1552年 家操19歳 信秀の葬式 海津の戦い 正徳寺の会見

 1552年 家操19歳


 近江国南部の守護六角定頼死去

 足利義輝、三好長慶と和解し京に戻る

 尼子晴久中国地方8か国の国主に








「ナムナムナム」


 葬式が行われているが、葬儀前から既に織田弾正忠家の家督相続に関する問題が噴出していた。


 まず信行が信秀様が亡くなっていることを何らかの理由で知ったらしく、葬式の準備を行い、それが大々的に発表されたために信長様は信行様に嫡男でありながら葬式もまともにできないというレッテルを貼られてしまう。


 一応織田弾正忠家の葬式ということに信長様方の家臣達の尽力で挿げ替えることにはできたが、まだ死を隠しておきたかったため信長様と戦略を考えずに兄を出し抜くために行動した信行様……これが結果的に信長様の評判に大きな傷を付ける。


 信行様の行動に激怒した信長様は普段着で葬式に乱入して抹香を投げつける事件を起こし、多くの家臣を呆れさせてしまった。


 ここで信長様=うつけという評価が確立されることになる。


「あそこまでやる必要はなかったのではないですか?」


「鶴か、信行のヤツが余計な事をしたからな。清洲の調略を進めていたのに台無しにしやがって」


 信長様は清洲織田家の調略に動いており、内部に内通者を幾人も抱えた状態であったが、信秀様が亡くなったということを信行様が暴露したのでその調略が不発に終わったらしい。


 それに信秀様に対しても尾張と三河の分割統治状態で家督を分けた為に信長様は苦労しているため、その怒りもぶつけるために投げたらしい。


「ただ抹香投げは悪手でございます。平手様も腹を押さえて胃痛に苦しまれておりますし」


「平手の爺には胃薬を送ってやれ。鶴、親父殿が亡くなった事を知った清洲織田家が攻めてくるかもしれん。動員しておけ」


「は!」








 まず動いたのは清洲織田家……ではなく三河東部の遠江との国境付近にある城を持つ山口教継と山口教吉親子が今川に寝返る事件が発生。


 葬式から帰ったばかりの信行は重臣を集めて軍議を開くが、行動が遅く、山口親子の城に今川勢2000が後詰めとして入ってしまう。


 信行は軍を起こしたものの自身は出陣せずに家老達に任せ、家老達も今川軍と戦いのは危険と戦わずに軍を引いてしまい、三河での織田家の武威が大幅に低下することとなる。


 一方尾張では清洲織田家が暴走を開始し、織田方の城(松葉城と深田城)を急襲して城主達を捕縛して人質にする事件が発生、信長様は翌日には軍を集めて乗っ取られた松葉城と深田城を奪還するための軍事行動を開始し、道中で俺や叔父の織田信光と合流し、海津(萱津)の地に移動した。


 移動していた清洲織田軍と信長率いる織田軍が海津で激突。


 信長様は海津の通り道が3方向あることから軍を信長本隊、信光隊、平手隊に分け、俺は信長様本隊に組み込まれ、攻撃を開始した。


 バババババン


 鉄砲兵員が300名を超え、信長様の親衛隊も鉄砲を300丁保有しており、合計600丁の鉄砲による掃射が行われると、鉄砲への備えが不十分であった清洲織田軍は1000名の兵のうち400名が3度の掃射で死傷し、軍の統制が崩壊、総崩れを起こし、信長方の織田軍は追撃にはいり、俺の部隊も100名の斬り込み隊を伊達のアニキが率いて突撃し、75余りの首を取ることに成功。


 信光軍として参加していた下方貞清が清洲織田軍を率いていた坂井甚介を討ち取り、清洲織田軍は壊滅。


 松葉城と深田城もすぐに奪還し、そのままの勢いで清洲の田畑を焼き払い、軍を退いた。


 ここで清洲城を攻撃すると清洲城に匿われている守護の斯波義統様に危害が及ぶ可能性が高いと判断しての撤退である。


 信長様は今回の戦で内外に織田信長は自ら迅速に動き、味方を救出して敵に大損害を与えて戦に勝ったという評価を獲得し、対して信行は遅く動き、何も達成できぬままに軍を退いた臆病者という悪評が付きまとうこととなる。






 今回の戦での俺の軍の死者は3名、負傷者は15名で負傷者は鉄砲の発砲で火傷したとか斬り合いでの負傷で全員軽傷。


 死者は追撃した際の斬り合いで出てしまい、合同の葬式が行われた。


 葬式の後は戦での勝ちを祝う祭りを開催し、どんちゃん騒ぎで喜ぶのであった。







 妊娠していた小麦達が出産し、全員元気な男の子であり、今のところアニキも含めて男ばっかりである。


 小麦の子には天龍と名付け嫡男とし、智、霞、千秋の順で長良、五十鈴、名取と名前が付けられた。


 ちなみにこの年また全員懐妊している。


 小麦は乳の出が悪く、霞が小麦の子供の天龍の乳母として乳を飲ませ、以後小麦の子供の乳母は霞がするようになる。






 信長様は美濃方面を固めるため林を動かして斎藤道三との面会をセッティングした史実で言う正徳寺の会見が三河方面を信行に任せているため今なら会えると斎藤道三も娘婿の信長を見ておきたいということで1年前倒しで発生。


 戦をするわけではないので城の守りはアニキと家老の龍次郎と鹿之助に任せて、秀吉や秀長等の幹部候補生と鉄砲隊200名を引き連れて、信長様の軍に合流し、5日ほど行軍訓練をした後に正徳寺へと向かった。


 信長様はうつけスタイルで馬に乗りながらパンを食べていたが、俺もこの時初めて騎乗して行軍に参加し、馬上で行軍の号令をしながら進んだ。


 信長様は正徳寺に到着すると正装に素早く着替えて斎藤道三と会見に臨み、道中の行軍をこっそり見ていた斎藤道三と部下の美濃三人衆の1人安藤守就は信長のうつけ姿にやや落胆しながらも高価な鉄砲を500丁以上用意し、足の揃った行軍を見て信長直属の軍は尾張兵どころか美濃の精鋭兵よりも練度が高いと確認できた。


 そして正徳寺では正装に着替えた信長様が出てきて斎藤道三と安藤守就は道三の息子達では信長様の器量には敵わないと認識し、話が盛り上がった。


 しかも料理として出てきたのは鶏の親子丼。


 那古野城台所番の井上さんに鶏の料理として教えていたが、それを今回の会見で出してきた。


 意味は親子で協力する事で1つの器に盛り付けられる。


 すなわち一蓮托生を意味する。


 道三は材料を聞いて驚きながらも食すと美味いと言い、信長様の器量をしかと見たと、全面的に婿殿(信長様)と道三が生きている間は協力をしようという取り決めが行われた。


 これで信長様は美濃方面を改めて固めることに成功し、以後は尾張統一に向けて動いていくのであった。

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