第68話

「え」


「どっちみち今日は帰ってきてもらうから渡すつもりだったけど、そのまま、使いたいだけ使っていいから」



私は、そのとき。相良さんの、『使いたいだけ使っていいから』の本当の意味を。驚きと、胸一杯に拡がっていく自分だけのどきどきで見落としていた。



「…要らね?」



「!」




言葉にできなくて、思い切り首を横に振るしかできなくて。


びっくり、した。


びっくり、して、ど、ういうことが、起きているのかいわれているのか定かではなくて。


誕生日、だからなのだろうかと、心の奥の奥の方でじんわりとぼんやりと考えてはみるけれど。


誕生日、って。凄い。


凄いです。凄いことが、起きる日なのかな…?



「か、ぎ…ありがとう、ございます。た、いせつに、大切にします」


手の平に落とされた鍵に夢をみるような心地のまま彼を見上げて、失くしません、と自分でもよくわからないことを呟く。


相良さんはそれに一度ふっと表情を緩め、



「…こちらこそ?」



ありがとうございます、の返しを、


一瞬立ち止まって飲み込まないと理解できない甘い〝こちらこそ”を返した。



もう自分がどういう顔をしているのかわからない。



「あーあーかわいい。かわいいなー」


寝癖ごと破裂した私の髪を、またくしゃくしゃと両手で挟んで撫でた。


手が、温かくて優しい。



「かわいい、けど。上司としては会社の時間だから、な?」


「あっ」



「はは」




相良さんは、この幸せの中。



眸を細める。



「…うん、いってらっしゃい」



――〝小さな姫君。”そう冗談をいいながら額に、もっと甘いキスを落として。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る