1554年 家操21歳 甲相尾三国同盟 豆炭 常滑型和船

 1554年 家操21歳


 甲相尾三国同盟(対今川包囲網)(非史実)

 武田信玄 分国法甲州法度之次第を制定






 年が明けて天文23年となり、俺は広がった領地で流民を吸収するためにあの手この手の政策を行っていた。


 で、最近炭を利用する施設が増えて値段が高くなっていたので、どうにかしなければと思い、俺は大黒兄さんや忍び達に燃える石や土を探してもらうことにした。


 尾張では炭鉱や泥炭地帯が確かあったことをノートに書いていたことを思い出し、ちょっと探してみることに。


 大黒兄さんや忍び達も石や土が燃えるのは伝承に出てくるお釈迦の話の中だろうと言ったが、探させてみると、領内からは常滑城跡付近から、織田家領内だと鳴海城近くから燃える土が大量に発掘できることがわかった。


 これに忍び達は俺が神通力でも持っているのではないかと疑い、崇め始めたが、そんな事は気にせずに、泥炭を使えば薪や炭の使用量を減らせると喜んだ。


「で、私の所に来たと」


「ええ、家康様の領土で燃える土こと泥炭が取れるのでね」


「様などもういらぬであろう。お互いに織田家家臣で城主同士、年も家操殿の方が年上だ」


「いえ、家康様は様なのです」


「相変わらず変わったお人だ」


 家康には信長から腹違いの妹が送られて織田一門衆に組み込まれていた。


 今は織田家の一家臣として鳴海城城主5000石を領有していた。


「どれぐらいの利になるのだ?」


「そうですな、俵1つで150文でどうでしょう」


「炭の3分の1の値段か」


「ええ、手間は掘って俵に詰めるのみですので賃金だけで済みますし、売値を考えれば妥当かと」


「うむ、ではそれでいこう」


「ありがとうございます」


「しかし家操殿の金稼ぎの嗅覚は本当に優れていますな。しかも貯蓄ではなく民に還元しているのがなんとも……領主として見習いたいくらいです」


「でしたら竹を増やしてみたらどうでしょう? タケノコは食べられますし、竹炭や紙の材料にもなりますから。紙の製法は教えることはできませぬが、高く買い取りますよ」


「竹栽培でも儲かるのか……部下に指示を出してみよう」


 そんな事を話し、今度は大草城に来てくれれば相応のもてなしをしますよと言うと


「海に面していて海の幸が手軽に食べられるのが羨ましい。ぜひともタイが食べたいものですな」


 とタイ料理が食べたいと言われた。


 後日家康様が大草城に来た時にタイの天ぷらや刺し身を食すとそれはもう大喜びでご飯を3杯もお代わりして喜んでいた。










 家康との交流を続けながら、炭の代用品の泥炭を確保。


 泥炭はそのままでは水分含有量の多い、質の悪い燃料のため、一度乾燥させ、炭のカスや消石灰(貝がらを焼いて出る粉)、焼酎を作るときに出る残留物を混ぜ合わせ、最後に型に入れて圧縮することで練炭や豆炭が出来上がる。


 少量なら豆炭、大きい物は練炭で、こうすると普通の炭と同等かそれ以上の燃焼時間を得ることができる。(温度はそこまで上がらないが)


 工業用ではなく家庭用であるが、炭より安くて長持ちすると市民から高評であり、炭の相場を落ち着けることに起因するのであった。


 ちなみにこれも熱田や津島、三河に売られて儲けがでたのは言うまでもないのだった。






 輸送船を作っていたが、船底が平たい和船だと逆風時に全く進まない事が判明し、竜骨ことキールを用いた造船を試すことにした。


 熱田商人で堺や博多等で南蛮船を見た商人が船底が丸みを帯びていると言う話を造船技師達に話し、ちょうど俺が竜骨を使った船の模型を持っていくと、直ぐに検証が行われ、有用だと判明すると、多くの失敗作を作りながらも、竜骨を使った船が完成し、現代だとサツマ型和船と呼ばれる船に近い漁船が完成した。


