1551年 家操18歳 秘密兵器(臼砲)開発

 1551年 家操18歳


 三好長慶暗殺未遂事件

 大寧寺の変

 フランシスコ・ザビエル日本を離れインドに向かう








 小麦の懐妊と智、霞、千秋の3人も懐妊した。


 これで全員無事に子供が産まれれば8人のパパである。


 というかアニキの家族も一緒に大草城に住んでいるので城は子供だらけである。


 この頃今川が織田家を攻撃してこなかったが、北条と抗争中で忙しく、三河方面には謀略や外交でしか動いていなかったのが平和の理由で、美濃方面も斎藤家と織田家で婚姻を結んでいたし、斎藤道三が美濃1国で満足していたのも大きく、争いにはなっていなかった。


 つまりぬくぬく内政タイムである。


 ただし実情は信秀様が亡くなっているため織田家は防衛戦しかできないし、親族も騙して死を隠している為に時限爆弾をいかに不発にするか信長様は苦悩している頃であろう。


 いや、もう爆発するのは仕方がないと切り替えているのかもしれない。


「今年で領主になって4年目になるのか……早かったな……今年はついに準備していた硝石丘ができる頃だろうな」


 昨年少量実験に使ったが、まだ硝石の生成過程であったため上手く火薬になったのと失敗で半々程度だったが、予定では9割はこれで完成する予定である。


「火薬の自家生産ができれば訓練費用が大幅に抑えられるからな。えっと今兵力は500名にまで膨らんだからな。俺の財力だからできるけど普通俺の領地の石高なら60人居れば十分だしな」


 戦国時代の兵力の計算は特殊な徴兵をしていなければ1万石250名という計算ができることは織田家の徴兵で勉強していた。


 なので2500石だと4分の1なので60人から65人が動員可能兵力になるが、俺は兵を銭で雇っているため500人の兵だとだいたい基本給1500貫、訓練費用1000貫の2500貫で500名の兵を養えてしまう。


 だから今年の出費予定は1万貫……いや8000貫くらいを予定しているのでそのうちの3割を軍事費として使用することになる。


 この割合は実際に戦闘状態の国家……現代だとウクライナのGDPと軍事費の割合が30%だったのでわかりやすいだろう。


 まぁ総収入だと今年の収入は2万貫くらい入る予定なので12.5%くらいであるが……。


 ちなみに織田家の支配している領域内で尾張は約30万石、三河が約20万石なので50万石……石高から逆算した動員可能兵力は1万2500人ということになる。


 ちなみに例外的動員が可能なのが今川義元率いる今川家で、今川家の分国法により大名としての独裁政権を確立させ、流民を積極的に活用し、荒地の開墾や闇市を推奨してそれを後から法律を盾に介入して支配するという荒業を多用することで大名をトップとしたピラミッド式の支配を太原雪斎死後に今川義元はこれを考え出して桶狭間に国力以上の兵を動員することができていたりする。


 ちなみに現在はそんな国家総動員法をした国家みたいな国家運営をしていないので今川家の動員可能兵力は1万人が限界だろう。


 今北条と7000名引き連れて国境付近で小競り合いを続けているので守備隊を除くと織田家を攻撃する余力が無いことがわかる。


 しかも無理矢理鉄砲を揃えているという情報もあるので財政状況は火の車だろう。


 これで飢饉とかが発生したらどうなるかな~。


「まぁ俺が知っているくらいでかい飢饉は1553年の近畿と日本海側で起こった大旱魃と1560年の関東大飢饉は有名だったな。それ以降は覚えてないけど……1560年の関東大飢饉で今川が尾張を吸収しないと一揆が発生するからって桶狭間に繋がるから覚えやすかったんだよなぁ」


 ちなみにこの2つの飢饉により全国の大名に大きな影響を与えており、1553年は第一次川中島の合戦に繋がるし、1560年は桶狭間と上杉謙信の関東出兵に繋がっていたりする。


 というか江戸時代でも150回の飢饉が各地で起こっていたのだから戦国時代でも2年から3年に1回はどこかで飢饉が起こっているのだろう。


「ただまぁこれ以上の兵の拡充は投資に支障が出るからできないけど……500の兵が限界か。やっぱり大草城を500の兵で半年は持ちこたえられるようにしないとな!」


 まぁ町民や村民を城に逃げ込ませれば5000人くらいで立て籠もることになるだろうけど……


「三河を実質的に支配している信行様がどう動くかで全てが決まってくるんだよなぁ。信長様に挑戦するなら中立の水野さんを通過して大草を攻撃してくるし、三河で満足するなら信長様も三河を任せるだろうし」


