1553年 家操20歳 三河騒乱(後編)秀吉、秀長の結婚

 信長様は自身の母親や信行、同じ腹から産まれた妹達が一揆衆に殺されたことを知ると


「で……あるか」


 と、静かにそう言った。


 拠点を清洲城に移動させた信長様は俺を呼び出し、部屋の前で待機させているし、柴田勝家等の三河に詰めていた家臣達も集めていた。


 三河を放置するという選択は信長様には無いだろう。


 今は親族の事を考えているか、尾張を早期に統一するかを考えているか……。


 どちらも大義名分はある故に悩んでいるのだろう。


 バンと襖が開く。


「信行の仇討ちは余がやる。根腐れ坊主共と国人の馬鹿共は根絶やしだ。岩倉(もう一つの守護代の織田家)は信広と信光叔父上に任せる。それ以外は三河入りだ」


「「「はは!」」」


 行動が素早く決定すると一気に動き出した。


 まだ4月の事である。


 俺も兵300を率いて出陣するが、度重なる出兵で兵達に疲れが溜まってきているのが問題だ。


 織田信長率いる織田軍は瞬く間に1万名の兵を集め、三河に侵攻し、まずは奥三河から攻撃を開始した。


 酒井村は瞬時に陥落し、男女問わず根切りとされ、虐殺が実行された。


 その報告に国人一揆衆は激昂、徹底抗戦の構えを見せる。


 織田軍はそのまま東進し、三方ヶ原方面に布陣すると国人一揆衆と一向宗も三方ヶ原方面に進出。


 それが信長様の罠とも知らずに……。


「放て!」


 ババババババ


 今回信長様が持ってきた鉄砲の数は2000丁……織田家の保有する鉄砲を根こそぎ持ってきており、それが費用を無視して発砲を開始する。


「うぎゃぁ」


「ひぎゃぁ」


 各地から悲鳴が挙がるが


「退けは無限地獄行きぞ! 進み続けるのだ! 南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏!」


 一向宗の言葉に国人一揆衆も巻き込んだ突撃は止まらない。


 しかし三方ヶ原は広く開けた地形をしており、鉄砲の射程が最大限に活かすことができた。


 しかも織田家が使う火縄銃はポリゴナルライフリングが施されミニエー弾を使用した射程が普通の火縄銃の3倍の銃であり、更に一部銃は銃身を1.5倍にし、ライフル火縄銃の射程距離を更に2倍に伸ばした長距離狙撃タイプまで存在する。


 それが30秒に1発飛んでくるのだ。


 念仏を唱えていても弾丸は逸れてはくれず、次々に討ち取られていき、鉄砲隊に斬り込みをしようと近づけても待ち構えていた槍隊や武将達が兵を斬り殺していく。


「て、撤退だ!」


 撤退の号令を一揆衆がした頃には8000名いた一揆衆は500まで兵数を減らしており、織田家はそのまま道中の一向宗の寺や道場を次々に破壊。


 寺内町(寺の敷地内)だろうが容赦なく踏み込み、燃やし尽くしていった。


 寺では防衛できないと悟った一揆衆は長篠城まで落ち延びるが、城攻略のために持ってきた10門の臼砲が城を燃やし尽くす。


 城内から爆発が相次ぎ、城から出ようとした者は城を取り囲む織田兵に射殺され、最後は岡崎城と同じ様に城に居た者は兵たちによって討ち取られ、長篠城は半日にて陥落。


 そのまま奥三河にも再度侵攻し、国人一揆衆の家族諸共根絶やしにしていき、三河にて松平氏が復権できる道筋は途絶えたのであった。


 信長様が出陣してから一揆衆の死者は合戦で約8000名、その後の一向宗の根切りにより2万名の民が殺されたとされ、いかに一向宗と国人衆を掃討しようとしたかの力の入れようがわかる。


 この時三河の総人口が約20万人なので6%近くの人口が消滅したことになる。


 そして三河から多くの流民が発生し、その多くは今川領内に逃亡していくのであった。


 三河騒乱と言われる約半年の出来事で織田家は確かに弱体化したが、織田家の軍事力が健在であるのは証明し、織田信長が尋常では無い器量の持ち主であることを内外に示すのだった。


