! かしこまりました」


 信包様は信長様みたいなカリスマは無いが堅実そうな方だなぁとい印象を持った。







 新領土である遠江に本拠地を移すために常滑の領土は伊達のアニキに委託することにした。


「任せろ。幸い鳥居元忠達や工場長等の工場奉行達は多く残ってくれるからなんとかなるだろうが……遠江は今川により搾取されたり流民が多く荒れた地、内政上手の家操でもなんとかなるのか?」


「東国の京と言われるぐらい栄えさせてやるよ。ただ防衛拠点の整備に多額の金を注ぎ込むことになるだろうがな」


「となると白漆(コンクリート)の工場を移転せねばならぬか?」


「ああ、大草城で城造りの基礎は学ぶことができた。コンクリートの材料となる石灰岩も浜松の北でギリギリ領内である浜北山から多く産出するため材料に困ることは無い」


「既にそこまで調べるとは流石だな」


「逆に鉱山となるのはそれ以外は無さそうだがな。あと浜名湖で貝や鰻をたくさん獲る事が出来そうだ。港を整備して常滑と連結するのも急がなくてはな」


「まぁ家操なら大丈夫か。常滑郡は任せろ。しっかり稼いでそっちに送るからな」


「本当に頼むアニキ」








 領地が安定するまでは妻や子供達に生活が不便な浜松に移住させるのは酷なので、大草城に残し、俺は奉行衆や兵、商人や技師等1000名を引き連れて浜松に移住し、領地の村を巡った。


 まず俺の遠江9万5000石の広さはだいたい三河の国境と天竜川の間の三角地帯が領土と言ってよく、天竜川の対岸に信包様の5万の領土がある。


 天竜川上流や東側を国人衆が囲んでいるという形になるため、実質三河への防衛は俺と信包様にかかっていると言っても過言ではない。


 あくまで遠江は東国の武田や北条への時間稼ぎを目的とした場所なので領地の繁栄よりも防御を主体として考えなければならない。


「となると天竜川の治水と称して堤防を防御施設と考え、巨大な城塞都市化を考えるか」


 そんな事を考えていたが、村々を巡ると想定よりも今川による圧政が響いており、流れ込んできた流民とのいざこざ、今川の分国法により住民に介入しやすくなるためにいざこざをわざと起こさせやすくする法律による村民達の対立……立て直すべき事は多い。


「まずは税の減税か。思い切りしかないな」


 俺が経済戦争を仕掛けて領内がめちゃくちゃになっているので、それの復興をしなければならず、民からの支持を得るために今年の税率を2公8民まで引き下げる事を通達。


 賦役を行う際にも必ず賃金を支払う事を約束し、税を取りすぎない事を約束した。


 で、流民は道具を持たせて浜北山で石切りを行わせて、それを浜松城下に運ぶことでとりあえずの労働従事をする人口を引き上げ金を与えた。


 領地を貰って直ぐに移転させたコンクリート工場を早期に稼働させて浜松城及び城下町の大改修を開始。


 道幅を広くし、浜名港まで道を繋げて物流を改善させると共に、旧今川水軍衆を武力で脅して津田海軍に編入させて海上の税を取る行為を撤廃させて熱田、常滑、水野領地の吉良、大浜を経由し、浜松までの海路を早急に整備し、織田家の商業圏と連結させた。


 それにより各種工場や人員の輸送が楽になり、天竜川付近に木材加工工場を稼働させ、天竜川やその支流を使うことで木材を下流に流し、その木材で工場建築を加速させていった。


 津田式農法の伝授等は来年になるだろうからと後回しにし、とにかく奉行衆の拡張による行政能力を得ることに注力し、領内がどうなっているかを把握するのに奔走する一年になってしまったのだった。



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