 信行様が三河で満足するなら尾張統一事業は数年の短縮になるし、三河を抱えた信行様が反抗すれば史実よりも織田家家中統一は遅れる。


 遅れた分史実が通用しなくなるし、現状でも桶狭間は起こりようがなくなっているからなぁ。


「そう言えば竹千代が水野さんの所で元服して徳川家康って名乗り始めたんだっけか」


 史実だとこの時期は松平元康だったが、松平を名乗れば元松平旧臣が担ぎ上げて三河で反乱を起こす可能性があるのでご先祖の徳川姓を名乗ることで松平との決別を強要されるのであった。


 これで徳川家康は三河統治の正統性を失ったし、元服した家康様は信長様に挨拶して鳴海城の城主を任されているし……。


 これどうやって今川を倒せば良いんだろうか? 


「うーん、桶狭間が起こらないことを前提として動くとして、三河もしくは遠江で飢饉の傾向が見えた頃……5月から7月の間に攻める感じだろうなぁ……まぁ良いや。まずはそれまでに尾張と織田家家中の統一を考えよう」


 そうなると諜報能力を拡張しなければならないな。


「熱田や津島の商人ネットワーク、多聞丸の忍び衆による諜報……歩き巫女の部隊も作るか」


 俺は多聞丸に巫女に扮したくノ一を使った諜報活動は可能かということを聞くと可能かつ有用であると言われ、小倉に神社を作り、そこを歩き巫女の拠点として歩き巫女の養育と情報の整理をする忍び衆の拠点として与えるのだった。






「せっかく海があるのに船の製造ができないのはもどかしいなぁ」


 隣の佐治水軍が造船業を行っており、漁船以外を造船すると佐治水軍や佐治為景殿を刺激するとして俺は造船業に手出しができなかった。


 商船を購入して熱田や三河の交易で使用したりもしているが、佐治水軍に税を支払わなければならず、領地経営上邪魔と思い始め忍び衆や歩き巫女の試運転として友好勢力ではあるが佐治氏の領地を探り、地形の把握や徐々に内部に浸透していった。


「ふ~ん今川の調略の証拠が見つかったか」


 探ってみると今川が三河侵攻の際に兵を率いて熱田を占領する事を書かれた書類とそれに合意したことを示す書類が発見された。


「ここまで今川の調略が伸びているのは凄いな。となると三河の寺が武器を買い込んでるのも今川の調略の一環だろうなぁ」


 俺はとりあえず佐治氏が本当に裏切って北上した場合の兵数や防衛戦の卓上演習を行い、佐治氏の治める知多半島逆侵攻の計画を作製し始め、その時に砦攻めに使える臼砲の開発に着手。


 原理は打ち上げ花火で、砲弾に火縄を付けて時限爆弾(火縄式時限信管)を曲射で打ち上げて地面に落下させ、それが火縄により爆発させ城内を攻撃する兵器である。


 史実でもヨーロッパではこの時期に既に運用していた記録があり、藁和紙を多重に重ねることで強度のある砲弾を形成できると判断して開発がスタートした。


 城攻めが大きく変わる兵器であるが重い為馬を使って馬車に乗せて移動させるしかなかったし、臼砲の砲身の砲身が何十回も発砲に耐えられる物ではないため安全を考慮すれば15発、砲を使い捨てと割り切れば20発しか発射実験でも耐える事が出来なかった。


 一応年内に形にはしたが、臼砲を運用するための兵を育成する羽目になり、これに耐えられる城壁にするため、大草城の城壁のコンクリート壁を予定よりも分厚くする必要が出るのだった。


 しかもこの砲弾を火薬が製造できない所が作ろうとすると1発5貫するとても真似できない一品である。


 鉄砲への造詣が深い幸之助でも製造に1年近くかかったので、使用して複製しようとしても形だけはできるかもしれないが、砲弾部分は鉄砲とは別の技術形態なので南蛮人や大陸の花火職人の協力がなければ複製不可能という……。


 そんな秘密兵器の開発に大金を費やしていると織田信秀危篤の情報が広まるのだった。


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