第22話 扉を開ける者

「その者は、お前の縁者なのか?」

「違うよ」


 答えは簡潔で説明がない。

 夏の陽射しが、一つに結いあげた髪の隙間から覗く彼女の白い項を、容赦なく照らしつけているだけだった。

 沈黙に耐えかねて、霄の方から問いかけた。


「じゃあ、天桂山に登ろうとして行き倒れた者か?」


 少女は霄の呼びかけに、視線一つ動かさずに、渋々といったふうで答えた。


「それも違う。ここで人行き倒れていた人の墓だって。家族も縁者も分からないんだ。だから、私がたまに拝んであげないとさ」


 言いながら、傍らで咲いていた赤い野花を丁寧に摘んで盛り土の前に供えている。


「私の故郷も内乱の影響で、燃やされたんだ。私は運良く、姉ちゃんに助けてもらったけど、あの時、姉ちゃんがいなかったら、私はこの墓に眠る人と同じ運命だったかもしれないから」

「そう……か」

「偉い人がちゃんとしてくれないから、諍いが広がって、犠牲者も増えて、天だって怒るんだ。今年も近隣の邑は不作だっていうし……。男達が戦で連れて行かれるから、労働者も少なくなる」

「確かに」


 その時になって、少女の双眸がじろっと霄を捉えた。

 すべてを見透かすような、漆黒。

 彼女が少年に摺られても、追いかけなかったのは、つまりそういうことなのだ。


 ――偉い人が悪い。


 まるで、霄が責められているようだった。

 彼女の言う通りだった。

 皇帝が堕落した政治を行っている余波が、こんな田舎にも現われている。

 男達は兵士として徴収され、瀕死の状態で邑に帰ってくるか、そのまま死んでしまう者も多い。


「よく分からないけどさ。こういう場合、きっと「誰かが、やってくれる」って思って、傍観を決め込んでいる奴がいるんだよ。目の前に扉があるにも関わらず、それを眺めているだけで、開けようともしない。もったいないことをする奴がいるんだよ」

「しかし、そいつだって、自分が関わることで、かえって事が大きくなるかもしれないって悩んでいるのかもしれないんだぞ?」

「……んなもの、こっちは知ったこっちゃないよ。そいつの悩みとか、苦しみとか、大声で演説でもしない限り、他人には伝わらない」

「じゃあ、お前は……? お前だったら、その扉を開けるっていうのか?」

「当然、開けるよ。ばばーんと、こう、派手にさ。誰にも与えられている権利でないのなら、そこに自分が必要とされているのなら、行くしかないだろう」

「死ぬかもしれなくても?」

「死なないよ」


 何の根拠もないだろうに、少女は自信たっぷりに胸を張る。

 つぎはぎだらけの襦裙じゅくんに、を履いていた。

 外見は小汚い小娘かもしれない。でも、その堂々とした佇まいに目が離せない力があった。


「死ぬかもしれない危険性を考えられるのなら、死なない対策だって取れるはずじゃないか? 違うか」


 そうかもしれない。

 そうじゃないかもれしない。

 だけど、どうしてなのか賭けたくなる。


 ――その強気な一言に。


(こいつ……)


 まるで、霄の正体を確信しているように……。

 予め自分がここに現れるのを知っていたかのように、彼女はにやりと口角を上げた。

 霄の心根の迷いを吹き飛ばす、爽快な夏空のような笑みを浮かべて……。


「お前……名前は?」

「あのな、こういう時は、まずはあんたの名前からじゃないのか?」

「ああ。俺は……」


 皇子としての名前は仰々しくて、彼女に呼ばれるのは、何か嫌だ。

 彼女にだけ通じる、簡単な名前がいい。


(そうだな……)


 ぱあっと開けた蒼空を仰いで、直感で決めた。


「俺は「霄」。お前は?」

「私は……」


 と言いながら、懐に手を突っ込んだ少女は、こちらが耳を塞ぎたくなるような大音声を発したのだった。


「ああっ! あの悪童。何て奴だ! 私の饅頭も盗んで行った!! 私の大切なおやつ!!」


 金を盗まれたことは許すのに、食い物は許さないのか?


(お前の方が、何て奴だよ)


 ……笑える。

 霄は声を上げて笑った。

 まだ自分は、笑えるのだ。

 物心ついた頃から、ずっと悩んでいた自分が莫迦みたいで、もう笑うしかなかった。


(龍仙珠があろうが、なかろうが、どうだっていいんだ)


 そんな怪しげなものなんかより、彼女に出会えた。

 そのことが、天の思し召しだというのなら……。


 (……そうだな)


 ――だったら、自分がお前の言うその「扉」を開けてやろうか。


 死なないって、彼女が言ったのだから、きっと自分は死なないのだろう。

 やるだけやって、駄目だったら、仕方ない。

 けど、運良く、上手く転ぶことがあったら……?

 そうしたら?


 ――責任、取ってくれないか。春天。

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