第3話 ザウドの影

翌朝、弥助は早くから山の空気を吸い込み、静かに準備を進めていた。毒針を念入りに確認し、戦いに向けて心を整えている。長い歳月が流れても、その動きには衰えがなく、むしろ、年齢を重ねるごとに研ぎ澄まされているかのようだった。


突然、遠くから鳥たちが一斉に飛び立つのが見えた。それは何か異変が起きたことを知らせる兆しだった。しばらくすると、家の前に稲葉が駆け込んでくる。


「先生、急いでください!ザウドが村を襲いました!」


稲葉の顔には焦りが浮かんでいる。弥助は何も言わず、彼の言葉を聞き流すように静かに立ち上がった。すでに彼の中では、行動の準備が整っていた。


「どこだ?」


「南の村です。被害は甚大で…村人たちは逃げられず、ほとんどがやられました。」


稲葉は言葉を詰まらせた。弥助は表情を変えず、淡々と答えた。


「行くぞ。」


そう言って、彼は稲葉に歩み寄り、肩を軽く叩いた。それが出発の合図だった。


二人が村に着いた時、そこはまさに地獄の光景だった。家々は焼け落ち、街道には逃げ遅れた村人たちの無残な遺体が散乱している。ザウドが現れる前の村の平和な姿など、もはや跡形もない。


「ひどい…」


稲葉が声を絞り出すように言った。その目の前に広がるのは、あまりに無慈悲な破壊の結果だった。だが、弥助は静かにその光景を見つめている。彼にとって、これがザウドとの戦いに向けた現実であり、避けられない運命だった。


「ザウドはまだこの辺りにいるはずだ。」


弥助は周囲を見渡しながら言った。彼の視線は、獲物を狙う狩人のように鋭い。稲葉は彼の言葉に頷き、すぐに武器を構える。


「先生、俺たちで奴を倒しましょう。もうこんな惨劇をこれ以上見たくありません。」


「焦るな、稲葉。ザウドは並の敵ではない。奴は、どこかで俺たちを見ているかもしれん。」


弥助は慎重に言葉を選んだ。その瞬間、遠くの木々の中から不気味な声が響いた。


「弥助か…やはりお前が来たか。」


その声は低く、どこか冷たい響きを持っていた。木の間からゆっくりと現れたのは、巨大な黒い影だった。ザウド――その姿はまるで悪夢のように、異様なまでに大きく、身体中に無数の傷跡がある。それでも、その傷は一瞬で癒える。彼の不死身の力が、見る者に底知れぬ恐怖を与えていた。


「よく来たな、蠍爺。俺を倒すつもりか?」


ザウドの顔には不敵な笑みが浮かんでいる。彼は明らかに、弥助を挑発していた。


「ザウド…お前がどれだけの悪行を重ねようと、俺はお前を止める。」


弥助は冷静に言い放った。彼の手にはすでに毒針が握られている。ザウドを前にしても、その手は少しも震えていなかった。


「無駄だ。俺は不死身だ。お前のような老人に何ができる?」


ザウドは笑いながら言い放ち、その場に立ち尽くしている。しかし、弥助は動じない。彼は静かに、一歩ずつザウドに近づいていく。


「俺が使う毒は、ただの毒ではない。お前の命を奪うためのものだ。」


その言葉に、ザウドの笑みが一瞬だけ消えた。弥助はその隙を見逃さず、すかさず毒針を放つ。針は空を切り、まるで流れるようにザウドの胸元に突き刺さった。


「ぐっ…!」


ザウドは一瞬怯んだ。だが、すぐにその傷口が癒え、彼は再び不気味な笑みを浮かべる。


「ふん、そんなものが効くと思ったか?」


弥助は無言でザウドを見据える。彼の目には、まだ勝機があると確信しているような光が宿っていた。


「この戦い、まだ始まったばかりだ。」


そう言って、弥助は次なる一手を考えていた。ザウドを倒すための、真の戦いが今、幕を開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る