 今までの手漕ぎ漁船に比べると大型であるが、輸送船としては小型のその船は漁に実際使ってみたところ、漁獲量を増やすことに成功し、逆風でもある程度は進むことが可能であると証明した。


 そこから更に舵を改良し、船全体を大型化した、2枚の帆を組み合わせ積載量250石の船が完成た。


 傑作船となる常滑型和船であり、漁船としても輸送船としても軍船として船内のレイアウトと外装を改良すればできるという万能船であり、俺は量産を命令する。


 熱田商人達もこぞって常滑型和船を購入して伊勢湾に同型の船が大量に浮かぶことになる。


 250石というのが取り回しを良くし、伊勢湾内及び三河までであれば250石で輸送量は十分であったし、帆船で上手く風が当たれば8ノットから10ノットで進むことができた。


 比較される小早船が平均5ノットなので相当速く進むことができる。


 逆風だとその分低速になるが、それでも陸路で運ぶより効率が良いと好まれた要因だ。


 津田海軍の規模も基本となる船が出来たことで拡張し、2年かけて常滑型和船20隻を保有する200名の人員の艦隊ができるのだった。









 信長様は平手の爺様と家老の林を外交官として派遣し、贈り物外交で今川を武田と北条で切り取るための外交交渉を開始し、武田は直ぐに武田家の利になると転び、北条も今川家から独立した家柄であったが幾度の戦争で関係が悪化していたため、信長の提案した三国同盟策に乗っかった。


 武田家とは婚姻同盟となったが、北条とは贈り物をした普通の利害関係の一致による同盟に留まった。


 武田家と北条家は元々対長尾(上杉謙信)同盟を結んでいるため、それが継続し、三国同盟が成立となる。


 攻め込むのは来年の正月明けの農閑期の間と取り決め、今川の運命がこれでほぼ決まり、織田家は遠江への工作を強化していく。








 40万貫という莫大な資金を背景に朝廷への献金と幕府への献金を行い、信長様は正六位上弾正大忠の官位を受け取るに至り、織田弾正忠家の継承を内外に示し、斯波義銀は尾張、三河、遠江守護職を将軍足利義輝から引き出すことに成功し、三河の吉良家と遠江を支配している今川の正当性を奪うことに成功する。


 ここらへんの朝廷工作は五位様が兄である山科言継を動かして行い、幕府へは村井貞勝を動かして行われた。


 この工作に合計10万貫が使われ、そんな額を積まれたら坂本にいる将軍も朝廷も嫌とは言えない。


 足利義輝は金で役職を買うような真似は気に食わんと言っていたが、幕府への表向きは斯波義銀が行った献金ということになるので、不満は彼に全て負わせた。


 で、足利一門であるのに足利将軍に見捨てられた吉良家は織田信広率いる三河織田軍によりメッタメタに叩かれ、三河から逃亡して吉良の領地も水野と織田家で山分けし、水野家はこれで18万石の大領の領主となる。


 これで織田家による三河統一が完成し、来年の遠江侵攻に向けて動いていくことになる。









 これで12人目となる子供たちが生まれたが、またまた全員男の子……どんだけ男の血が強いねん。


 小麦の子は龍田、智が由良、霞が鬼怒、千秋が阿武隈と名付け、伊達アニキの所も男の子で伊勢と名付けられ、元気に育っている。


 秀吉とののの女の子もこの頃産まれる。


 領内でもここ最近豊作続きで俺の旧領(大野町から北部)は子供たちを沢山産んでも養っていけると判断したのか、男女祭で結婚する人が増えたからか次々に子供が産まれていった。


 娼家でも赤ん坊が増えていたので赤ん坊は流石に母親についてもらうが、ある程度育ったら孤児院に預けてもらい、そこで各種職業へと就職できる様に訓練が行われる仕組みも整えたりと次世代育成の仕組みも整えていった。

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