 一門衆や家臣達からも織田信長は畏怖の念を持たれ、信長に反抗的であった家臣達も担ぐ予定であった信行が消えた事で織田家当主が織田信長であることに不服とする者は消え去った。


 信長の三河殲滅の影響は尾張で岩倉織田家を攻めていた信広、信光軍にも影響し、信長がこちらを攻めてきたら兵数的に敵わず、根絶やしにされると思い込んだ岩倉織田家家臣団が守護代を捕縛して寝返りを行い、三河殲滅から10日後に落城して1553年中に尾張統一(長島が残っているので完全ではないが)を達成。


 信長様は吉良一族とは現状維持で和睦。(流石に幕府の重鎮を殺したりしたらただでさえ三河統治の正当性が無いのに詰んでしまうため)


 裏切った山口親子が詰めている城を放火して城下町を焼き払い、これで三河騒乱は完全に終了である。






 論功行賞が行われ、まず三河は分割統治をすると決めたらしく、織田信広に5万石、水野信元には追加で4万石、柴田勝家に4万石林通具の兄で信長の家老でもある林秀貞に2万石、佐久間信盛に2万石、丹羽長秀に1万石、他三河で活躍した武将2000石から1000石加増が10名ほど与えられた。


 尾張は清洲織田家と岩倉織田家が滅亡したことで27万石ほど手に入れ、清洲周辺8万石は織田信長様の直轄地化、5万石を叔父の信光様に他子飼いの部下達に5000石から1000石単位でばらまいた。


 犬千代こと前田利家も清洲攻めや三河殲滅戦で大活躍したため1000石加増されているし、池田恒興も5000石加増されていたりする。


 一門衆を含めて比較的満足する論功行賞であり、俺は知多半島の水野領を除く領地2万2500石が加増されて2万5000石が所領となり、信長様は俺を評定衆(家老の1つ下、会社で言う部長職辺り)に任命し、足軽大将から更に出世した。


 また信長様から準一門ということで津田性を名乗ることを許され、あくまで自称であった内葉ではなく、津田というちゃんとした武家の苗字を名乗ることができる! 


 しかも佐治衆が持っていた権利をそのままいただける事にもなったので中規模であれば水軍を持つことを許された。


 感動して泣いて喜んでしまった。


「これからも粉骨砕身し、信長様の役立つように一層の努力に励みまする!」


「その調子じゃ。頑張れ」


「は!!」









 知多半島の大半は水野様の領地となったが、常滑郡と少しがほぼ俺の領地となった! 


 江戸時代だったら藩を開ける規模であるし、農民上がりを考えれば大出世である。


「やったな家操アニキ!」


「秀吉も佐治軍をよく抑えてくれた。お陰で領地への被害がほぼなかったからな!」


「エヘヘ……なら褒美として嫁が欲しいんだが」


「おう、今なら俺と親戚になりたい人が多いから、その一門となればよりどりみどりだぞ」


「おお! じゃあ食堂で働いているののって娘がええんだが」


「おうおう、なんだ知り合ってるなら口説いて来いよ。親には文句を言わせねぇから」


「流石アニキだ! 早速告白してくる!」


 秀吉16歳はののという14歳の食堂の娘と結婚し、気を利かせてくれた五位様がののという娘を養子にして五位様の養女と結婚してくれたことにした。


 秀吉は貴族の娘と結婚したことになり、箔が付き、俺は五位様に恩返しとして寄進の量を増やすのだった。


 そして秀吉なのだが、男性不妊症の気配が史実ではあったのだが、この世界では幼少期にしっかり食わせて体力をつけさせたり栄養状況が改善したことが生殖機能にも影響したのか、ちゃんとののとの間に子供を産むことができた。


 可愛い女の子であり、ののは少し落胆していたが、一族の殆どが男ばかりの内葉改め津田家の皆はののが産んだお初を大層可愛がり、そして愛くるしく育つことになるのだった。


 秀吉が結婚したので秀長にも嫁を用意し、隣の領主である水野様から一族の女性である桜という女性を貰い受け、水野様とも縁を深めるのであった。

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