第10話 事情

「カワウソさん! また会えて本当に良かったわ。あれからは何とか上手く行って、今では娘も大学生よ。呑舞どんまい大学で民俗学をやってるの」


 女鹿田めかだキヨコ氏は、2人をすぐにマンションの部屋まで通してくれた。

 もう40歳を過ぎているはずのキヨコ氏だが、胸のあたりまである黒髪の美人だった為に、暫定ざんていジョージの目はそのスタイルの良さと細い顔に釘付けになった。白いセーターとぴったりとした灰色のスラックスがまた目に毒だ。


 彼女の話によれば、例の呪いのスコーンを作った女鹿田めかだ清子せいこ嬢は、呑舞どんまい大学の学生であるらしい。

 これまた気味の悪い話なのだが、呑舞どんまい大学は地方大学としてはそれなりに有名で、考古学と生物学と古典文学なら、国内で10位以内の実績がありそうな所なのである。


「実はな、その清子せいこ嬢のことで話を聞きに来たのだ。あの娘に何か変わった事はなかったかな? 最近になって呪術関係にのめり込んでいるとかだ」


 イクちゃんこと万魔まんま佞狗でいくは、ここで母親のキヨコ氏に単刀直入に切り込んだ。

 本日のみ暫定ざんていジョージであるもう 惟秀これひでは、余計な口を挟まない様にしようと完全に置物になっていた。


「最近というわけではないんだけど……実はあの子ね、名前のフリガナだけが書けなくなってしまったの。セイコじゃなくてキヨコになっちゃうのよ。お医者様に診てもらっても治らなかったわ」


 母親のキヨコ氏の話は、彼女の娘に起きた実に奇妙な症状についての事だった。

 幼い清子せいこ嬢は漢字の学習を始めると、清子という文字が書けるようになった。だがフリガナの方はどうしても『キヨコ』になってしまうとのことだ。わざとではなく、それ以外が書けないのだというのである。


 この手の現象に心当たりがあり過ぎな暫定ざんていジョージは、黙ったままで隣にいるニセカワウソ妖怪に目を向けた。イクちゃんがこの件と無関係なわけがない、というのが暫定ざんていジョージの意見なのだ。


「と言われてもな。あの時に私がやったことは、キヨコの治療と、まとまった現金を渡しただけなのだ。それと賦活ふかつドリンクを渡したかな……アレは飲んだのか?」


 暫定ざんていジョージとしては、絶対にそのドリンクが原因だろ、と言いたくなったのであるが彼は黙っていた。


「あの時は、イクちゃんが助けてくれなかったら、私たちは心中してたわ……あの子だけをおいていけなかった。主人が先に亡くなってたから」


 キヨコ氏は非常に苦労した女性だった。夫に先立たれた後、残された本当に幼い娘を働きながら育てていたのだ。そして、それほど時期を置かずに白血病になってしまった。


 ある雨の晩に、無理心中を決意した母子の目の前に現れたのはイクちゃんだった。

 イクちゃんはキヨコ氏の白血病を治し、ついでに現金を3億円ほど渡したのである。さらに謎の賦活ふかつドリンクまで渡した。そして、自らの事は詳しく教えず▪▪▪▪▪▪に母子の前から去ったのだ。


女鹿田めかださん。私はマンマーTVの者です。以前にケーブルテレビの契約をここでしていただきました。実はこのイクちゃんとは知り合いです。受け取ったドリンクはどうなりましたか?」


 色々と情報が出揃った段階で、暫定ざんていジョージはとうとう黙っていられなくなってしまった。明日アミーに戻るまでは、彼はやる気に満ちあふれた頼れる感じの男なのだ。例えそれが雰囲気だけなのだとしても、ここで話をハッキリさせておきたいと彼はそう思ってしまった。


「あの時の方だったのね。娘がドキュメンタリー大好きなのよ。ドリンクの方は……夫の仏壇に置いておいたんだけど、いつの間にか無くなってしまって……本当にどうしたのかしら?」


 キヨコ氏の話を聞いて、暫定ざんていジョージには清子せいこ嬢がいつどうなったのか何となく分かってきた。


「イクちゃん、そのドリンクと同じ物って今持ってるかい? 現物が見たい」


 隣で同じ話を聞き、色々と予想がついているであろうイクちゃんに向かって、暫定ざんていジョージはハッキリと頼んだ。


「大した物ではないのだがな。これだ。賦活ふかつドリンク『完全にキヨコ』というのだ」


 イクちゃんが狩衣かりぎぬそでからそっと出してきたのは、これ以上ないくらい猛烈に怪しい名前の付いた緑色のビンだった。



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